第17話
目的地は当然、日暮里のあのお寺。藤田さんには相川さんと先に向かうとLINEで伝え出発する。
バイクなんて初めてだし、二人乗りなんて自転車ですらしたことない。
ステップの下を路面が、隣を対向車が高速で流れてゆく。向かい風に晒されるし、やっぱり自動車に比べると心もとない感じがして少し怖い。
でもその分スピードをダイレクトに体感できて、「風になる」ってこういうことだろうか。
「これ、小室さんのバイクだよね」
ヘルメットに内蔵されているインカムで相川さんに尋ねると、『そう』と返ってきた。このバイクは小室さんが乗ってきたもののはずだし、私が被っているヘルメットだって、本来は相川さんを乗せて帰るためだろう。
「本当に、よく行かせてくれたね」
『もともとそのつもりだったって』
「……そうなの!?」
ちょうど赤信号で止まると、バイクのメーター部分に何かくくりつけてあるのを見せてくれた。代わり雛だった。
『「丸屋恵那は私を助けてくれた」「丸屋恵那のところへ行く」って言ったら、これを渡してきた。多分見様見真似で作って持ってきたやつを。髪の毛は自分ので、それこそあなたのお母さんのみたいに、自分が身代わりになるって』
「それ、そんな……大丈夫なの?」
『作り方を勘違いしてるみたいで、効き目は何もない。あったら持ってこなかった』
彼女の語り口は今までになく優しげだった。本当に霊験があるかは問題じゃないんだろう。小室さんはそこまでしたし、そしてもともとそのつもりだった。じゃあ、相川さんは私から離れないって、もともと予想してたの?
それでまた、電車内での疑問が蘇ってくる。
「相川さん、どうしてあの時私についてきたの? ほら、施設の子たちのため、の後で何か言おうとしてたやつ」
その問いかけに、相川さんはしばらく黙ったままだった。答えてもらえないかな、ていうか怒らせた? と思ったところで。
『いいことができる……って思いたかったのかも』
「……」
『あなたを助けて何になるわけじゃなくても、昌司さんは今さら生き返らなくても、でもあのまま我関せずでいたら、それこそ私は自分の価値を感じられないままで、それこそいつか自分の意志で、母親みたいに命を断った気がする……。
だから、何かしたかった、施設の子たちのこと以上に、本当はそうなのかも』
抽象的で、曖昧で、だけど切実な理由だった。
生きてればいいことある、だけじゃない、自分にはいいことができる――よく生きるためにはそういう感覚がきっと必要なんだろう。よく生きるために命を賭けるというのは倒錯しているようで、でもよく生きられる希望がなくて命を絶つ人がたしかに大勢いる。小室さんは相川さんにいいことをしてほしくて、自分の命まで危険に晒した。
「いいことできるよ、相川さんは。してくれた。私のこと……」
『まだわからない。いいことしたって言うなら、全部片付けてから』
「……うん」
そう。まだ現地へ向かっているだけ。全てが判明したわけでも、解決できる保証があるわけでもない。
子宝を祈った女性が取り憑かれる――そう仮定すると、四百年前は恐らくあの祠が発生源だったんだろう。信仰によって邪坊が鎮まったんじゃない。逆だ。その法則に気づいて、祈ることが禁じられたために新たな犠牲者は出なくなった。
実態と逆のことを文献の庄屋が語っているのは、隠蔽だろうと相川さんは言う。祠を建立したのは先代の助右衛門だ。家の恥を隠したかったんでしょ、と吐き捨てるみたいに。
真相に迫りつつあるのはたしか。それでもわからないのは、四百年前のあの祠から何故あのお寺へ発生源が移ったのか。
これが由香里さんの仕業だというなら彼女は一体何をしたのか。
謎を抱えたまま、私たちは生麦ジャンクションから首都高速に乗る
両脇に聳える超高層ビルや見下ろす光の海はやっぱりきらびやかで、そして以前に考えたことを思い出した。一つ一つの光が照らし出す幸不幸。
私もこのたった一日で目まぐるしく入れ替わった。
今は希望が見えている……ように感じる。それが本当に成功に繋がるのか誰にもわからない。私たちが走るこの道のように整備されてはいないし、闇を照らす光もない。
生きるというのは可能性が続くこと。子作りは可能性を生み出すこと。
「無限の可能性」にどう向き合えばいいか、今はわからない。相川さんは憎んでいて、でも今は彼女が、可能性に期待させてくれた。
腰を抱く手に力を込める。母のように大きくて、でも身長の割にか細さが心配になる。この頼りない背中が、今は私を引っ張ってくれている。
いいことに繋がっているはず……と無根拠な期待を抱いて、私たちは目的地へと急いだ。
出発から一時間弱で、お寺に到着した。三週間ぶりに見る境内は真っ暗なこと以外はあの時と変わらない。幸い、誰か参拝に来ていたりはしないようだ。
私たちの到着から少し遅れて連絡しておいた小室さんがタクシーで、そして一時間近く経って、藤田さんが到着した。かなり興奮した様子で、抱えた紙袋から何か取り出す。
「全員は短時間じゃ無理だけど、若い子にも頼んで調べてもらったらあったのよ、死んだ人の遺留品の中に、これが」
薄緑のお守り袋が二つ。この寺の社務所で売っている、由香里さんが持っていたのと同じ安産祈願のお守り。それぞれ別な犠牲者の持ち物だという。袋を開けると、真っ二つになった御札が出てきた。
日付はとっくに変わっていて、今からすぐにお寺の管理者に許可を得るのは難しい。藤田さんが責任を負うという形で、無断で捜索させてもらうことになった。
このお寺が邪坊の発生源になったのはここ数ヶ月。ネットで調べた限りでは、お寺の縁起にあの町との関連性はなさそうだった。
由香里さんが何かをした、寺を変えてしまった何かが寺にある。あってくれなきゃ困る。
「相川さん……何か感じるとかない?」
「感じるは感じる、たくさん……そこら中に水子の霊がうようよいる。でもそれは、この手の施設にはありがち」
「そう、なんだ」
「丸屋恵那……あなたは? むしろ……霊能者でもない、けど取り憑かれているあなたが反応するようなところがあればそっちの方が、私よりたしかかもしれない」
「私が反応……あっ」
そう言われて、三週間前に来た時のことを思い出し、歩き出す。
向かった先は、拝殿。近づくにつれて……目には見えない何かが、私の脚をざわざわとくすぐる……撫でる……次第にはっきりした圧力になり、その力の形までわかるくらいになった。
そう、これ。小さな手が、私の足首を掴んで引き寄せようとしている。
あの時も。あの時から私は呼ばれていた……?
私を誘う力に応えるように姿勢を低くし、引っ張られる先を覗き込む。
高床式で、地面との間は這って入れるくらいの隙間があった。
スマホのライトで闇を照らす。一メートル先がようやく見えるくらいの光で、その範囲では地面しかない。
でも……ざわざわと肌を撫でられる感覚は続いていた。乳臭い体臭も漂っていた。
そして。
ああんんぁぎぃあっあっあぁあん
赤ちゃんの声がした。
もう怖くない。
いや、怖いけど、今は怖さを頼りに進んでいた。この先に恐怖の根源が間違いなくあると確信させてくれる。
這っていった先、光の中にシルエットが現れる――ちょうど赤ちゃんが座っているくらいのサイズ。
本当に赤ちゃんかとも思ったけど、間近で見ると石で出来た女性の像だった。
髪が長く服は開け、赤ちゃんを胸に抱いて母乳を与えている。
はっきりと全体像が見えた瞬間、これまでと別な意味で心がざわついた。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね壊れろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ糞が死ね死ね死ね壊れろ
人生で抱いたことがないほど濃い負の感情が噴き出してくる。
わかってる……これはハナの感情。
私が目にしているこれはハナを模した「母」の象だ。
出産を司る神、自分が最も憎む存在に仕立てられたことを、ずっとずっと憎んでいたんだ。
それを感じながら、私はその像を抱き寄せ、ハナから流れ込む破壊衝動をこらえながら外へ這い出て、三人に見せる。
「四百年前……あの祠でこれが御神体として祀られてたんだと思います」
産神と言われた通り、たしかにこの像は子供が欲しいという願いを叶える。
授かるんだ、生まれることを呪い、親を憎み、殺す子供を。
それで悟ったんだ。あの少女に子宝を祈るなんてしてはならなかった。もう誰も祈ってはならない。
「村の人達は、信仰の対象にならないように、隠したんじゃないでしょうか……これを、あの滝壺に」
禁足地とされたのは、祈ってはならないこの像が眠っていたから。多分滝壺の底に沈んで。それを四百年ぶりに発見したのが、入水自殺を試みた時の由香里さん。
「あの女も……思ってた……夫や親や、自分に……『反吐が出る』って」
相川さんがぼそりと言う。その手には、真相に気づくきっかけになった由香里さんの絵馬があった。
相川さんやハナと同じく、子を望むことを「罪」と見なした由香里さんは罰を下そうとこれをここに隠し、その一人目として殺されるのを待っていた。
表向き明るく、いやもしかしたら本当に殺されるのが楽しみだったのかも知れない。
智也さんと一緒に車輪にへばりついていたという「遺書」を思い出す。車輪に引き裂かれ、ほとんどの紙片に大量の血が染み込んで読めなくなっていたらしい。
由香里さんの真意を知った今思うと、本当に彼の遺書だったのか。死の直前に彼女が見ていたあの紙……もしかしたらあれにはお前たちも同罪だという呪詛が綴られていて、それが彼を自殺に走らせたんじゃないか。
「はっ……あは、はっ」
唐突に、相川さんが口角を吊り上げ、声を漏らした。初めて見る彼女の笑顔。
汚らわしいと詰った女性が自分と同じ考えを持つに至って、結果呪いをばら撒き、大勢の死を招いた……それを知った彼女は笑みを浮かべると。
「――――――っ!!」
絵馬を地面に叩きつけ、蹴り上げる。顔を覆って、「糞、糞」と呟く。そんな彼女に私は。
「……丸屋恵那?」
相川さんが困惑した声をあげる。私は彼女をそっと抱きしめていた。
「それでいい、相川さんはそれでいいよ」
まだまだ何も知らない彼女を、私は好きになっていた。
正直で、苛烈で、優しくて、嫌いなものは嫌いなままで、幸せになってほしい。
「丸屋恵那、言い忘れてたことがある」
私の腕の中で、相川さんが泣きそうな声で言った。
「ありがとう、私を助けてくれて」
掛けられていた絵馬を漁った結果、これまでの犠牲者のうち二人の名前が見つかった。
無記名の絵馬の中にも犠牲者の書いたものがありそうだ。恐らくは、これから出るだろう多数の犠牲者も。
像は回収できたし、寺や拝殿自体に何か「力」が残っている可能性も考え、他の犠牲者の参拝が確認出来次第、寺は封鎖すると藤田さんは約束してくれた。
だけど当然、新たに取り憑かれる人は出ないというだけだ。私には相変わらずこの子が憑いたまま。他だって恐らくそうだろう。
いつ由香里さんが隠したか具体的にはわからないけど、参拝して子宝を祈った人全員と言うなら恐らく千人単位。その人達はこのままいけば殺される。
だから――。
午前二時、非常用ランタンが照らし出す本殿の中央、五日前染谷さんが亡くなった場所に像が鎮座している。
私と相川さん、小室さんが、像と対面する。
私は小室さんが倉庫から持ってきたハンマーを受け取る。
像を破壊するために。
恨みを晴らしてやる――最後に縋るのは結局それで、恨みの発端が不本意な神に仕立てられたことなら、象徴であるこの像を壊すくらいしか私たちに思いつくことはない。
石像の材質は地蔵なんかと多分変わらず、強度的には何度か思い切り叩けば十分バラバラにできる、はずだった。
問題は、「あの力」が働くかどうか。
働くならアウトだ。多分、当時の村人が破壊せず隠したのも祟りの類を恐れてだろう。
誰が危険を冒すかと言えば、当然私。
リスクを負う人間を増やすわけにはいかないし、それに何より、私がやるべきだと思った。
ハナが、あなたがやったことは許せないけど、それでもあなたの憎しみに一番触れたのは私だから。
像の前に跪き、左手で頭部を押さえると右手のハンマーを振り上げる。
忌々しい。早く消えてなくなれ。ハナの感情が満ちていく――迸る憎悪を代行するために、私は力いっぱい振り下ろした。
心の中の不安は消し飛び、壊せると確信していた。
この子自身が間違いなく望んでいる。
もはや邪魔されるなんてあり得ない。
だけど。
「っ」
音はしなかった。
叩きつけた瞬間、鉄製のはずのそれが砂鉄みたいな粒子まで粉砕され、飛び散る。
私は黒い砂にまみれ、折れた柄を手に像を見ていた。
んんんんう゛えええあああああ
怒りが恐怖へと変わり、泣き叫ぶ。
同じだ。染谷さんの時、美咲さんの時も。
いい加減「おかしい」と思った。いや、前々から思ってはいた。お祓いの時も美咲さんの時も、あんなに死や消滅を喜ぶような笑い声をあげていたのに。
私たちを弄んでいるのだと解釈してきた。
だけど、なら何故泣く。
企みが成功したんだから嘲笑えばいいじゃないか。
そういう笑みを何度も見せたじゃないか。
何故結局殺すのにわざわざ自分を孕ませるのか。
何故外敵を殺す時はあれだけ強大な力を発揮するのに、私の代わり雛はここまで持ち堪えているのか。
染谷さんを、川越先生を殺し電車を阻み、今ハンマーを砕いたのは本当にハナなのか。
この子は一体何に恐怖しているのか。
「丸屋恵――あ」
背後から呼ぶ声が途切れる。振り返ると、そこに「答え」が顕現していた。
「相川さん……?」
「愛ちゃん」
相川さん、相川愛本人のはずだ。
だけど私のすぐ目の前に佇む彼女は見たこともない優しげな笑みを浮かべ、その胸にハナを抱いている。
今壊そうとした像のように。「慈母」と形容してもいいような佇まいで、けれど抱かれたハナには安らいだ様子は一切なく、その腕の中で激しく暴れ、必死で逃れようとしている。
相川さん……じゃない。
川越先生と染谷さんを殺したものが、今彼女に憑いている。それは腕の中でもがくハナを何も気にしない様子でこちらへ視線を向けた。
「あなたは、あなたが……」
動けずにいる私に彼女は何も言わないまま歩み寄り、腕に抱いたハナを差し出した。
「自由に、してあげて……消えさせてあげてよ……」
それは微笑んだまま、私の懇願を無視した。恐怖に泣き叫ぶハナの魂が、私の胎内に戻ってゆく。
また、頭の中でヴィジョンが再生される。
あの洞穴で、あの中年女が、ハナの母が祈りを捧げていた。ひっつめにしていた髪が乱れ、ガリガリにやせ細って、多分もう長くないだろう体で涙を流しながら手を擦り合わせている。
愚かな娘をお救いください。せめて次こそは私みたいに穢れた親じゃない、真っ当なところの真っ当な子に生まれさせてやってださいと。
「これ」は願いを聞き入れた。
思えば、染谷さんも川越先生も祈りの姿勢で殺された。
神に仕立てられた人間の霊なんかじゃない。古代から信仰され、絶対的な力を持った、染谷さんも相川さんも見たことがないと言っていたものを私は見ているんだ。
神。本当の。
私にハナを返すと、相川さんの顔をしたそれはまた私に笑いかけて――。
「…………私」
何も憶えていない様子の相川さんと唖然としている小室さん、無傷のままの像、私と、そしてハナが残された。
「丸屋恵那、生きて、何が……」
その場にへたり込んで立つ気力のない私の前に二人が歩み寄る。私はぽつぽつと二人に、今見た「真相」を語った。
あの像に子宝を祈った者に邪坊が憑くというのは間違いじゃない。だけどそれは、あの子達の意思じゃない。
子の魂を司る本当の神がハナの呪いを鎮め、彼女や他の多くの水子の霊を、子宝を祈った女性に宿らせた。恐らくはハナの母が望んだような救済として。
自分が宿した霊の存在を脅かす者、生まれることを妨げる者をあれは決して許さない。だから染谷さんと川越先生を殺し、優真くんの魂を消滅させ、電車を破壊した。
当の彼ら自身が母胎を殺して産まれることから逃げようとしても逃げられない。子供を望む者がいる限りは。
子を宿らせ、子を守る神と母胎を殺す子――「邪坊」はその二つで成り立っていた、と。
全て聞き終えて、しばらくは二人とも信じられないという様子だった。
「神って、あの、あの神様とは、ちがうの……?」
小室さんが、祭壇に祀られた御神体の石を指して聞く。あれと一つの存在なのか、別々で、こちらの方が格上なのか、わからない。きっと誰にも。
ただ、力では到底太刀打ちできない。
私が無事で済んだのは、ハナを宿しているからだろう。そうでない人間は邪魔しようとすれば一切容赦なく殺される。私たちには障らないようにするしかない。
ガンッ……と音がして、拝殿が小さく揺れた。
相川さんが壁に拳を叩きつけていた。
お寺の時とちがう、ただただ悔しそうな様子で。
染谷さんの仇だと思ったものもまた、彼女が一番憎む存在に支配されていた。仇は討てない。私や他の取り憑かれた人たちも助からない。
やがていつかのように、相川さんの嗚咽が本殿に響く。
それを聞きながら私はあることを考えていた。
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