第38話

「和馬くん、明日が最後……だよね」


 食器をさげてきた光莉先輩が、洗い場越しにひょいと覗き込んできた。


「光莉先輩、よく憶えてますね」


「まだゲームで勝ててないの?」


「まだ勝ててないです」


「彼女さんは、明日になったらいなくなっちゃうの?」


「そう、です」


「やっぱり彼女なんだ」


 光莉先輩は複雑そうに笑う。


「あ、いえ……アイツは彼女っていうか、俺にとってはゲームのヒロインみたいな人なんです」


 そう、ほたるは俺のヒロインだ。ゲームのヒロインとは言ったけど、俺にとっては本物のヒロインなんだ。


「ヒロインかぁ……ねえ、和馬くんはその人のことが好きなんでしょ?」


 ううっ……とお皿を洗う手が止まる。


 好きなんでしょ? と聞かれたら、そりゃあもちろん好き……なんだ。俺はほたるのことが好きなんだ。でもアイツは……。


「だったら、ちゃんと伝えた方がいいと思うよ」


 光莉先輩はぐいっと頭を入れて俺に近づいてきた。危うく鼻と鼻がぶつかりそうな距離まで来て、それから「あっ」と言いながら身体を引っ込める。


「私ね、好きな人がいるのは幸せなことだと思うの。その人のことを想って、その人が好きなものが気になって、自分でも同じことをしてみようと思うの」


「同じことを、ですか」


「和馬くんはゲームが好きで、彼女さんもゲームが好きなんでしょ? 最初から好きなことが同じで、お互いの好きなことを知ってて、ふたりで同じ舞台に立ってる。それってすごく羨ましいよ」


 視線を斜め下に移した光莉先輩は、どこか悲し気だった。しかしそれもほんの一瞬で、


「だから私も、諦めないでゲームしようって決めたの」


 すぐにパアっと明るい笑顔に戻った。


「そこでどうして光莉先輩のゲームが出てくるんですか?」


 と問いかけてみるが、ちょうどその時に来客を知らせるメロディが鳴る。光莉先輩はペロっと舌を出すと、


「内緒」


 可愛らしく言いながらパタパタと駆けて行ってしまった。


「ええ? ちょっと光莉先輩、内緒ってどういうことですか」


 頭を横に動かしながら目で追うが、光莉先輩はいつものスマイルで常連らしきお客を出迎えていた。


「ったく、鈍いな。和馬は」


 そんな俺の後ろで、オーブンから熱々のマカロニグラタンを取り出した冨澤さんがボソリと言う。俺たちのお喋り、いつも聞いてるんですね。


「だって冨澤さん、内緒って言われたらわかんないじゃないすか」


「ああ、鈍い鈍い。和馬はホント鈍い」


 見事なキツネ色の焼き目がついたグラタンに粉チーズを振りかけると不機嫌そうに、


「マカロニグラタンできたよ、六番」


 とホールに声を掛ける。


「じゃあ冨澤さんは、さっきの意味わかるんですか?」


「オレは和馬と違って大人だからな」


「じゃあ教えてくださいよ」


「けっ、内緒だよ!」


 冨澤さんはまるで吐き捨てるようにそっぽを向いた。


「それ、冨澤さんが言うと可愛くないですよ」


「んだと和馬、そろそろお前にも料理をやらせようと思ってたのに、どうやら皿洗いから離れたくないみたいだな」


「うわああっ、それ今言います?」


「けっけっけ。オレに料理を教わりたくないのか?」


 居丈高に腕を組む冨澤さんは、ちっとも大人っぽくない。


 なんて思ったけど、俺は今日初めてスパゲッティ・ナポリタンを教わることができた。

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