第36話

 帰宅した俺は、バイトでもらった賄いの余りを広げる。今日の食事は魚介のパエリアだ。


「といっても魚介はイカしか入ってないけどな。ご飯と魚介スープが余ったから、冨澤さんが作ってくれたんだ」


 家ではなかなか作れない豪華なメニューだ。レンジで温めると、ふんわり魚介のいい匂いがする。しかしテーブルの向かい側では、食いしん坊大魔神のほたるが不服そうな顔をしていた。


「レタスチャーハンが食べたかった」


「今日はこれで勘弁してくれよ。せっかく作ってもらったんだからさ」


「ぶぅ」


 ほたるは豚みたいな鳴き声をしながらも、パエリアはしっかり食べる。文句を言ってるけど美味しいだろ?


「レタスチャーハンは明日作ってやるから」


「わかった。絶対だぞ」


 と言って、ほたるはパエリアを半分俺に残してくれた。どうしたんだよ、らしくないじゃん。


 食事が済んだらゲームで勝負だ。タイムリミットまであと三日、


「よし、今日こそほたるに勝つぞ」


「和馬は少し寝てからね。寝ないと勝負してやんない」


「俺は平気だって。後で少し寝るからさ」


「そんなこと言って、やり始めたらまた夜までずっとになっちゃうでしょ」


 まあ、たしかにそうかもしれないが。


「少し休みなよ。あたしは逃げないからさ」


 と、ほたるは優しい眼差しで俺に言った。まるで俺のことを心配する彼女みたいだ。


 どうしたんだよ、らしくないじゃん。


 時刻は午前九時過ぎ。


 いつもみたいにイジワルな言われ方をしたら反発するところだけど、あんな目で言われたら素直に聞くしかないか。


「じゃあ昼には起こしてくれよ、三時間も寝れば十分だ」


 と、俺はソファにゴロリと横になった。今ではすっかりここが定位置だ。


「はいはい、あたしとエロゲしてる夢なんか見るなよ?」


 なに言ってるんだ、そんな夢見るかよ。見たいけど。


 静かな部屋の中で、俺はゆっくりと眠りに落ちた。どうしたものか、俺が寝ている間にテレビの音もゲームの音も聞こえてこなかった。


 深い海の底で眠っていたような意識が次第に浅く、浅くなっていく。やがて水面に顔を出すように目を開くと、薄暗い部屋は物音一つしない空間だった。


 時計を見ると十四時、俺の身体には布団が掛けてある。


「ほたる?」


 ベッドにはいない。部屋の中にもいない。俺は起き上がりキッチンに顔を出してみるが、トイレは電気が点いていないしバスルームもひっそりとしていた。


「ほたる?」


 まさか、俺が寝ている間にどこかに行ってしまったのか? それとも……


「あれえ、もう起きちゃったの?」


 ガチャリと開いた玄関のドアから、長い金髪を揺らして入って来たのはほたるだった。


「ど、どこ行ってたんだよ。起こしてくれって言ったのに」


「ごめんごめん、ちょっと出掛けてたの」


「出掛けてた? 一人で?」


「これ貰ってきたんだよ」


 そう言って俺に見せてきたのは、モグラの人形?


「これをどこで?」


「この間のゲーセンだよ。あたしがモグラ叩きでパーフェクトを出したでしょ。その時の賞品もらってなかったの」


「よくそんなの憶えてるな」


「ここに飾っておくね」


 ほたるはモグラ人形をゲームソフトが並ぶ棚にぽそっと置いた。人形一つでたちどころに女の子がいる部屋っぽくなる。


 ……いや、部屋の隅にパンティーとブラが脱ぎ捨ててあるから、そっちの方が女の子か。相変わらずだな。


「よし、それじゃあ勝負開始だ」


 PlayVacationに入れっぱなしのマリヲカートを起動させ、俺はビビンパ、ほたるはマリヲでレース開始。


 残り三日、それまでに何としてもほたるに勝つ。「チュー」も「ギュっ」も「エロゲ展開」も必要ないんだ。俺はこうして、ほたるとゲームをしているのが何より楽しい。


「だあっ! くそ、また負けたか」


 とはいえ、そう簡単に勝てないのがこのヒロイン様のヒロイン様たる所以である。今日も今日とて、何度対戦してもほたるを追い抜くことができない。


「んん、惜しかったな和馬」


「もうちょっとなんだけどなぁ。ほたるとの差は縮まってる気はするんだ」


 ん? ……差が縮まってるって?


 おかしいな、俺のラップタイムは縮まってないのに。


 そうだ。俺のタイムはほとんど変わってない。今だって限界を攻めたけど、自己ベストが出ているわけじゃない。なのにゴールした時にはマリヲの姿をもう少しで捉えることができそうなくらい近づいている。


「まさかほたる、手加減してるのか?」


「するわけないじゃない」


 だよな。俺との真剣勝負、ほたるが手加減なんかするはずないよな。でも――


「あたしが遅くなってるの、どうしてだろ?」


 ――これなら、もう少しで勝てるか?


 次レース、俺のビビンパがマリヲの背中を追う。コーナーギリギリを攻めて、ストレートで加速する。


 隣に座っているほたるも真剣な眼差しでコントローラーを操っている。手加減なんかしちゃいない。


 その証拠にほたるの身体は、例の「チートモード」で発光している。


 が、いつもより光が弱々しい。


 ファイナルラップ、S字カーブを抜けて視界の先にマリヲが見えた。ホームストレートに入り、ビビンパが加速する。最高速度に達して、


「並んだ!」


 ほとんど同時にチェッカーフラッグが振られた。


「おお! 同着か!?」


 目視では優劣が判別できないので、ここで写真判定がコマ送りされ、


「……」


「……」


 ほとんど同時。でもマリヲの方がほんの少しだけ先にゴールラインを越えていた。


「ぐああっ! 僅差で負けた」


 惜しい。なんて惜しいんだ。コンマ数秒、いやほんとに僅かの差でまたしても負けているなんて。


『マリヲ WIN』


 写真判定のコマ送りから、マリヲのウィニングランが映しだされた。俺のラップタイムは特段に速いわけではない。


 ほたるがコントローラーを置くと、淡く光る身体が静かに消えていく。


「和馬、そろそろバイトの時間だよ」


 そう言って俺を見つめる目は、なんていうか――いつものほたるらしくない弱々しい眼差しだった。


 儚くて、触れたら壊れてしまいそうな。


 それに、なんとなくほたるの口調が女の子っぽくなってる気がした。

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