第22話

 ほたるはずっと寝たままで、眠っているのか起きているのかまではわからないけど猫のように丸くなっていた。


 で、俺はというと、あのままキッチンで寝たから身体が痛いし汗はびっしょりだし、猫だってもっとマシな寝床があるぞ。


「じゃ、バイトに行ってくるから」


 返事はなし。


「飯は冷蔵庫に入れてあるから、温めて食べろよ」


 返事はなし。


 あああっくそ。どうして俺はこんな不貞寝ヒロインに食事まで作ってやってるんだ。


 ついでに外は雨がざんざんと降っていて、俺はイライラのボルテージをランクアップさせる。バイト先が徒歩十五分の距離でも、雨の中を行くのは憂鬱なんだ。


 コックコートに着替えて休憩室に行くと、光莉先輩が虚ろに座っていた。


「光莉先輩おはようございます」


「お、おはよう」


「雨すごいですね。ここまで来るのにズボンも靴下もビショ濡れでしたよ」


「……」


 返事はなし。ゆっくりと、深い呼吸だけ。


「こんな天気じゃ、今日はお店ヒマになっちゃいますかね」


「……うん、大丈夫。もうちょっとだから」


「え? 何がです?」


「え……あ、えっと。何でもない」


 会話が噛み合ってないです。どうやら俺の話は耳を素通りしているみたいだ。


 家ではほたると険悪だし、バイトに来たら光莉先輩は元気がないし、あと靴下が濡れてて気持ち悪いし、今日は厄日だ。


 そもそもほたるの態度が気に入らないんだ。ゲームの望月ほたるはもっとお淑やかで素直で優しかったのに、我が家のほたるはズボラで口が悪くて性悪で、これをバグと言わずに何といったらいいんだよ。


 ああ、思い出したら腹が立つ。


「おい和馬」


 洗い場を始めた俺の後ろから、冨澤さんがフライパンを振りながら声を掛けてきた。


「洗い方が雑だ、もっと丁寧にやれ。商売道具だぞ、それ」


 ガチャガチャと音を立てて洗う俺を咎めているのだろう。イライラして乱暴になっているのが見透かされていた。


「す、すいませんっす」


 冨澤さんはふんわりと大きなオムレツをケチャップライスの上に乗せる。オムレツに切れ目を入れて広げると半熟玉子が優しく広がり、ホワっと湯気が立ち上がる。


「お前ら、ケンカでもしたのか?」


 ギクっと心臓が鳴り、ツルっとお皿を落としかけた。両手で押さえてセーフ。


 ケンカしたわけじゃないけど、アイツが一方的に不貞腐れてるだけであって、だいたいゲームから飛び出して来たらキャラが崩壊してるとか、これはもうバグと呼ぶしかないって話なんすよ。


「今日はゲームの話をしないじゃないか」


 冨澤さんはオムライスの仕上げにデミグラスソースをかけると、首を屈めてホールを覗き込んだ。


「……ああ、光莉先輩ですか」


 ほたるのことかと思った。


「お前が彼女なんか連れてくるから、光莉ちゃん怒っちゃったかもしれないな」


「アイツは彼女じゃないですから」


「なに言ってんだ、同棲してる彼女なんだろ?」


「違うんですって。アイツが無理やり押しかけてきたっていうか、俺も困ってるんですよ」


「押しかけ女房か、いいねぇ。ますます羨ましい。オレなんか未だに独身で彼女ナシ……この料理を振舞う相手もいないんだ……」


 フライパンを洗いながら、ちょちょぎれそうな涙を袖にこすりつける。冨澤さん、キャラが崩壊してますよ。


「それより、どうして光莉先輩が怒ってるんですか。俺、なにか変なこと言いました?」


「ん? そうじゃなくて――」


 今度はフライパンにオリーブオイルを入れて、スライスしたニンニクと鷹の爪を熱していく。ほのかなガーリックの匂いが、キッチンの中に充満した。


「光莉ちゃんはさ、和馬のことが好きなんじゃないか?」


「なわけないです!」


 茹でたパスタを加えてフライパンを回すと、


「だって光莉ちゃん、今までゲームやってるなんて聞いたことなかったぞ。それが和馬が入社してゲームの話ばっかりするようになってから、あの子もゲームを始めたみたいだし」


「そう、なんですか?」


 そういえば、デビルハザードも上手くないみたいだし、マリヲカートも100㏄クラスってことはまだ初級者レベル。始めたばっかりだったんだ。


「好きな人と同じ舞台に立とうって光莉ちゃんを見たら、そうなんじゃないかと思ってな」


 光莉先輩が、俺を……?


 冨澤さんが言った「舞台フィールド」ってのは、ゲームのことを言っているんだろう。


 フライパンでくるりとパスタを躍らせた冨澤さんは、皿に盛り付けパセリを振ると伝票を取った。


「ペペロンチーノもできたぞ」


 それを光莉先輩がトレイに乗せ、ホールに運んでいく。洗い場から見えた光莉先輩は「お待たせしました~」と愛想のいい笑顔で料理を置き、


「いつもありがとうございます」


 と常連らしきカップルのお客に話しかけている。


「このペペロンが旨いんだよ」


「え~、わたしにもひと口ちょうだい」


「やだよ、もう一皿頼めばいいだろ」


「あっくんのケチ~。いいもん、わたしのオムライスもあげないから」


 なんて会話をしている仲の良さそうな二人を、光莉先輩は優しく見つめていた。


「デザートは後でお持ちしますので、ごゆっくりどうぞ」


 ペコリとお辞儀をして、今度はレジへ向かう。


 見た目が幼くて可愛らしい、誰からも好かれる穏やかな性格で仕事は一生懸命。いつも笑顔で接するから、光莉先輩を目当てに食べにくるお客も多いらしい。


 いわゆる看板娘というやつだ。そんな女の子がゲームばっかりやってる俺のことなんて……。


 俺は汚れを落とした皿やコップを洗浄機に入れてスイッチを押した。「ピッピッ」と二回、洗浄開始の音が鳴る。


 湯溜めしておいたシンクの栓を抜くと、ぬるくて濁った湯が渦を巻いていく。


「冨澤さんの深読みですよ」


「……そうかもな」


 冨澤さんはデミグラスソースをかき混ぜた。


 俺はこのレストランの見習いバイトで、ゲームばっかりやってる自称エロゲーマーだ。ゲームのヒロインが飛び出してきて我が家に寄生して、そいつが店に来ちゃって「彼女と同棲してる」なんて誤解されて……。


 だから光莉先輩は元気がないのか? 俺を避けてるのか?


 もし冨澤さんの言うとおり、光莉先輩は俺の舞台に近づくためにゲームを始めたんだとしたら……。


 俺がマリヲカートの話をしたから同じゲームをやっているんだとしたら……。


 俺が「彼女と同棲してる」って知って、落ち込んでるんだとしたら……。


「いや、それは深読みだな」


 俺はそう呟いて、自分に言い聞かせた。

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