006 文系男子の説得

 蒼葉が稲穂の実家を訪れたのは、丁度昼食時だった。

 本来ならば配布物を届けてくれたお礼も兼ねて、穂積が昼食をご馳走してくれる予定だったのだが、急な仕事のために家を出てしまって、今は蒼葉と稲穂しかいない。

「大方、債務者が逃げたか審査で多重債務者マルチだって気づかなかった社員が慌てて報告してきた、ってとこでしょう。ほっといていいわよ」

「そういうものなのか? 金融業の急な仕事って」

 家に上げられた蒼葉は、今は稲穂と向かい合って冷茶を飲んでいる。仕事が入る前に穂積が淹れていったものだ。

「……で、少しは落ち着いたのか?」

 蒼葉の問いかけに稲穂は答えず、黙って空の湯飲みを投げつけてきた。

 普段から手をあげられている蒼葉には予想がついていたので、あっさりと受け止めて、お茶と共に用意されたちゃぶ台の上に湯飲みを戻している。

「お前な……このままだと、しばらく謹慎だぞ」

「ふん……」

 湯飲みを投げつけた姿勢から身を引いた稲穂は、正座に戻らず片足を上げて、抱え込むように座り込んだ。その様子を蒼葉は、ちゃぶ台の対面で足を崩しながら見つめている。

 しかしこのままでは話が進まないと、蒼葉は稲穂を見つめるのを止めた。

「とりあえず飯にしよう。出前取るか?」

「…………寿司、特上で」

「貰った金と手持ちを合わせても、全然足りんわ」

 いっそ回転寿司にでも行くかと考えた蒼葉だが、勝手に稲穂を連れ出してもいいのかと、少し悩んでしまう。

「仕方ない、適当に何か作るか……台所を借りてもいいか?」

「好きにして……でも何もないと思うわよ?」

 蒼葉は稲穂に案内されて台所に向かうが、実際何もなかった。

 冷蔵庫はビール缶のみ。戸棚にはつまみにしているのか乾き物の菓子類と缶詰だけで、米や生ものが一切ない。辛うじてあると言えば、前におすそ分けで貰ったそうめんがここにも仕舞われているということだけだ。

「親父一人の時は、基本買い置きしないのよ。私が帰って来てから買い込んだ分は、昨日食べきったから今日買い出しに行くつもりだったし。プハァ……」

「マジかよ……って、お前何飲んでんの?」

「ビール」

 お前未成年だろ、というツッコミはない。

 差し出されたビール缶の表示をよく見てみると、ノンアルコールビールだった。だからと言って未成年が飲んでもいいのかという疑問もあるが、蒼葉は気にすることなく、稲穂から差し出された缶を受け取り、プルタブを開けた。

「置いてあるの、って全部ノンアルコールノンアル?」

「そう、私が飲まないように」

 初めて飲むビールの味に微妙な顔を浮かべながら、蒼葉は稲穂の方を向いた。

「昔煙草ケムリ吸ってたから、置いておくと勝手に飲むって思われてるのよ。空手始めてからはめたし、元からアルコールに興味はなかったけれどね」

「実際、飲んでるしな。ノンアルコールノンアルだけど」

「人に駄目って言われると、無性にやりたくなることって、ない?」

 蒼葉は目を逸らした。稲穂は気にすることなく、缶の中身を飲み干した。

「まあ、アルコールそのものは飲んだことがないから、どうなるかは知らないけど」

「そもそも飲もうとするなよ未成年」

「人生、そんなもんよ」

 飲み干した缶に水道水を流し入れ、軽く振ってから逆さにして流しに置いた稲穂。

「『人間、どうあがいても失敗するんだから、成功だけ考えていればいい』、ってね」

「誰の言葉だよ?」

「中学時代の顧問の言葉。切っ掛け一つで簡単に道を踏み外せるんだから、頑張れるうちは気にせず頑張れって意味」

 ノンアルコールノンアルとはいえビールを飲んでいたくせに、妙に行儀のいい稲穂の言葉に耳を傾けながら、蒼葉も同様に飲み干し、缶を片付けた。

「その顧問、言葉がうまいな。結果を気にせず、とにかく練習に集中させるには最適だな」

「実際、ずっと巻きわらを突いていたしね」

 少し前に、稲穂は天才タイプか秀才タイプのどちらかだと思っていたが、どうやら後者らしい。蒼葉はそのまま、ずっと気になっていたことを聞いてみた。

「どんな人なんだ? その顧問、って」

「ただの格闘技好きバトルマニアよ」

 腕を組んだまま天井を見上げる稲穂は、そのまま近くの壁にもたれかかった。

「ベースは空手なんだけど、武術や格闘技ってジャンルのものは片っ端から覚えていく女だったわ。教師をやっていたのだって、図書室にこっそり、関連資料を揃えるためだって言ってたしね」

「すごい公私混同だな……」

「そのために教職員用の図書館司書の資格を取ったって言ってたほどだし、正直呆れてものも言えなかったわ」

 教師を辞めた理由は図書室の私的利用がばれたからじゃないのかと、蒼葉は疑ってしまう。稲穂も同様に疑っているのか、考えを読んだかのように頷いている。

「私も教頭を恐喝した時にかばってくれたのかと思ったけど……よくよく考えたら、それ理由にして闇討ちするような人間だから、恐らく別件ね」

「生徒に悪影響じゃないのか、その教師」

「少なくとも間違った指導はしていないわよ。まだまともなんじゃない?」

 再び漁ってみると、奥からチューブの生姜が出てきた。

 そうめんを茹でて生姜と麺汁めんつゆを混ぜれば、どうにか一食分にはなるだろうが、高校生には微妙に物足りない。

「後は缶詰でも開ければ何とかなるか。適当に開けて盛り付けてくれるか?」

「結局食べに行かないの?」

 流し台の下を覗いていた蒼葉は、表情を少し抑えながら稲穂を見上げた。

「……寄り道せず、まっすぐ家に帰ってこれるのか?」

「何? 復讐するな、って言うの?」

「やり方を考えろ、って言ってんだよ」

 戸を閉じ、蒼葉は静かに立ち上がった。

「相手から受けた仕打ちに対して耐えろなんて言えるほど、俺も善人じゃないしな。復讐自体止めるつもりはないよ」

「ならいいじゃない。そのままほっとけば、っ!?」

 そのは、稲穂の顔の横を突き抜け、もたれていた壁に強く押しつけられた。

 壁とが衝突する音に、稲穂は軽くひるむ。

 いや、それ以上に、




 至近距離と呼べるまでに顔を近づけてくる蒼葉に、稲穂は身がすくんで動けないでいた。




「な、何よ……?」

「……背負えるのか?」

 今まで見せたことのない雰囲気に、稲穂は気圧されている。しかし蒼葉は構わず、真っすぐ見つめたまま、言葉を投げかけていく。

「人を殺して、その周囲から恨まれる覚悟はあるのか? 相手を傷つけ、無駄に怨嗟えんさを乱立させたせいで自らを危険に晒す覚悟はあるのか? ……人を殺して、その罪を抱えたまま残りの人生を終える覚悟はあるのか?」

「何言っているのよ、あんた…………」

 蒼葉が何を言っているのか、今の稲穂には理解できなかった。

 ……次の言葉を聞くまでは。




「……お前を捨てた母親ひとはな、一流の技術を持つ医者なんだよ」




 稲穂は、言葉を失った。

「多分、捨てた子供お前が死んだと思って、贖罪しょくざいとして救える命を片っ端から治療した結果だろうな。今でこそ小さな診療所の開業医なんてやっているが、その気になれば、大病院で働いていてもおかしくない人材なんだよ」

 稲穂が何も言わずとも、蒼葉は止めることなく続けていく。

「だからあの人に感謝している人間も多い。たとえ、過去に何があろうともだ。……それがどういうことか、分かるか?」

「…………今度は私が狙われる、って言いたいの?」

 一度首肯してから、蒼葉はようやくを降ろした。

「憎しみが連鎖する、なんてよくある話だろ」

「だから我慢しろ、って?」

「だからやり方を・・・・考えろ・・・って、さっきから言ってるだろうが」

 稲穂の横に立って壁にもたれていたが、蒼葉はそのままずるずると、腰を降ろしていく。

「たしかにあの人に恩を感じている人間は多い。俺もある意味、その手合いだからな。まあだからって……それで金子誰かが我慢しなければならない理由なんて何もない」

 そして、同じように殺す理由もない。

 言葉にされたわけじゃないが、そう言っている気がした稲穂は、同じく床に座り込んで、蒼葉と共に前を見た。

「訴えたいなら、親父が知っている弁護士を紹介してやるよ。世間にばらしたいなら、マスコミ関係でもいい。別に殺さなくったって、復讐はできる。……金子が無理に、手を汚す必要はどこにもないんだよ」

「…………」

 復讐に、綺麗も汚いもあるのだろうか?

 稲穂は黙ったまま、両膝を抱えて顔をうずめていく。どうするべきか悩み、やがてどう悩んでも答えが出ないので、蒼葉に問いかけた。

「じゃあ……あんたならどうするの?」

「……後悔させる」

 即答、とは言いがたいが、蒼葉は稲穂にそう答えた。

「そのあやまちを徹底的に責める。二度と同じことをさせないために、二度とそんな考えを持たせないように、相手が心の底から悔い改めるまで責め続ける」

 言葉が途切れる。そして、次に出た声のトーンは変わっていた。

「……ま、そのやり方を考えていて、あっさり殺人に傾いちまうんだから。本当に短絡的だよな、人間って」

「それは否定しないわ……」

 緊張が解けたからか、身体が本格的に空腹を訴えてくる。

 そうめんを茹でようと立ち上がり鍋を探し出す蒼葉。

 しかし稲穂は、そんな蒼葉を止めて、自らのアップルフォンを取り出してみせた。

「やっぱり出前取りましょう。もうピザとかでもいいから」

「……じゃ、そうしよっか」

 出前のチラシを取り出してゆっくり見ようと、二人は先程の居間へと戻っていく。

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