005 理系女子の新学期

 今日から新学期。

 大半の人間は長期休暇が終わったことに絶望し、さらに学生は宿題をこなしていなかったことに気持ちが崖っぷちになり、ましてや高校二年生だと人生を左右する大学受験を目前にして現実から飛び降りたくなる時期だった。

 そんな中、地域で三番目くらいに偏差値の高い進学校である角銅かくどう高校に、一人の転校生が現れた。

「ここが俺の新しい高校縄張りか……」

 彼の名前は増尾ますお虎太郎こたろう

 高長身を包む長ラン(転校前の高校の制服を改造したもの)と茶髪のロンがトレードマークの分かりやすい不良である。増尾は周囲を見渡し、大したことはないと鼻で笑ってから、校門の方へと歩き出した。

「何事も最初が肝心だ。決めるぜ……!」

 気合は十分、軽く拳を握りしめていると、増尾に近づく男がいた。微妙に色素が薄い黒髪の男で、周囲からの挨拶にも一つ一つ応えている。

「君が転校生ですか?」

「そうだ。俺は…………船本ふなもと斗真とうま?」

「あれ、俺のこと知っているの?」

 船本斗真。角銅高校生徒会長にして、この辺りでは名の知れた元不良。いや、別の意味でも有名人ではあるが、増尾が気にしているのはそこではない。

(数年前は喧嘩で鳴らした男が、なんでこんな半端に偏差値が高い所にっ!?)

 増尾は転校する際、事前に周辺の不良情報を漁っていたのだ。

 目的は学校の生徒全員を統べる番長となり、高校を中心に喧嘩で名前を挙げようという、元号を二つくらい戻した思想に取り憑かれているからだ。

 そのために喧嘩しか能のない連中がこないだろう、偏差値の高い高校をわざわざ選んだのだ。それがあっさりと覆されたのだから、今までの苦労は無駄になる。

「あ、ああ。いや……俺、こんななりだから、不良とかでヤバいのがいないかちょっと調べて、て、な。せっかく髪を染めたのに、面倒なのに関わるのもごめんだし」

「じゃあ最初から染めるなよ」

 もっともな意見である。

 しかし、増尾は船本のツッコミを気にしていない。まだ大丈夫だと、自分に言い聞かせるのに忙しかったからだ。

(そうだよ。よく考えたらヤバいのは船本こいつだけだ。それさえ避けとけば……)

 すでに学校の天辺に立つという言葉に矛盾しているが、増尾は気づくことなく船本に手を伸ばす。

「とはいえ、よろしくな。俺は増尾っ!?」

「せんぱ~いっ!」

 しかし、増尾は後ろから来た少女に突き飛ばされてしまい、バランスを崩したまま地面に倒れ込んだ。

「先輩お久しぶりですぅ! 夏休みの間、あまり会ってくれなかったから寂しかったんですよぉ」

「ああ、うん、ちょっと忙しくてな……」

 生徒会長としての仕事が忙しかったのは事実だが、実際はバイトをしていたからだ。でないとデートの資金が足りなくて足が出てしまうのだ。そして周囲が・・・船本の財布に同情するようなことになれば、絶対に面倒なことになりかねない。

「ってて……てめぇ一体何、を…………あくつ瑠伽るか?」

 船本にまとわりつく金髪ギャルを見て、怒ろうとした増尾の顔は、一瞬にして青白く染まりきってしまう。

「あ、圷会の一人娘おんなが何でここにっ!?」

「……船本先輩、こいつ知り合いですか?」

「圷、この人転校生だけど先輩、こいつ言わない」

 返事と共に元気よく手を上げるスレンダーギャルを、増尾は信じられないものを見る目で見つめていた。

(有名な喧嘩屋の次は堅気カタギに近いとはいえヤ○ザの娘って……どうなってんのこの学校っ!?)

 どう考えても命が足りない。名前を挙げようとしても、その前に確実に潰されてしまう。そうなるくらいなら、いっそ……いっそ?

 そう考えていた時、増尾の脳裏にある疑問がぎった。

「……あれ、もしかしてこの学校って、本当は偏差値の低い不良の巣窟そうくつ?」

「いや普通に高ぇよ。俺とこいつが受験時に苦労しただけで」

「船本先輩、こいつ言わないでください」

「はいはい、悪かったな圷」

 つまり、この二人にさえ関わらなければ、学校の番を張るという目標が達成できる。

 果たしてそれが達成していることになるのかははなはだ疑問だが、それでも今の増尾にとっては、すがるものがそれしかない。

「ち、ちなみに……この学校の番は?」

「番? ……ああ、番長のことか。そういうのはいないな」

「何を言っているんですか? 船本先輩がこの学校の番でしょう」

「いや俺ただの生徒会長」

 増尾は方針を変更しようかと考えた。

 番長とはすなわち学校の天辺に立つ存在であると同時に、ある種の抑止力である。

 この学校にも多分、いじめとかがあるだろうから、その加害者いじめっ子を締めあげて慕われていき、最後には頼れる頂点、つまり番長になる。生徒会長はどうせ雑用係のトップってだけだろうし、関わらなければ問題ない。

「……よし、決まった」

「船本先輩、この人なんなんですか?」

「多分番格とか、そういうのに憧れているんだろう。校則さえ守ってくれれば、俺は特に気にしないし」

 後は加害者カモを見つけて締め上げればいい。それを繰り返してさえいけば、いずれ番長になれる。

 そんな増尾の葛藤などいざ知らず、圷はふと、船本の方を向いた。

「そういえば船本先輩。なんで先輩が転校生を迎えに来ているんですか? そういうのは先生の仕事じゃあ……」

「ああ……ちょっと金子がトラブってな。今職員室はてんやわんやなんだわ」

「……いじめか?」

 増尾センサー(適当)が働き、いじめかと思い船本に問いかける。

「いじめならまかせろ。俺が解決して…………今、金子って言ったか?」

「言った。ついでに言うと、そいつは昔『金剛姫』とか呼ばれてた金子稲穂って『元インテリヤ○ザもどき』な」

「先輩、それ金子先輩に聞かれたら殺されますよ」

 開いた口がふさがらなかった。

 金子稲穂。中学時代の悪行は有名で、元空手部主将かつ不良共の纏め役にして、教頭すら恐喝した経歴を持つ少女。そんな相手もここにいると知り、この学校はある意味魔窟ではないかと勘ぐってしまう。

「後な、この学校半端に偏差値が高いから、平気で人をいじめるような選民思想や脳筋主義の連中は基本的に入らないし入れないから最初からいないぞ」

「そういえばこの学校でいじめって、あまり聞きませんね。私も家のことで怖がられているけど、孤立するほどじゃないですし」

 ……どうやら入る学校を間違えたらしい。

 増尾には勝てない人間が跋扈ばっこし、いじめも起きてないので拳はかえって邪魔になる。ここまで古き良き番長の要らない学校も、ある意味珍しいのかもしれないが。

「……まあ、他校からカツアゲ受けることもあるから、案外拳も必要だったりするけどな。なんなら放課後の見回り付き合うか?」

「お願いします……」

 増尾虎太郎、ある意味船本にくだった瞬間である。

「じゃあ、職員室へ行きがてら校内案内するから、ついてこいよ」

「あ、ああ。よろしく……」

(しばらくおとなしくしよう……)

 増尾は心の中で、そう誓った。

 船本と増尾、そして圷は三人並んで遠回りしながら、職員室へと向かっていった。

「そういえば船本先輩、金子先輩に何かあったんですか?」

「いや、俺も詳しくは聞いていないんだが……」

 頬を掻きつつ、船本は圷(とついでに増尾)に話した。




「理由は知らないが、精神的に荒れているらしい。停学喰らった過去もあるから職員室は学校間の問題かと勘ぐっているみたいだが、黒桐から聞く限りは別件だってさ」




 その別件のために、稲穂は今日、学校を休んでいた。

 あのフリーマーケット以来、稲穂は実家に帰らされて、ずっとそこを出ていない。いや、出してもらえなかった。

「親父……今日から新学期なんだけど」

「学校には休むと伝えている。配布物も後で蒼葉君が届けてくれることになった」

 そう答えたのは稲穂の父親に当たる、枯れ木の様な印象を持つ人物、金子穂積だった。

 厳密には義理の兄に当たるのだが、詳細は第一巻を読み返していただけると助かります。それだけ込み入った家庭環境なので。

「そもそもな、稲穂。お前……外に出てどうするつもりだ?」

「普通に学校に行くつもりだけど?」

「そういう台詞セリフはな…………」

 二人がいるのは居間。

 畳張りの純和風の部屋で正座し、向かい合っていた穂積は立ち上がると足を踏み鳴らしてから、稲穂の横に置いてあるものを指差して吠えた。

「…………稲穂の祖父親父の刀持ち出して言うことじゃないっ!」

「チッ!」

 稲穂の舌打ちにキレそうになるが、これでも金融会社の社長である穂積は、自制心を働かせて怒りを抑えた。自制する能力がなければ、まともに返済できない債務者など相手にできないのだ。

「やっぱりこの刀処分するか。一応家宝だし、形見だから残していたけど……凶器に使われたらたまったものじゃない」

「別に刀じゃなくても殺せるわよ」

「だったらこれを持ち出すなっ!」

 そのまま稲穂のそばに置かれた刀を持ち上げ、袋に戻して紐で口を縛った。

「大体な、稲穂。お前……闇討ちしようとして、また倒れたらどうするつもりなんだ?」

「……親父には関係ないでしょう」

 ……こういう時、血が繋がっていれば、何かが違っていたのだろうか。

 穂積は刀を肩に載せながら、正座したままの稲穂をじっ、と見ろしていたが、何も口にすることはなかった。

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