004 理系女子の望まぬ遭遇

 その日までは、蒼葉も稲穂も、わりと平和な日常を送っていたと言えるだろう。

 指原の提案通り、数駅先にある公園で行われているフリーマーケットに商品となる不要品を届けた蒼葉と稲穂は、

「……これどういうこと?」

「こっちが知りたい」

 ……何故か店番をしていた。

 残暑が残る中、指原一人では熱射病で倒れかねないからと、不要品を運び込んだ二人はそのまま店番も頼まれたのだ。一応パルクール仲間である八角やすみりょうにも声を掛けていたらしいが、出品する物がないからと午後に到着する予定なので、今は姿を見せていない。

 天気を甘く見ていた指原は現在、少し離れた休憩所の木陰でミネラルウォーターを飲みながら身体を休めている。

「まあ、いいじゃねえか。どうせ暇なんだし」

「いや、あんたが『あれ、一緒に来たけど、二人って家近かったっけ?』って指原にツッコまれてごまかすために、手伝おうかとか言い出したからでしょうが」

「悪かったな指原に言われるまで気づかなくてっ!」

 怒鳴り返す蒼葉だが、稲穂は聞いてすらいなかった。

「これおいくらですか~?」

「300円です」

「あの、接客の方が大事なのは分かるけど……無視しないでお願いっ!」

 蒼葉が叫ぶ中、稲穂の手に持っていた本は数枚の硬貨に入れ替わっていた。

 そして代金を手提げ金庫にしまいながら、稲穂は頬杖をついて正面を向いてしまう。横に並んで腰掛けているので、蒼葉は視界に入らない。

「夏ももう終わりね……」

黄昏たそがれるには早いぞ。まだ昼前だからな」

 本やDVDという品揃えが良かったのか、特に呼び込みをしなくても客足が途切れることはなかった。他にも使わなくなった調理器具や食器類、指原豆腐店オリジナルグッズが並べられているが、そちらはあまり手に取られていない。貰い物とかで使わない新品ならともかく、使い込んで廃棄寸前のものが大半を占めているので、あまり身向きされていないからだ。

 ついでに言うと、オリジナルグッズも宣伝目的の割にはあまりぱっとしていなかった。

「しかし……これ全部売れるの?」

「売れなくてもいいだろ。もののついでだ、売れ残りはそのまま中古屋に持っていく」

 幸いにも、公園の近くに中古本屋やリサイクルショップがのきつらねているので、売れ残りを処分するのには困らない。むしろ向こうも、商品を大量に手に入れられると踏んでか、イベント会場の隅で出店と共に出張買い取り所を設けていた。

「まるでハイエナね……」

「向こうも飯の種を稼ぐのに必死なんだろ。こっちも片付く、相手も商品が手に入る、おまけに全員が収入を得る。全員Win-Winで問題ないだろうが」

「性根の問題よ。そこまでして小金稼ぎたいのかしらね……」

「株やってる金子よりかは真面目に生きているんじゃないのか?」

 蒼葉の首が揺れる。稲穂に軽くはたかれたからだ。

「あたっ!?」

「そうやって視野の狭い馬鹿がいるから誤解されているのよね……というか、目の前の金銭しか見えていないとあっさり破産するのよ。株なんて」

「そうかよ。あたた……」

 太陽の位置が高くなってくる。

 販売スペースには運営側が用意した天幕が張り巡らされているので日射病にはならないが、上昇してくる気温には抗うことが難しくなってくる。

「後で指原に飲み物でも持ってきて貰うか……というか」

「何?」

 振り向いてくる稲穂を一度見返してから、蒼葉はその前進にさっと視線を這わせてから問いかけた。

「……暑くないのか?」

「暑いわよ。地球温暖化って、どうにかならないのかしらね」

「そうじゃなくて、その格好」

 稲穂は今日も、長袖長ズボンという、全身を覆い隠すスタイルだった。それしか持っていないのかと考えてしまうくらいに、蒼葉は稲穂の私服で別のものを見たことがない。

「いつも思うけど、身体のどっかに見られたくない傷でもあるの?」

「誰がんなヘマするか」

「じゃあタトゥー?」

 再び引っぱたかれる蒼葉。今度は商品の映画パンフ、しかも背表紙で。

「凶器は反則だろっ!?」

「あんたがアホなこと言っているからよ。角じゃないだけありがたく思いなさい」

 商品を陳列し直してから、稲穂は呆れたように息を吐いた。

「生い立ちが捨て子アレだから、あまり肌を晒す気になれないだけよ。本当は制服も改造したかったんだけど……」

「もしかして……入学当初に流れた、制服無視してスラックス履いてきた女子の噂って、」

「それ私」

 蒼葉は思わず天を仰いだ。

 入学当初、『性差別』だの『ジェンダーフリー』だの『ユニセックス』だのと御託ごたくを並べて女子の制服にスラックスを導入させようという動きがあった。

 そのためにわざわざ市販品のスラックスを履いてきた女子生徒がいると噂になっていたのだが、どうやら本当の話で、当事者は目の前にいる稲穂だったようだ。

 しかし当の本人は、蒼葉の葛藤かっとうなどかいさず、売られたDVDの代金を手提げ金庫にしまっている。

「お前何やってるの?」

「それ、親父にも言われたわよ。まさか土下座してまで止められるとは思わなかったけど」

 その時の穂積の苦悩を思うと、蒼葉の目頭は無意識に熱くなってしまう。

 生い立ちや血の繋がりはともかく、こんな破天荒な娘に育ってしまって、今も悩みが尽きないどころか、量産されているのかもしれないと思うと……

 しかし稲穂は特に気にすることなく、時間を確認してぼやき出していた。

「あ~おなかすいた。早くお昼食べたい」

「そうだな…………っと」

 ちょうど蒼葉のアップルフォンが、電話の着信を知らせてきた。

「噂をすれば……指原か?」

 電話の相手は、休憩中だった指原だ。

 どうやら復活したらしく、これから戻ってくるようだ。二、三言葉を交わしてから、蒼葉はアップルフォンの通話を切ってから稲穂の方を向いた。

「もうすぐ来るってさ。この後飯でも食いに行くか」

「だったら出店に行きましょう。さっきからソーセージの匂いがきつくてたまらないんだけど……食欲的な意味で」

「奇遇だな。俺もずっと気になってたんだ……食欲的な意味で」

 深い意味はありません。二人共健全な高校生なので、本当に食欲的な意味しかありません。

 一応差し入れに何かいるかとも言われていた蒼葉だが、すぐにでも出店で、できたての食べ物を口にしたいと欲求が前面に押し出されてくる。




「…………っ!?」




「金子……?」

 そんな時だった。金子が突然、自らの肩を抱いて、蒼葉の方に倒れ込んできたのは。

「おい、どうしたっ!? デレるならもうちょっと人気のない所でそんな雰囲気を作りながら」

「なわ、けっ…………ないでしょっ!?」

 冗談ではないと判断し、蒼葉は稲穂の頭を膝の上に置いてから、容体を確認する。一瞬熱射病かとも思ったが、それにしては身体が震えていて、様子がおかしい。

 まるで何かに、おびえているような…………?

「一体何が」

「ごめん待たせた~」

「いいところにきた指原っ!」

 その時、タイミング良く指原が戻ってきたので、蒼葉は慌てて顔を上げた。




「今金子が…………二人共・・・そこで止まってっ!」




 …………そして、稲穂が倒れた理由に気がついた。

「え、何、金子・・調子悪いの? だったら」

「駄目だ、逆効果・・・だっ!」

 事情を知らなければ、この状況は何事だと思うだろう。

 しかし蒼葉と稲穂、そして指原が連れてきた人物には、その事情を一瞬にして理解してしまった。

 何故なら全員、その当事者なのだから。

「事情は後で話せる範囲で話すから、悪い、こいつ連れてここ離れる」

「あ、うん。分かった……」

 当事者でない指原でも、稲穂に何か問題が発生したのだろうとは分かる。その事情は理解できないが、今は蒼葉に任せるしかないのはたしかだ。

 指原達に見送られながら、蒼葉は稲穂を抱えてイベント会場から離れていく。少し離れた所に利用者が憩いの場にしている屋根つきのベンチがあるのを、この公園に来た時に確認していたので、迷わず運んでこれたのだ。

 一応、運営側が用意していた医療スペースもあるが、蒼葉はそこを利用しようとは思わなかった。いや、真っ先に確認するべきだったと後悔した。

「大丈夫か、金子? つらいなら親父さん呼んで迎えに」

「いら、ない……それより、も…………」

 まだつらさが残っているのが目に見えて分かっているが、それでも蒼葉は、稲穂が起き上がってにらみつけてくるのを、止めることはできなかった。

「いたの、? あそこ、にっ!」




「…………私を捨てた女・・・・・・がっ! あそこにいた・・・・・・のっ!?」




 蒼葉達が離れていくのを、指原は差し入れのペットボトル手にしたまま、呆然とながめていた。一瞬、その背中を追いかけようとも思ったが、隣にいた旧知の人物の様子もおかしかった上に、売り上げを入れた手提げ金庫も放置するわけにはいかないので、留まるしかなかったのだ。

「一体何が……?」

「……多分、私のせいよ」

 そう言って赤の丸渕眼鏡を掛けた女性は、白衣から手を抜いて、自らの白いボブヘアーをきむしった。

「まさかこんな所で会うとは思わなかった。今まで生活圏がずれてたからって、ちょっと気が抜けてたのね……」

「あの、どういうことですか? 紗季さき先生」

 先生と呼ばれた女性、宮永みやなが紗季は、ある一点を見つめながら、言葉を漏らした。




「ずっと探してなくしていたものが見つかった…………それだけ」




 蒼葉達が、自らの娘・・・・がいるであろう方向を見つめながら。

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