第5話 本はどこだ?
一日の時間は有限だ。地球上どこへ行こうが、24時間の壁を超えることはできない。だが、その時間の枷を外せたのであれば、君はなにをしたい? 俺は読書がしたい。
もともと、そんなに読むのが早いほうじゃないのだ。良さそうだなと思ったところは何度も読み返すし、なんなら気に入った本なら読み終わったあとにまたはじめから読み返して伏線を探り当ててニヤニヤする。
そんな読み方をするものだから、オレが読める本の数は少ない。そんなオレだからこそ、読書時間の確保はいつも課題だったのに、これまでに試したことはいつもうまく行かなかった。
早朝出勤に切り替えたことがある。痴漢に間違えられて捕まりかけた。
会社で仕事を早く片付けたこともある。早ければ早いだけ仕事が割り振られてだめになった。
ならばならば土日のために家事を残さないようにとも思ったが、結局土曜出勤がランダムに入るのでそれもままならない。
それがこの『GWO』内なら、一日読書していても問題ないのだ。ここで一日過ごしても、外でどんなにかかっても8時間。俺が一冊読むのにかかる目安は3時間。つまり、単純計算で8冊は本が読める。ゲーム内24時間起床は色々デバフがつくらしいが、戦闘しないなら問題ないだろう。
そして時間を作ってくれた上に、更に俺に美味しい情報を三音が持ってきた。このゲーム、なんと著作権の切れた本を読むことができるらしいのだ。
なんでも異界の書物という設定らしいが、街の図書館にある程度の数蔵書として存在しているらしい。
ならばやることは一つだ。
「さて…」
再びログインした俺は、さっきと同じドームのベンチで目を開けた。ログアウトしたのと同じ場所でスポーンするらしい。基本的にこのゲームにセーブはない。リアルタイムにすべて記録してくれる。やり忘れがないのは良いことだ。長いダンジョンをクリアしてセーブし忘れたなんて悲劇が起きない。
俺はもう一度一通りメニューを見た。
―――――
名前:トレス
種族:魔族
スキル:
所持金:1000R(ルビー)
―――――
あとはログアウトメニューとコール、痛覚設定があるだけのシンプルイズベストみたいなメニューだ。まあ、このゲームの特性上、生まれたての今はこんなものだろう。
ちなみに所持金は腰に吊るされた袋に入っているらしい。見た目はただの巾着なんだがどういうわけか中身がある。
さっきのトマスウィルの話では、ここを出ればすぐに始まりの街の中らしい。初期の所持金もあるようだし、まずはひと通り見て回らないと。
はたしてどんな町並みなのやら。俺はそんな期待を胸に、外へと出た。
「…ほう」
目の前に広がる町並みに、思わず感嘆の声が出る。
どうやら、メインストリートをこの出口からは一望できるらしい。白い外壁に、赤い屋根。それが広いストリートの両側にズラッと並んでいた。それがこの街の家の基本らしい。それがどこまでもずっと続いている。遠くにドーム型の大きな屋根や、大きな時計塔なんかも見て取ることができる。相当な広さらしいのが伺えた。
まず間違いなく日本では見ることができない世界だ。
また立ち止まるのもアレなので、とりあえず街へと足を向ける。
この始まりの丘のドームは街の広場のような場所に建っている。
ドームを囲んでいるのもやはり白い家々だ。よく見ると一階部分が店になっているらしい。
俺はそのまま、ひとまず広場を回ってみた。
トマスウィルの話を聞いていてなんとなくわかっていたが、この辺りはだいたい土産物屋や食べ物屋がメインらしい。巡礼者向けだろうか? 屋台も出ていて、なかなか美味しそうな匂いを漂わせている。
とりあえず一周りして、俺は近くの串焼き? のようなものを売っている屋台に入った。
「いらっしゃい!」
出迎えてくれたのは威勢のいいおっちゃんだ。バンダナを頭に巻き、手際よく串焼きを焼いている。なにかの肉と玉ねぎの串だ。久しぶりにバーベキューなんて見た。肉からは、ポタポタと肉汁が垂れて、そのたびに木炭がジュッという音と、香ばしい匂いを撒き散らしている。…腹が減る。
「…それ一つ買いたいんですけど、おいくらですか?」
「お、兄さん異界の人?」
今焼いていた串を前の客に渡すと、そのおっちゃんは俺に愛想のいい笑顔を向けてくる。ニカッとでも擬音がしそうだ。
久しぶりに見る愛想笑いではない笑いに若干気後れしながら、オレはうなずく。
「え、ええ、さっきこっちに来ましてね」
「1本5Rだよ。いやー、異界の人が来たのはひさしぶりだよ」
そう言いながら手際よくもう一本の串を作り、網に乗せて焼き始める。またジュージューという音と香ばしい匂いがするまで時間はかからなかった。
「…美味しそうですね」
「実際美味いよ。ソースは秘伝でね。ほら」
そう言って出来上がったばかりの串を渡してくれる。オレは巾着から銅貨(5Rと念じて手を入れたら手のひらに収まった)を取り出して渡す。
「確かに、ほら食ってみてよ」
「そうですね」
串焼きの見た目は見るからにうまそうだった。おそらく柔らかいのだろう、ひとかたまりもあるブロック肉が、テラテラと肉汁で光っている。どこからどう見いても美味そうな肉だ。すくなくとも、ただのデータの塊には見えない。
果たしてどんなものなのか。
VRのはじめての食事にオレは内心首をかしげながら、それにかぶりつくと、ぶわりと熱い肉汁が口の中に広がった。
その熱い肉汁に、甘辛いタレがよく馴染む。神ば噛むほど味が出る。端的に言えばすごく美味い。もう久しく食べていない味だ。
「良い食べっぷりだね」
気づけば串焼きはなくなっていた。
思わずがっついてしまったが、ひさしぶりに美味いと思える食べ物だった。玉ねぎもしっかりと噛みごたえと甘さがあって、実にうまく焼けている。ここがVRだというのを忘れてしまいそうだ。
ちょっとはしたないかと思ったが、おっちゃんも嬉しそうにしていた。
「…ごちそうさまです。美味しかったです」
「いや、良かったよ。異界の人にあんまり売れなくてね。その様子なら大丈夫そうだ」
「売れない?」
あんなに美味そうな匂いを漂わせているのに、売れないとはどういうわけだろう? 見ていたところ、それなりにNPCとはには売れていたようだったが。
「異界の人はドームから出てきてすぐにどっか言っちゃう人が多くてね。異界の人が来るようになった初日は売れたんだが…」
「ははぁ…。それ3日前ですか?」
俺が聞けば、おっちゃんはなんとも言えない顔でうなずく。やっぱりか。
この『GWO』がリリースされたのが3日前だ。その時は、たぶん物珍しさでこの周りを見て歩く連中がいたんだろう。その後は、攻略に行ったのか、まあ、この当たりにはあまり寄り付かなくなってしまったというところか。
「もったいないですねぇ…。もう一本良いですか?」
俺が追加を注文すると、おっちゃんは嬉しそうにまた串を作り始める。楽しむだけなら、この辺りでも十分な気がした。
おそらくドームの土産物なんだろうが、見て回った限り、安っぽい例の柱の小物や、杖?をかたどったようなお守りなど、なんだかよくわからないものが随分売られていた。現実世界じゃまず見ないようなものばかりだ。
まあ、もっとも、このゲームを殺るような連中がそれを見るだけで満足するわけもないし、しょうがないと言えばしょうがない。
「今はどうしてるんです?」
「なんでも、街の周りの草原を回ってるのが多いらしいよ。大半の人が冒険者ギルドの依頼してるらしい」
冒険者ギルド試験というのがあるそうだ。いくつかの品を取ってきて、それを納品することで鉄級の冒険者ランクがもらえるんだとか。
「…へぇ。すごいですね」
「すごくなんかないよ。俺でも持ってるからな。ほれ」
そう言っておれにもう一本串を渡し、ついでとばかりに串屋のおっちゃんはカードを懐から出して見せてくれた。鈍色のカードに、何か色々書いている。
「あると、街の通行とか色々便利なんだ。兄ちゃんも持っといて損はないぞ?」
「なるほど…。ありがたい情報ですね。まあ、ちょっと私は目的が違いますが」
まあ、時間があるのだから観光をするのも悪くないんだろう。ただ、それは今じゃない。
俺の返答のせいか、おっちゃんが訝しげに俺を見ていた。
「兄ちゃん、なんかやりに来たの?」
「ええ、私は目標がありましてね」
俺は2本目の串をその場で食べ終えた。やっぱり変わらず美味い。
「あのすみません、あー…」
「俺はジルバってんだ。ここで串屋やってる」
俺が呼び方に困っていると、おっちゃん、ジルバが名乗り出てくれた。ありがたい。
「すみません。私はトレスです。以後お見知りおきを」
「随分丁寧なあんちゃんだな…。で、何しに来たんだい?」
「ええ、まあ、大したことじゃないんですがね。本を読みに来まして」
自分で言うのもなんだが、変な理由だなと思う。本を読みにゲームをしているんだから。多分他のプレイヤー、しかもおそらく初日からやっているような連中は、まず言わないだろう。だがそれが楽しみできたんだから仕方ない。
そのはずなんだが…。
「本…かぁ…」
何故かジルバの表情が曇っている。なに、NPCにも変だと思われるのか?
「なにか、変でしょうか?」
「ああ、いや、かわってんなぁとは思ったがよ。ただ、今は時期が悪いぞ?」
「はい?」
その後のジルバの言葉に、俺は絶望した。
*****
アルゴア図書館という建物がある。
なんでもこの当たりで収集された異界の書物を鑑定したり、所蔵したりしておくための建物らしい。まさに俺の望む建物だ。それは今俺の目の前にある。
それなのに…。
「なんで閉館?」
アルゴア図書館は閉館していた。
俺は固く閉ざされた扉を前にがくりと膝をついた。
ジルバに話を聞けば、図書館の場所はすぐに分かった。そして、この事実を突きつけられたのだ。
なにかの間違いじゃないかと見に来てみれば、それは紛れもない事実だった。それがいまだ。
「あの人なにしてるんだろ?」
「見ちゃいけません」
なんだか後ろでいたたまれない話をされている気がするが、そんなことは俺の耳に入らない。ただただ、絶望が扉という形で俺の行く手を塞いでいる。
俺はよろよろと、近くのベンチに移動した。そして、すぐさまコールだ。
「おそいよ、兄貴!」
コールの相手、妹はすぐに出た。自身の端末番号を登録しておけば、それをそのまま使える機能がある。まあ、それはそれとして。
「…なあ、三音」
「入ったら、まずあたしに…。って、どうしたよ兄貴、なんか暗いけど」
「んなことはどうでもいいんだよ…。図書館がさぁ…」
俺は半分泣き言のように、今の状況を妹に説明した。
ジルバいわく、少し前から、この街の図書館の鍵が開かなくなったらしい。
別に鍵をなくしたわけじゃない。ただ鍵を差し込んでみてもなんの感触もしないのだという。周りの窓を割ってみようという話にもなったらしいのだが、何故か窓ガラスが割れない。ドアの方は(おそらくゲーム的な機能もある)もともと壊すのが一苦労でそれもできない。
それで図書館は実質誰も入れなくなってしまったのだという。つまり。
「本が読めない…」
「泣きそうな声出すな、情けねぇ!」
事情を説明すれば三音の叱咤が飛んできた。
「だって、これが目的なんだぞ、俺」
「んなこた知ってるよ! で、なんの用だ!」
相変わらず妹が厳しい。だが、そこが伝わるのは兄弟の良いところだ。俺は泣き笑いのような顔になっていたと思う。
「…うん、それで用事は、この図書館のことだ。これなんかの『クエスト』か?」
俺がそう聞けば、妹は考え込むような唸り声を上げた。
これはゲームだ。それも、ほぼほぼ行動の制限がないゲームだ。そのせいでまだ仕様はよくわかっていない。
公式曰く、ゲーム内で行った行動が、そのままスキルなどで反映される、らしい。
ただその内容は、リリース三日目の今はよくわかっていない。なんでも歩くだけでスキルが生えたとか、木登りがどうとか言われているが、情報が錯綜している状態だ。この辺の実際のデータがわからないのは最近のゲームではよくある話だろう。
つまり、これもなにかのクエストである可能性がある。そう思って聞いたのだが、三音の反応は芳しくない。
「…いまのところ、そういう情報はねえな」
「そうか…」
しばらく誰かと話すような声が聞こえた後の答えだった。
なんでも、今はスキル検証が忙しいらしく、そっち方面で大半のプレイヤーは手一杯らしい。
なので、ストーリーやサブクエストは殆どわかっていないとのこと。今の所情報はないという。
「…そうか」
「すまねぇ…。図書館があるっていうから、てっきり…」
「いや、いいよ。三音も気を使ってくれたんだろう?」
どうやら三音も図書館の存在は知っていても、状態は知らなかったらしい。図書館があれば俺でも楽しめると思ったのだろう。その気遣いは素直に嬉しい。
「まあ、三音の言うとおりの感じにしたから、先は希望があるんだ。時間も作れるようになったし、気長にやるよ」
俺は三音から、一定の情報はもらっていた。
なんでも本を読むのには、一定の知力が必要らしい。それがないと何故か文字がぼやけてしまうんだとか。だからちゃんと知力特化の種族にした。おそらく図書館さえ開けば、後は大丈夫、のはずだ。
「せっかくのゲームなんだ。俺も楽しむさ」
まあ、これも楽しみのためだ。そう思えば頑張ろうという気にもなる。それにゲームなのだ。時間もあるし、せっかくだから他の楽しみを見つけても良い。
「…随分乗り気だな? なんかあった?」
「うん、なんかNPCとの会話が楽しくてな。結構楽しめそうだ。串焼きも美味かったし」
「串焼き?」
「おう、そうだぞー」
せっかくなので、ジルバの串焼きを宣伝すると、向こうで唾を飲む音がした。三音もまともなもの食べてるんだろうか?
「…へえ、そんなもんがね」
「お前は今どうしてるんだ?」
「いまは、ちょっとばかり…、あん?」
なんだかヤンキーそのものの『あん?』が聞こえた。なにか言い合っているような声が聞こえ、すこしして戻ってくる。
「兄貴、ちょっと、外すぞ?」
「ああ、また連絡するよ」
「兄貴この後、どれくらいいるんだ?」
「あー…」
時間を確認すると、リアルの方は夜の十一時だ。今日はこのくらいでいいだろう。
「今日はもうログアウトするよ。続きは明日だな」
「…そうか。明日、入ったら連絡しろよ!」
それだけ言って、コールは切れた。
ほう、とため息をつく。
なんだか久しぶりに妹とものんびり? 話せた気がする。時間があるのは素晴らしい。
「あとは本が読めればなぁ…」
俺は締め切られた扉を眺め、後ろ髪を引かれながらログアウトした。
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