慟哭

「それからもお嬢様は毎日、姉さんの姉さんの下を訪れていました。姉さんは、お嬢様の前では、明るくふるまっていました。そんな生活も長くは続かなかった。次第に姉さんは眠りにつくことが多くなりました。そして、1年前に……」


 美穂の話を聞いていた沙耶は、途中から、涙を流しながら、体を震わせて、気を抜けば倒れてしまいそうな状態だあった。

 

 美穂も、その沙耶の状態は気づいていたが、美穂を見る沙耶の目に強い意志を感じ、最後まで話をした。最後まで美穂が話し終えた後、沙耶はその場に泣き崩れていた。



「……ごめんなさい」



 美穂はそういうと泣き崩れる沙耶の前の腰を落とし、彼女の体をそっと抱きしめた。

 

 この時美穂には、少なからず後悔の気持ちはあった。沙耶に二人の事を話してもいいのだろうか。話せばこうなるだろうことは容易に想像できていたから。

 

 それでも話したのは、今の沙耶と玲奈。二人の事をこのままにしておけない。美月の時にはできなかったことを今度こそは何か力になりたい。そんな思いがあったから。


 美穂の話を聞いた沙耶は、今まで玲奈が自分に向けていた好意が本物なのだと感じた。

 それと同じくらい……いや、それ以上に美月の事を心から愛していたのだろうということもわかってしまった。

 玲奈は確かに自分の事を見てくれていた。でも、どこか自分の事を見てるようで見てないと感じるときもあったから。

 

 そのことにどこか納得してしまう自分がいた。そう思ったら、自然と涙がこぼれてきて、頭の中がぐちゃぐちゃになって、何も考えられなくなっていた。

 


 知らなければよかったのかな……



 沙耶の心の中でその言葉が駆け巡る。知らなければこんな悲しい気持ちにならずに済んだのかもしれない。



 外はいまだ激しい雨が降り続いている。その雨音の中でも、沙耶が泣いているということが分かってしまった。





 美穂から玲奈の過去を聞いた沙耶は、いまだに気持ちの整理がついていなかった。

 これから玲奈とどう接したらいいのか……

 沙耶は今日ほど生徒会室へ行きたくないと思ったのは初めてだった。

 偶然にも、今朝は生徒会の活動はなかったので、そのことにほっとしていた。ただ、ほっとしたのもつかの間。

 教室へ入ってからの結衣の第一声。


「あ、沙耶!玲奈様、急に留学するって決まったみたいなんだけどなんか聞いてる?」


「留学?……」


 沙耶はそのことを聞いて頭の中が真っ白になった。




 放課後、玲奈は生徒会へ寄らず自宅へ帰っていた。

 部屋の電気はついておらず、彼女はベッドに腰を落としてから30分以上動かず死んでいるかのようだった。

 途端、自室の部屋をバタンと開ける音がする。扉を開けたのは美穂であった。

 実は今日も生徒会業務はあった。

 しかし、急に玲奈が中止にした。それと同時に玲奈の留学の話。この話は美穂にも聞かされてなかった。



「お嬢様!留学って急にどういうことですか!」


「……」


「答えてください!お嬢様!」


「何?別にいいじゃない。元々卒業したらのはずだったのが少し早まっただけの話でしょ。留学には私一人で行くから。あなたは、もともとの通り自分の卒業後に来なさい」


「逃げるんですか」


「……なんの話?」


「沙耶さんの事です。このままでいいんですか」


「沙耶の事?別に……。いつもと同じ、他の娘の時と一緒じゃない。あの娘じゃなかった……それだけよ」


「本気で言ってるんですか?」


「ええ……それが何?」



 バチン!と玲奈のその言葉の後に室内には乾いた音が響いた。

 見ると玲奈の頬が赤くはれていた。美穂が玲奈の頬を叩いたのだ。

 従者が主人の頬を叩く。

 玲奈の実家である佐伯家をはじめとした名家には数多くの使用人が当たり前のように従事している。使用人になる経緯は人によりさまざまだが、その家の主人に世話になった恩のある人が一番多い。使用人たちにとって主人の事は絶対だ。意見をすることはあっても、手を上げることはあり得ない事だった。



「貴女、何したかわかってるの?」


「ええ。情けないお嬢様の顔をひっぱたいただけですが?」


「どうなってもいいってことよね?」


「どうぞ、お好きなように。今のあなたは見るに堪えません……失礼します」


 美穂が出ていった室内には玲奈一人が残された。


「……他にどうしたらいいのよ。だってしょうがないじゃない!だって、私は……」



 室内には、玲奈の嗚咽が無情にも響き渡っている……

 ドア越しに美穂は佇んで動くことができないでいる。

 やがて彼女は懐から封筒に入った手紙のようなものを取り出している。


『宛名も何もない手紙』


 それを見ながら、とある決意をした彼女はもう片方の手でスマホを取り出し、とあるところへ連絡をする。


「……突然ごめん。一つお願いがあるんだけど……」




 玲奈の留学の話から数日、あれから沙耶は玲奈と話すこともなく、生徒会へ行くこともなくなっていた。

 生徒会の方は玲奈が留学するということで、玲奈の分の業務に追われることになり、その仕事に美穂が追われている状況。

 沙耶は、その美穂から、少し休むように言い渡されてしまった。一回生徒会に行ったときに全然仕事にならなかったから。


 休日の今日は沙耶はなぜか喫茶店に来ていた。本人は外に出る気分ではなかったのになぜ出てきたのか……



「沙耶ー」


「結衣ちゃん。こんなところに呼び出して何の用?」


「いやー。最近遊んでなかったから、たまにはどうかなーって思って。丁度ここ、今オープン記念やってるから丁度いいかなーって」


「私はそんな気分じゃないんだけど」


 結衣に呼び出されたから。

 最初、彼女は来る気は全くなかった。それなのに結衣はしつこく沙耶に連絡をそれこそ着信が鳴りやまないくらいにされた沙耶は、渋々こうして出てきた。



「最近なんか元気ないけど大丈夫ー?しっかり寝てる?」


「別にそんなことないし……」


「ほんとにー?」


「うるさいなー何もないって言ってるでしょ!もう帰っていい?」


「あ、玲奈様」


「!!」


「なんてねー。その反応見ると、玲奈様となんかあったなー?」


「……結衣ちゃんには関係ないでしょ」


「そうだねー。まあ、私はこうなるだろうなーってことは薄々分かってたけどね」


「なんか随分分かってるように言い方だね」


「そりゃあまあ、私もいろいろあったし」


「え?」


「まあ私の事は置いといて。ぶっちゃけ沙耶って玲奈様の事どうなの?好きなの?」



 結衣の言葉を聞いた沙耶はすぐに言葉にできなかった。

 沙耶は、玲奈と会ってからの頃を思い返していた。

 玲奈と会った時に自分はどうなったか、彼女の事を見て、一緒にいて、何を思うようになったのか。そして……



「……よくわかんなくなっちゃった。会った時から、いきなりだったし、それからも、その……玲奈様といるといつもドキドキしっぱなしで、好きだって言われるのはやっぱりうれしかった」


「でも、玲奈様の事聞いて、玲奈様は私の事を見てるんだけど、それでも、あの人には今でも大切に思ってる人がいるんだって……そう思ったら私……」


「すいませーん。アイスコーヒーブラックで」


結衣、空気を読まずに注文をする。


「ちょっと、結衣ちゃん!!」


「いやー、なんか甘ったるくて」


「……もう帰る!!」


「本当にこのままでいいの?」


「……私には、今の玲奈さんと何を話していいか、わかんないよ」


「じゃあ聞くけど、玲奈様の事を聞いて、沙耶は玲奈様の事、嫌いにでもなったの?」


「そんなことない!」


「ならあとは、自分の今の気持ちを伝えるしかないんじゃない?」


「私の気持ち……そう、だよね……ごめん、やっぱり帰るね」



 沙耶はそういうと帰っていった。彼女の表情は終始晴れることはなかった。

 結衣は、そんな彼女を見送ると、軽い溜息をついた。まず1つ、やることを終えた。そんな感じの溜息。

 その時、注文していたアイスコーヒーが運ばれてきた。


「……甘っ」


 結衣が飲んでいるのはブラックコーヒーだ。無論、砂糖もミルクも入れていない。それなのに、コーヒーの味は彼女には甘く感じられた。






 放課後の生徒会室。役員は皆で払っていて、そこにいるのは玲奈一人だけ。

 静寂があたりを包み込んでいる中で彼女は、窓ガラス越しにグラウンドの様子を見ていた。

 

 外では陸上部と思わしき生徒がグラウンドをランニングしている様子などの部活動に励んでいる姿や、今から友達とどこかに行くために校門に向けて歩いたりといった普段と変わらない放課後の様子が広がっていた。


 彼女は、生徒会の業務が落ち着いたときなど、こうしていることがよくあった。

 彼女はここから見える景色を気に入っていた。

 当たり前のこの景色が。


「好きなんですか?」


 声のした方を見ると、室内に結衣が入ってきていた。

 結衣は、玲奈を前にしても普段の様子を変えることなく平然と玲奈の前に立っている。


「ここからだといろんな娘が見えるから。可愛い娘はいるかなぁって」


「そうやって物色してたんですね」


「人聞きの悪いこと言わないでよ。全部じゃないから。あなたの時だって」


 この二人は、昔付き合っていたことがあるのだ。

 二人の出会いは、今から約半年前になる。出会いは、廊下でばったりと出くわすという、少女漫画にありそうなべたな物。

 その時に、玲奈が一目見て「付き合う?」といったことが始まり。

 ……その時に結衣も特に断りもせず軽い気持ちでオーケーをしたのだが。


「初めて会って最初の言葉が『面白そう。私と付き合わない?』って。オッケーした私が言うのもなんだけど。すっげー軽いよね、これ。あの時の私はきっとどこか調子悪かったんだな。うん」


「随分な言われようね」


「そりゃあねえ。どうせ他の娘の時も同じ手口つかってるんでしょ?」


「仕方ないじゃない?かわいい娘が多いんだもん。私は悪くないわ」


「いや悪いわ」


 間髪入れずにはいる結衣の容赦のないツッコミ。そこに遠慮のなさが見て取れる。


「聞きましたよ。留学の話。随分急ですね」


「美穂にも言ったけど、少し予定が早まっただけよ」


「沙耶の事、どうするんです?」


「別に……どうもしないわ」


「沙耶が玲奈様の事好きなの、気付いてますよね。玲奈様だって沙耶の事好きでしょ?」


「そうね。確かに私は沙耶の事が好き。それは偽りない私の気持ち……でもね、私はそれ以上に美月の事を愛してるの。それは変わることはないわ」


「なるほどー……そんなあなたにはこちら!なんてね」


 結衣は懐から、封筒を取り出す。

 それは、前に美穂が持っていたものと同じもの。

 結衣はそれを玲奈へと手渡す。


 玲奈は封筒の中身を空けると、中には手紙が入っている。

 玲奈へとむけた手紙は宛名はないが、その文字に見覚えがあった。

 忘れるわけのない。


 美月の物だった。



「……どうしてこれを結衣が」


「これを私に頼んだやつも複雑な心境だったんだろうさ……さて、用が済んだし、私はこれで」


 そういうと結衣は玲奈へと背を向けて、玲奈に軽く手を振ると、生徒会室を後にする





 生徒会室を後にした結衣はスマホで誰かと連絡を取っていた。数回のコールの後に相手が出る。

 

 電話の相手は……。



「あ、美穂。渡すもんは渡したよ。ほんとあの二人は、めんどくさい。美穂も私にこんな面倒な役押し付けて。まあ、別にいいんだけどね。このお礼はよろしくね。そうだなぁ、駅前に新しくオープンしたケーキバイキングの店。そこに一緒に行くってことでどお?じゃあそれで、またねー」



 二人のやり取りは、気兼ねなく何でも言い合える遠慮のない関係に見える。

 結衣は美穂とのやり取りがいつも沙耶などに見せている時よりも楽しそう。

 それだけの間柄なのだろうというのが電話越しからも伝わってくるかのようだ。


「……さて、これでうまくいけばいいんだけどねー」




 玲奈は手紙の文面を読んでいる。

 手紙は病床の美月が玲奈へ向けて書いたものだ。


『玲奈へ。この手紙を読んでるってことは、私はもういないのかな?私がいなくなってからどれくらい経ってる?美穂に渡してって頼んだんだけど。すぐには渡せなかったと思う。美穂の事は責めないでね。あの子の気持ちも何となく分かるから。姉だからね。ねえ、玲奈。覚えてる?初めて会った時の事。あの時はすごく緊張したなー……』


 手紙には美月が玲奈と会ってからの出来事が事細かに書かれている。

 それこそ、毎日の出来事すべてを書き綴っているかのように量も膨大で、美月の玲奈に対する気持ちがたくさん書かれている。

 美月もまた、玲奈との日々を楽しんでいたことを。玲奈からの告白を受けた時の想いも


『玲奈から告白されたときは一瞬夢かと思った。でもそれが現実なんだってわかってもやっぱりどこか信じてなくて、玲奈からキスされたとき、夢じゃないんだって。うれしかった。私は玲奈の事が好きでいいんだって、一緒にいていいんだって』


 美月は玲奈から告白されてからの日々も書いていた。

 それからの毎日は玲奈と一緒にいることが幸せの連続で充実した日々だったことを。たくさんありすぎて、書ききれないくらいの日々だったことを。

 そして……



『今までありがとう。私は玲奈からたくさんのものをもらったよ。玲奈にはこれから前を向いて私の分も幸せになってもらいたいな』


『愛してるよ……玲奈』


 手紙を持つ手が次第に震え、ぽつ……ぽつ……と手紙に雫が落ちていく。



「美月……」

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