コールド・ダーク・スカイ
spin
第1話
明らかに有名な映画俳優に似せられた碧眼の<ギャルソン>がワイングラスをワインで満たす。会場には男女のカップルばかり、百人を下らない。ホール中央には巨大なシャンデリア。ホールのステージには「新人類の夜明け」とフランス語と日本語で書かれた電子ボードが掛かっている。
ルカは会場に着いてからずっと違和感が拭えず、豪勢なフランス料理にも食が進まなかった。そんなルカとは対照的に、サジはナイフとフォークを巧みに動かし、ステーキを食べることに集中している。ルカはまるで初めて見るかのように、サジの口元の深い皺や白髪交じりの頭髪をまじまじと見た。しかし、四十代の男という以外にどんな感想も持てなかった。サジのナイロンジャケットには楕円形のプラチナのブローチが光っている。それはルカを含め、この会場に客としてきた者全員がつけているものだった。
「食べたら?」
ルカが答える前に、ホールの照明が弱まり、電子ボードの下がスポットライトで照らされた。
「お、はじまるな」
サジは手を止めてホール前方に体を向けた。スポットライトの光りの中に足元から立体映像ホログラムが生成する。正装した、五十絡みのアジア人男性だ。男がお辞儀をすると、拍手が沸き上がった。
「メリークリスマス! 皆さん、クリスマス・イブの夜を楽しんでいらっしゃいますか? わたしは<新人類>日本支部のサカキです。<新人類>の生誕十年目に当たる今年、こうしてわが国でも<新人類>の皆さんが集う機会が得られまして、大変嬉しく思います。<新人類>はこの十年間で特に先進国の間で、急速に増え、いまや先進国の二十人に一人の割合を占めるに至りました。改めて故ジャン=バチスト博士の発明の偉大さ――人類史上最大の発明と言っても過言ではないと思いますが――に感じ入る次第であります。わたしたちは名前のとおり、人類の進化形だと確信しています。恋愛という幻想から解放されたことにより、パートナーとの関係は、澄み切った青空のように平和で心地よいものになりました。わたしたちには、科学的な方法で選び出されたパートナーとの建設的な人生が約束されているのです。
クリスマス・イブにわたしたちの初の集会が開かれたことに因果めいたものを感じずにはいられません。皆さんご存知の通り、今夜はわが国では恋愛の祭典だった時代がありました。いや、今でも旧人類の間ではそうです。わたしたちとしましては――キリスト教徒の方には申し訳ありませんが――この二〇四三年のクリスマス・イブからわたしたちの生誕を祝う日にしたいと思います。では、改めまして、<新人類>の未来に、乾杯!」
「乾杯!」
全員が立ち上がり、ホログラムに向かってワイングラスを突き出した。ルカも慌てて周りに倣う。
サジはルカに向けて勝ち誇ったような笑みを浮かべ、ワイングラスを差し出す。
「よかったな。彼の挨拶」
「……そう?」
「俺たちもそろそろ結婚しようか?」
サジはさらりと言う。
「…………」
「俺たちにはもう悩むべきことはないんだ。だろ?」
「わたしちょっとトイレ」
ルカは個室に入ると、ポーチからノンスモークシガレットを取り出した。しかし、気分を鎮める役には立たなかった。以前ユタカからもらって吸っていた昔のタバコ――十年前に禁止され、闇ルートでしか買えなくなっていた――ならきっと別だっただろう。トイレの壁のスクリーンには高級車の広告が流れている。ルカは、自分が場違いな場所にいることを強く意識した。
ルカはサジの科白にクラクラしていた。もちろん悪い意味で。サジとは選ばれた相手という理由で、今まで何度かデートをしたが、退屈でしかなかった。ロボットの話にも、外見にも惹かれるものはなかった。夏の終わり頃にデートしてから、何度かデートの誘いを断ってきたが、今日、久しぶりに会ったのは、このイベントへの興味からだった。
今の状況はまさに「不条理」だ。ルカは放尿しながら、的確な言葉を思いついたことにちょっとした満足感を覚えた。しかし、<ニュー・カップル>に失敗はないはずではなかったのか? サジに対して好意を持てたとしてもおかしくないのに。どうしてできないのだろう?
席に戻ると、小綺麗に包装された小さな正方形の包みがあったが、ルカはその包みに打ちのめされた。サジを見ると、笑顔で「プレゼントだよ」と言う。
「普通の恋人同士のように振舞って悪いことはないんだ。開けてみてよ」
言われたとおり開けると予想に違わず、指輪が出てきた。ダイヤの嵌め込まれたシルバーの指輪だ。
「着けてみてよ」
ルカは恐る恐る指輪を左手の薬指に持っていく。指輪は大きすぎた。ルカは心の中で安堵した。
「サイズが合わなかったか……。ゴメン。交換してもらうよ」
サジは失望を露にして言うと、指輪を乱暴にズボンのポケットにしまいこんだ。
食事が終わると、複数の人が<新人類>になった動機、<新人類>になって良かったことなどを語った。一人目の男性は三十代後半くらいの冴えない男で、一度も恋愛などしたことがないという人だった。<新人類>にならなかったら、結婚もできなかっただろうから、ジャン=バチスト博士に感謝している、と話した。
二人目の女性は教師然とした風貌でルカと同じ三四歳だった(誕生年に触れたことから年齢がわかった)。
「……わたしが三十になったときに気づいたのは、男性は信用できないということでした。男性は常に欲望の対象としての女性を求めています。そのため、恋人への欲望が消えれば、他の女性と性交したいという思いを抱くようになります。ほとんどの男性は、恋人以外の女性から誘惑されたら、平気でセックスします。だけど、女性は違います。本気で愛を捧げることができます。しかし、それゆえに恋愛で泣きを見るのは女性の方です。
三人目の恋人が浮気したとき、わたしは男性に自分と同じような愛を求めるのは不可能なのだと思い至りました。このことはすでに一九世紀の文学作品であるモーパッサンの『女の一生』で克明に描かれていました。主人公・ジャンヌの不幸は一般的なものなのです。楽しいのは最初だけで、生活へと突入するともう恋愛はお終いです。そして、女性の愛は裏切られる運命になります。そうであれば、びくびくしてそれを待つよりは、最初から裏切られる心配のない
ルカは悲しくなってきた。初めて自分が<新人類>であることに強い嫌悪感を抱いた。
「ベイフロントのホテルに部屋を予約してあるんだ」
彼女の体験談が終わったところで、サジは言った。
車はオートドライブモードで、湾岸方面へと向かっている。道路は混んでいた。やはり今でもロマンチックなイブの夜を演出したいと考える人は多いのだろう。
カーテレビでは時代物のドラマをやっていた。舞台は二十世紀後半のバブル時代と呼ばれた頃だ。OLのクリスマス・イブの一夜を描いたもののようだ。トサカみたいな前髪をしたOLが俗悪な男と俗悪なイブの夜を過ごすという内容らしい。プロデューサーは<新人類>に違いない。おそらく恋愛の醜さを描くのが狙いだ。
サジは歪んだ笑みを浮かべてテレビを見ている。ルカは流れる夜景の美しさにひどく悲しくなった。自分はこの美しさに欠片も値しない。
ルカは手術を受けるとき、相談した知り合いの若い医者の言葉を思い出した(盲腸の手術のときお世話になった医者だった)。彼は手術を渋って言った。「セックスできない身体になってもいいんですか? 一度、<新人類>になったら、元には戻れないんですよ」
あのときは、もう恋愛なんてしないと思っていた。今でもそうだ。だけど、あの女が自慢げに言った「完全な信頼関係」には吐き気を覚える。あんなものに安住するくらいなら、孤独の内に過ごしていたい。<ニュー・カップル>は、実は限りなく悲惨なのではないだろうか? 要は感情をテクノロジーに明け渡すということだ。失恋の絶望はもうなくなるだろうが、それは寄り悪い道を選ぶことにより達成されるのだ!
わたしが浅はかだったのか? あの医者は何かあったら、いつでも相談に乗ると言っていた。それなら、彼に相談してみようか?
「そういえば、シャンパン用意してたんだ」
サジはドラマでシャンパンが出てきて、思い出したようだった。
「<新人類>の未来と俺たちの未来に!」
サジは乾杯のときに言った。その瞬間、ルカはサジと別れることを決めた。
信号待ちのとき、前のタクシーの後部座席の若いカップルがディープキスをしているのが見えた。まるで自分たちへのあてつけのようだ。実際、<新人類>に批判的な人は公衆の面前で大胆にキスする。<新人類>はそんな行為のことを嫌悪と軽蔑を込めて「プロトカルチャー」と呼ぶ。
「交差点を左に折れてくれ」
サジは苛立たしげにナビに言う。
「接吻など不愉快だ。ああいう行為をする連中の品性を疑うよ」
サジはそう言うとテレビをニュース番組に変えた。ルカは瞼を閉じて、空想の世界に飛んだ。そこで久しぶりにユタカとの激しい愛の行為を思い描いた。性器を洗うときの期待と恥じらい。絡み合う視線。体臭と香水の入り混じった匂い。裸で抱き合うことの一体感。挿入されるときの嵐のような突き抜ける快感。性器で、肌で感じるのは、相手の肉体としての存在感。やがて男はあの医者になり、ルカは医者の上に跨り、激しく腰を振った。
暗い空に聳えるモンスターのようなビル群を抜けると、音楽が微かに聞こえてきた。ルカは車のウインドウを開けた。低音の効いた、テクノミュージックのようだった。
海辺の空き地を通り過ぎるとき、ライトに照らされている円と↑を合体させたようなマークが見えた。二〇世紀のヒッピーにルーツを見出した、アンチテクノロジーを目指す
「どうした?」とサジが不安げに訊いてきた。
「止めて」
ルカははっきりとサジに言った。
「えっ? ここで? ホテルはまだ先だよ」
サジは怪訝な顔で言う。
「止まって」
ルカはナビに直接言った。
「おい、どうしたって言うんだ。こんな場所で」
サジがルカの腕を掴んだ。
「ねぇ、結婚は愛し合っている者同士がするものよ」
そう言った瞬間、ルカは一線を越えた。堰き止めていた歓喜がルカの身体を貫き、あり得ない行動へと駆り立てた。
「はっ? 何を時代遅れなことを。俺たちは<新人類>なんだ――、おい、な、何をしてる!」
ルカはカクテルドレスの裾を捲り上げて、M字開脚した。ペパーミントグリーンのパンティが露になる。
「ここ濡れてるの。わかる? わからなかったら、触ってみてよ。結婚する相手なら触れるでしょ」
ルカは挑戦的な笑みを浮かべ、恥じらうことなく言った。
「バ、バカな! 嘘だろ!? 騙したのか?」
サジはしかめ面でそう言った後、まるで決死の覚悟を決めたかのような物凄い形相でルカの股間を覆っている、ロマンチックな布切れに視線を動かした。
「違う。さっき気づいたの。たぶんわたしは手術を受けてない」
「何だと。本当か? どういうことだ?」
「たぶん相談した医者が気を利かせたのよ」
「何! ……そうか。道理で。まったく懐いてこないから、おかしいと思っていたんだ。<新人類>じゃないんなら合点が行く。おい、いつまでやってんだ! 触るわけないだろ! それじゃあ……、さっさと降りろよ!」
ルカは押し出される形で車から降ろされた。ルカが降りるや否や、車はタイヤを鳴らして、走り去った。
冷たい夜の空気が肌に刺さった。しかし、今のルカには空調の効いた車内よりも心地良かった。ルカは海岸まで歩くと、暗い海に向かってブローチを投げた。
「カノジョ、ヒトリ? サミシイね」
ルカが踊っていると、がたいのいい白人の男が声を掛けてきた。タイプだ。
「全然! それどころか、わたし今すごく幸せ!」
ルカは声を張り上げた。
「ねえ、キスしようよ」
ルカはジンの味のするキスを貪りながら、あの医者のことを思った。(了)
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