島の過去(上)
神を
その日の夕食に、
「それは?」
不思議そうに訊ねるアンリに、ああこれはと応えようとした弥一だが、おばちゃんに先に制止された。
「私も気になるけど、食べてからね。弥一さんも、食べながら読むというような事はしないでくださいね」
「わかっています。という事だ、食べてからな」
前半はおばちゃんに向けて、後半はアンリに向けての言葉だ。食事中は色々と話をしない、それがいつの間にか決まり事になっていた。
食事を終えて、一段落したところで改めて弥一が持ってきた書物を前に出し、話し始めた。
「これには、この島に関係する過去の話が書かれていました。お二人にも知っておいていただく必要があると思い、持ってきました」
そう言って、弥一は表紙を開く。開かれた書物に注目する、アンリとおばちゃん。しかしながら、アンリはもとよりおばちゃんにも読めない文字が多かった。見せた弥一も、二人が読めるとは思っていない。書かれている事を、二人に口で伝える。
「ここには、こう書かれています。『同じ過ちを繰り返す事がないよう、私たちの過ちを残します』と」
アンリとおばちゃんの視線が、書物から弥一に移る。その視線に促されるよう、弥一は言葉を続けた。
「ここには、私があちらで聞いてきた事、ここに来た日におばちゃんから教えていただいた事、それらの元になったであろう出来事が記されていました」
「ということは、大まかにはこの島に伝わっている話ということですね」
おばちゃんの問いに、弥一は首を縦に振る。
「はい。これが書かれたのは、この島のようです。同じものを二つ作り、一つはこの島に、一つは島の外に流したようです。伝えていくために。ただ、これを書いた後に次の赤ん坊が島に流されてきます。アンリをここで育てたおばちゃんならおわかりになるかと思いますが、字を教えこの書物を読める状態を伝えていくか、口頭でお話として伝えていくか、どちらが簡単か」
結果は出ている。アンリだけでなく、おばちゃんも読めない字が多く、この書物の存在も伝わっていなかった。一方で、島の事が語り伝えられてきた。
「話して伝えるですね。私自身、字を覚えるのは嫌いでしたから」
アンリは、おばちゃんのその言葉に、字を覚えるのが嫌いなのはおばちゃんも同じだったのだと、顔を見つめている。
「それでもこうして、島の中で伝えられてきています。なのに、こうしてそれを持ってこられたという事は、伝わっていない事があったということなのですね」
弥一は、うなずいた。
「語り継がれる中、変わっていってしまった部分、端折られてしまった部分があります。これを読み、お二人には伝えばならないと思いました」
「弥一さんがそう仰るなら、知っておくべきことなんでしょう。ただ」
おばちゃんは、書物に視線を落とし、言葉を続ける。
「私には、読むことはできなさそうです。読み上げていただきたいのです」
「元より、そのつもりです」
「よろしくお願いします」
おばちゃんが、弥一に頭を下げる。弥一は、面倒を見てもらっているのは自分の方で、その礼だと返す。大人たちのやり取りが一通り終わると、アンリに話題が向けられた。
「アンリ、弥一さんがこの島のお話を読んでくれるって。おばちゃんと一緒に教えてもらおうか」
「うん」
大人のやり取りをずっと見ていたアンリは、元気よくそう応えた。島に二人だけの時は、おばちゃんから教わる一方だった。それがおばちゃんと一緒に教えてもらうというのは、なんだか新鮮で、アンリの心は期待に躍っていた。東の浜で倒れていた弥一を見つけたときは、こんなことになるとは思ってもみなかったが、あれから色々と新しいことがあって、なんとも楽しい。
「では、読みますね。『その昔、神とどのような約束が交わされたのかは、私にはわかりません。もしかしたら、島で語り継がれていたのかもしれませんが、途切れて、途切れさせてしまいました。里には記録が残っているかもしれませんが、もはや私にはわかりません。今後、再び途切れることもあるかもしれませんが、書き記しておけば、きっと再び
三十年に一度、その年最初に産まれた女の子を、年の最後の満月の日に神に捧げる。その約束が、いつ、どのような理由でなされたのかは、わからない。何のための約束なのかは忘れられ、ただ、せねばならぬこととして伝えられていた。
その年、神に女の子を捧げるその年、最初に女の子が産まれたのは、豪族の家だった。そして、その翌日に別の家に女の子が産まれた。
豪族は、娘を神に差し出したくなかった。その権力で神に捧げる女の子を、翌日に産まれた女の子にした。その年に産まれた女の子ならいいだろうと。一日の差が何だというのだと。そもそも、女の子を捧げることが本当に必要なのかとまで言い出した。一方で、里の者の不安の声も大きかった。色々あり、一日違いの女の子を捧げることで落ち着いたのだ。
それから二年は、何事もなく過ぎていった。神を騙すようなことをして大丈夫なのかという声も、何事もない日々の中薄れていった。けれども、二年が過ぎ、年が明けた頃から様相が変わり始めた。暖かくなり始めるのが遅かった。ようやく暖かくなり始めたと思ったら、一気に夏のような気候になる。かと思えば気温が下がり、長雨が続く。もう雨はこりごりだと思っていれば、雨が降らずに日照りが続く。この頃から、気候に耐えられず死ぬ人が出だした。渇きに耐えた人を、今度は嵐が襲う。海が川が里を飲み込み、風があらゆるものを吹き飛ばし、なぎ倒した。
誰かが言い出した、神が怒っているのだと。里の者は、毎月の捧げ物にいつも以上の供物を用意した。度重なる気候の変調に、自分たちが生きてゆくための物資の確保もままらなぬ中、供物を掻き集めた。それが功を奏したのか、それともたまたま何かの時期があっただけなのか、どうか怒りを静めてくださいと大量の供物を贈った後、気候は穏やかなものになった。
一年に満たぬ変調は、本当のところ何が原因だったのかわからぬまま、こういう年があったのだと、ただ語り伝えられるだけになった。神が本当に怒っていたのかも、本当に怒っていたとして、その原因がなんだったのかも、増やした供物でその怒りが治まったのかもわからぬまま。増やした供物を乗せた舟は、空になって返ってきたこと、その後気候が落ち着きを取り戻したこと、そのことだけが事実として残った。
結果として、誰も本来捧げるべき女の子を捧げていなかったことと、この気候の変調を結びつける者はいなかった。誰かは考えていたかもしれないが、誰も表には出さなかった。二年間は何事もなく過ぎたという事実と、正しい女の子を捧げるまでもなく供物を増やしただけで治まったという事実があったから。
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