一.漂着者(下)

 東の浜辺に着くと、アンリは荷車を押すのをやめ、おばちゃんの前を歩いて道案内をする。人はすぐに見つかった。同じ場所に、まだそのまま倒れていた。おばちゃんは、倒れている人の隣にかがむと、右手の人差し指と中指、薬指をそろえて、倒れている人の首に当てる。左手は同じようにおばちゃん自身の首筋に当てながら、右手の位置を少しずつ移動させている。

 しばらくそのようにした後、手を離すとアンリに向き直った。

「大丈夫、生きているよ」

「生きている?」

 アンリには、おばちゃんがどうしてそのように判断したのか、全くわからなかった。おばちゃんは、うんと一度うなずいて、言葉を続ける。

「アンリもおばちゃんがやっていたみたいに、指でそっと自分の首を触ってごらん」

 アンリは見よう見まねで、人差し指、中指、薬指を揃えて首筋に当ててみた。何がどうなのかよくわからない。

「もうちょっと前だね」

 おばちゃんはそう言うと、アンリの手を取って少し位置をずらした。アンリの指先に、ピクリ、ピクリと動くのが伝わってくる。

「トクン、トクンって動いているでしょう」

 おばちゃんの言葉に、アンリはうなずいた。

「そうやって動いている間は、生きているんだよ。そこの人にも同じようにやってごらん」

 言われた通りに、倒れている人の首筋に触れる。確かに、ピクン、ピクンと動いているのが伝わってくる。

本当ほんとだ。動いている」

「じゃあ、この人を家に運ぼうか」

 おばちゃんが両脇を、アンリが膝を抱えて、せーので倒れている人を荷車に乗せた。浜辺まで来たときと同じように、おばちゃんが荷車を引き、アンリが押して、家へと帰る。

 荷車に乗せるとき、荷車で運んでいる間、家について荷車から降ろして、砂だらけの一番外側に着物を脱がせて、おばちゃんと二人で居間まで運んで寝かせて、かなり振動しているはずだが、倒れている人が動くことはなかった。首筋に触れてみれば、動いているのを感じられたが、それでもこれだけ動かないと、本当に生きているのかと不安になった。おばちゃんに尋ねてみれば、神様のご加護があるだろうと言う。


 浜辺で倒れていた人が意識を取り戻したのは、夕方になってからだった。夕食前のひととき、おばちゃんがご飯を作っている間に、アンリは倒れている人がどうなったかと確認しに行っていた。もう何度目だろうか、少し時間ができれば気になって確認していた。顔をのぞき込んで、トクントクンを確認しようと手を伸ばしたとき、うめき声がして、今まで動いていなかった人が目を開けた。うめき声に反応して視線を動かしたアンリと、目が合う。アンリは驚いて、尻餅をついた。動くことを期待していた反面、動かないものと思い込んでいた。アンリには、どうしたら良いのかわからない。逃げるように、おばちゃんに報告に行った。

 ようやく目を開けた人は、困惑していた。まず目に入ったのが見知らぬ女の子で、その上、目が合ったいたことに驚いたが、すぐにその子がいなくなってしまい、何が何やらわからぬまま放置された。女の子が消えた視界には、天井がある。そこから、屋内であることは判断できたが、どこなのか、自分がどこで寝ていたのかが思い出せない。頭だけを動かして、見える範囲を確認しても、全く記憶が呼び起こされない。もう少し見える範囲を広げようと、上半身を起こした。その動きに合わせて、掛けられていた女物の着物がずり落ちる。先ほどの女の子のものにしては、大きい。

 上半身を起こしただけ、少し動いただけだというのに、全身を倦怠感が包んでいる。うつむいて、何度か深呼吸をした。改めて顔を上げ、周りを見回す。どこかの家で寝ていたことはわかったが、記憶が甦ることはない。景色から記憶が戻らないのならば、ゆっくりと思い出すしかない。確か、一人乗りの舟で海原を渡っていた。帝の命を受けて。それから、満月に照らされた海面を、波に揺られながら見ていた。波は穏やかで、これならば少し寝ても大丈夫だと、睡眠をとることにした。そして、そう、大きな揺れに目を覚ましたときには、海に投げ出されていた。海への抵抗はむなしく、記憶が途切れていた。

 現在こうして生きているということは、死んでしまう前どこかの海岸に流れ着けたのだろう。運良く、地元の人間に発見され、保護されたと考えるべきだ。それにしてはと、見える範囲の外を確認し、鼻から大きく息を吸い込んで匂いを確認する。最後に目を閉じ、耳を澄ます。海が遠い。見える範囲に海はなく、潮の匂いもせず、波の音もしない。先ほどの女の子ともう一人、何やら話している声が聞こえるだけだ。打ち上げられた自分を発見して、家へ連れ帰ったのなら、海の近くだろうと思うのだが、実際はそうではないようだ。

 浜辺で倒れていた人が色々と思案している間に、おばちゃんは作業にきりをつけ、寝かせていた部屋に向かっていた。上半身を起こしている様子を見て、声をかける。

「気がついたんですね」

 倒れていた人がその声に視線を動かすと、女性とその後ろに隠れるように先ほどの女の子がいた。

「あなた方が、助けてくださったのか」

「浜辺に倒れていたあなたを家まで運んで、寝かせていたのはそう。倒れていたあなたを見つけたのは、この子、アンリよ」

 そう言って、後ろに手を回し、アンリを前に押し出す。

「ありがとう」

 倒れていた人の例の言葉に、アンリはただ首を縦に振った。さらに動こうとする倒れていた人を、おばちゃんが静止する。

「ほとんど一日、気を失って倒れていたんだから、そんなにすぐ動かない方がいいです。食事はとれそうですか」

 訊ねられて、少し考える。

「おそらく」

「私たちもそろそろ食べようと、準備していたところなんです。用意しますから、横になって少し待っていてください」

 おばちゃんはそう言うと、食事の準備に戻るため、向きを変え歩き出す。アンリはというと、どうしたらいいのかわからず、無言で立ち尽くしている。二人きりにされた形の倒れていた人も、アンリをどうしたものかと困惑していた。横になっていろと言われたものの、棒立ちになっている女の子を無視して寝るのは気が引ける。そんな二人に、おばちゃんが助け船を出した。

「アンリもご飯の準備を手伝ってちょうだい」

 その声にアンリが振り返る。

「わかった」

 向きを変え、炊事場に向かってトトトと駆ける。炊事場では、おばちゃんが笑ってアンリを迎えた。

「あんなにあの人のことを気にしていたのに、いざ起きたとなったら、黙って立ち尽くしてどうしたの」

「だって、おばちゃん以外の人なんて初めてで、どうしたらいいのかわからないんだもん」

「大丈夫、別に私たちのことを取って食おうってわけじゃないんだから、そんなに緊張しなくても」


 ほどなく、アンリとおばちゃんが膳を持って、倒れていた人を寝かせている部屋に現れた。アンリが一つ、おばちゃんが二つを運び、アンリは倒れていた人の食事を持たされていた。自分の分を運ぶと訴えたのだが、聞き入れられなかった。

 倒れていた人に、食事の準備ができたことを告げる。おばちゃんは早々に二人分の膳を置くと、倒れていた人に掛けていた着物をどかした。倒れていた人は再び上半身を起こして、体制を整え座る。おばちゃんに促されて、アンリはどうぞと膳を置いた。色々とお互いに聞きたいことはあるだろうけれど、まずは食べてからだとおばちゃんに言われ、静かな食事が始まった。

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