一.漂着者(上)

 アンリは自分が見つけたのだと思っているけれど、アンリの方が見つかったのかもしれない。


 満月の翌朝は、東の浜辺に舟が流れ着く。木をくり貫いて作られた小さな舟は、様々な物を運んでくる。穀物や野菜といった収穫物もあれば、干物や餅、酒などの加工品、着物にするための反物や書物まであった。それらを回収するため、満月の翌朝は、東の空が明るんできた頃から、荷車を引いて東の浜辺に向かう。

 アンリはその日も、いつものように作業を行っていた。荷を積んだままの舟をそのまま持ち上げることができるなら、持ち上げで荷車に載せる。無理なら、荷だけをまず載せて、舟だけを後からと分ける。欲しいものは荷なのだけれど、舟もきちんと回収する。

 二年前、アンリが十になるまでは、おばちゃんと一緒にこの作業を行っていた。小さなアンリは、空になった舟さえ持ち上げるのが困難で、流れ着いた舟を探すのが仕事だった。荷車を引くこともできず、後ろから少し押すので精一杯だった。アンリがどんどん大きくなって、力もついて、一人でも荷物を載せた荷車を引けるようになり、いくらかの荷を積んだ舟を持ち上げられるようになった。

 アンリが十になって初めての満月の晩、おばちゃんがアンリに言った。

「アンリも大きくなったし、明日からは一人で荷物を取りに行けるね」

「えっ?」

 不安を顔に出すアンリに、おばちゃんがからかうように続ける。

「おや、アンリはまだまだ小さくて、荷を取りに行くのは一人じゃ無理かな」

「そんなこと、ないもん」

 アンリはとっさに言い返した。言い返してしまった。にやっとしたおばちゃんを見て、しまったと思ったけれども、もう取り返しがつかない。

「それじゃあ、大丈夫だね。明日からよろしく」

「うん。任せておいて」

 不安は心にとどめて、そう返した。

 その日から、満月の翌朝に東の浜辺へ行くのはアンリの仕事になった。はじめは不安だった。荷車が何かに引っ掛かり、四苦八苦したこともある。それでももう二年、随分と慣れた。どういう時期にどんなものが流れ着くのかも、おおよそ分かってきた。これから暖かくなるこの時期なら、反物や草履、紙、干し肉だ。

 いつものように、荷車を引いて浜辺を歩く。打ち上げられた舟の近くにつけ、舟を荷車に詰め込む。毎月の同じ作業の中、いつもとは異なる物がアンリの視界に入った。舟よりももっと大きい物が浜辺に流れ着いていた。近付いて見れば、それは人のように思えた。

 アンリはこの島でずっと、おばちゃんと二人で暮らしてきた。だから、おばちゃん以外の人を知らない。浜辺の人はおばちゃんとはずいぶんと違っていた。髪型も、身につけている物も。それでもアンリが人だと思ったのは、絵巻物に描かれていた人の格好に似ていたからだ。ただ、人ならば動くはずだが、それは動かなかった。トントンと少し叩いてみても、反応がない。

 どうしたものかと思案する。荷車を見れば、うまく積み直すことで、この人を乗せる場所は確保できそうだ。けれども、浜辺の人はずいぶんと大きかった。アンリより大きいおばちゃんより、まだ大きかった。おばちゃんは重い。アンリはおばちゃんを背負うのですら精一杯だ。倒れている人は、おばちゃんよりも重いはずだ。試しに、脇を抱え込んで持ち上げてみる。上半身を浮かせるだけで精一杯だ。引きずって動かそうにも、どうにも動かない。荷車に乗せるなど、無理な話だった。

 アンリの力で動かすことができないものは仕方がない。人を運ぶことは諦めた。浜辺を見渡して、積み忘れている舟がないことを確認し、荷車を引いて家路についた。


 大人の足で、一日もあればぐるっと一周できてしまう、小さな島。北にはさほど高くはないものの山がある。その山の麓、島の中央から少し南寄りの場所に、簡素な平屋がいくつか建っている。その中の最も大きい建物が、アンリとおばちゃんが住んでいる家だった。

 家の前には、畑が広がっている。毎月、舟で食べ物が届くとはいえ、それでは少なく、自分たちでも育てる必要があった。今は、畑の大部分には何も植わっていない。おばちゃんは、その植わっていない部分を耕していた。もう少しすれば、いろいろな物を植えなければならない。その準備だ。

 おばちゃんがふうと一息、空を見上げると、太陽はずいぶん高いところまで昇ってきていた。額を拭い、顔を東の林へ向ける。そろそろアンリが帰ってくるはずだ。そう思ってしばらく目をこらしていれば、林の中に動く物が見え始めた。

「アンリー、お・か・え・りー」

 林に向かって大声で呼びかければ、わずかに間を置いて声が返ってくる。

「た・だ・い・まー」

 おばちゃんは、今朝の作業はここまでと道具を持って、家の東側の小屋へと向かう。道具を片付けて、小屋を出れば、荷車を引いたアンリがすぐそこまで来ていた。

「ご苦労様、後はやっておくから、ご飯を食べといで」

「うん、ありがとう」

 アンリは荷車をおいて、家に駆けていく。おばちゃんは引き手のいなくなった荷車を引き受け、出てきたばかりの小屋に再び入った。荷を確認し、それぞれの保管場所へと片付けていく。

 アンリが遅めの朝食を終え、食器を片付けたところへ、おばちゃんが家に入ってきた。その手には、今日流れ着いた反物がある。

「新しい反物があったから、これでアンリの着物を仕立てようか」

 アンリは一瞬、嬉しそうなな表情になったが、すぐにそれを静めた。

「おばちゃんはいっつも、私の着物ばっかり。今回はおばちゃんのを仕立てようよ」

「嬉しいことを言ってくれるじゃないの。けど、おばちゃんはもう大きくならないのに、アンリがぐんぐん大きくなるから。ちょっと丈を長くしておいても、すぐに短くなって、今のだって、もう短くなってしまって」

 確かに、今の着物はすでに丈が短い。次に反物が届くのは一年後、このままではその頃にはもっと短くなっているだろう。アンリは少し考える。

「わかった。でも、来年は私がおばちゃんのを仕立てるから。で、その練習に今年は自分で、自分のを作るから」

「じゃあ、今年はアンリの。来年はおばちゃんのだね。アンリが作ってくれるの、楽しみにしているよ」

 そう言って、おばちゃんは持っていた反物をアンリに差し出した。アンリは受け取りつつも、複雑な表情をのぞかせる。不安と、何かを企んでいるいたずらっけと。おばちゃんはそれを見抜いていたが、後者は無視した。

「大丈夫。アンリがちゃんと仕立てられるように、手伝うから」

「ありがとう。そうだ、今日、浜辺に人が流れ着いてたんだ」

 アンリが伝えると、おばちゃんが驚いた表情になった。

「人? それは、生きた人?」

「うーん、絵巻物で見た感じだったから、人だと思う。ちょっと叩いたり、運ぼうと色々やったけど、動かなかった」

 アンリは、おばちゃんの驚きように面食らっていた。そんなに驚くようなことだとは、思っていなかったのだ。それに、アンリは生きているかどうかを、判断する方法を知らなかった。アンリにわかるのは、動かなかったという事実だけ。

 おばちゃんは少し考えて、言った。

「アンリ、その人が島を荒らすと困るから、確かめに行きます」

 アンリは再び東の浜辺へ向かう。今度はおばちゃんと一緒に、おばちゃんが荷車を引き、アンリは後ろから押して。

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