第43話覚悟


 トントンと執務室の扉をたたく。フロレンツの手には一つの封書が握られている。


「エルヴィン大佐」


「ああ、入れ」


 フロレンツは扉を開けると一歩一歩踏みしめ、エルヴィンの前まで歩み出た。

 緊張しているからか、少し手が震える。


「休暇より戻りました」


「だいぶ予定より早く帰ってきたんだな」


 肩の上ではルルが背中を叩いてくれる。笑顔を貼りつけて、エルヴィンに封書を差し出した。


「火急の要件がありまして……」


「はあ……。なんだこの封書は」


 エルヴィンが封書を丁寧に上げれば、そこにはフロレンツの字で書かれた書類が入っていた。


 エルヴィンは目を丸くして、その書類を握り締める。


「やはり、こうなったか……」


 今度はフロレンツが目を丸くする番だ。フロレンツはこの事を誰にも相談していない。エルヴィンに言ったのは休暇が欲しいと呟いただけだった。


「俺はお前が休暇が欲しいなんていうから、嫌な予感がしていたんだ」


 エルヴィンは俯き、顔をフロレンツには向けない。

 そこへスルスルっと肩からルイーゼが降りてくる。


『エルヴィン……』


「分かっている。分かっているさ。お前が正式に隊を辞めるのは1ヶ月後だ! いいな?」


「はい、引き継ぎもあると思いますし……」


 フロレンツは次の隊長に誰を指名するかこの後考えねばならない。

 レオニーが副隊長をしているが、隊長に順当になるかと言えば、そういうわけでもない。


 年齢、実績を考慮して再編成し直した方がいい。

 しかし、エルヴィンは首を横に振った。


「引き継ぎはいい。お前が考えねばならないのは、叙勲式だ」


「叙勲式ですか? 辞退は当然出来ないのですよね」


「当たり前だろう。それに公爵家やら伯爵家やら選り取り見取りで求婚の申し出が届いているぞ……」


「それはもう知っています」


 今朝起きた時にすでに家の前に馬車がいくつも止まり、中からは麗しい女性というよりかは少女がこちらを覗いていたのだ。


 間借りの部屋の退去勧告が出た。次に近隣の住民に迷惑をかけるような事があれば、退去命令が大屋から下される事になる。


「僕が帰ってきたのをどうやって知ったのか、朝から大行列を作って、皆覗かれました。おかげでルルちゃんはご機嫌斜めですよ」


 フロレンツはため息をつくと、肩口のルルを抱く。

 不貞腐れた顔のルルはエルヴィンに対して文句を言う。


『あの女たち、なんとかならないの! ものすごくきっつい匂いがして嫌!』


 ルルが嫌がっていたのは、フロレンツに近づこうとした事ではなくて匂いだったらしい。

 確かに馬車の外にも芳しい香りが漂っていた気がする。


「手っ取り早いのは誰かと婚約する事だな……」


『エルヴィンもそうするのかしら?』


 鋭い質問をぶつけてきたのはルイーゼだ。

 エルヴィンは苦い顔をすると首を横に振る。


「じゃあ、僕は婚約するにあたって条件を出そうかな……」


「どんな条件だ?」


 その条件を聞いてエルヴィンは不敵に笑った。

 ご令嬢達には悪いが嫁を取る気はない。


 それからというと、日々婚約希望者との面会が城の一室を借りて始まった。退役する事を希望者に当てて手紙を送ったのだが、それでも尚、叙勲を受けるためか、貴族の娘の末娘などの婚約希望者は減る事がなかった。


 手短に面会をする。文官がリストに面会結果を記して行く。

 もちろんルル込みでだ。


 ルルを恐れる人間がそばにいるのは論外だ。


『ふん』


 ルルの鼻息で、表情を繕うこと教え込まれたご令嬢達は皆恐れ、後退りをする。


 ルルを自分の事で利用しているような気もするが、ルルも敵を排除すると意気込んでいたため、頼んでいる。




 *

 一日を終え、自分の間借りしている部屋へと戻ると、事件は起こった。朝方寝ぼけたルルが大きな竜の姿になったようで、ベッドと共に隣の部屋の壁に大穴が出来たのだ。


 退去命令が大屋から出る。


「どうせ、出て行くつもりだったんだろう?」


 荷造りを進めた部屋をチラッと見て、大家が言った。


「はい、今までお世話になりました」


 フロレンツが頭を下げれば、大家は部屋の扉の前に行き、後ろを振り向いて呟く。


「たまには、元気な顔を見せるんだよ」


 フロレンツは微笑むと、大家も少し笑顔を見せて、廊下へと出て行った。


 10年近く住んでいた部屋を出て、引っ越しの準備をする。とはいっても元から最低限の衣服くらいしか置いていないため、あっという間に騎士団の宿舎へと荷物を運んだ。


 着々と進められて行く寂しさに肩に乗る暖かさを感じながらフロレンツは微笑んだ。



 *


 徐々に婚約者候補はいなくなり、最後の男爵の娘がやってきた。年は23歳、令嬢にしては少し行き遅れた年齢だ。


「失礼します」


「どうぞ」


 城の使用人がドアを開ければ、そこから現れたのは、金髪の長い髪を複雑に結い、緑色の瞳をした見覚えのある顔だった。

 しかし、そんな姿を見るのは初めてだ。宝飾品で身を包み赤色のドレスを身に纏っている。

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