第40話可愛い娘


 雨音が小降りになると、ピチャピチャっという音と共に足音が聞こえてくる。


 そして、スープを啜る音、肉にかじりつく音が聞こえてきたが、フロレンツは何も聞こえないフリをして、眠った。


 彼女がまだ声をかけられたくないのは、雰囲気で分かる。


 雨音が完全に消えると、腕の中では温かい体温と規則的な寝息が聞こえてくる。


 フロレンツは目を開けずに、その体温を感じ額にキスをする。


「お帰り」


 ルルはまだ起きていたのか、フロレンツを向いていた体を壁に向けて、小さな声で呟く。


『お腹が空いただけだもん。そしたら、寒そうな人がいただけだもん』


「ふふ。ありがとう」


 フロレンツはギュッとルルを抱きしめ、今度こそ眠りについた。

 それはルルも同じようで、二人の寝息が洞穴の中に聞こえていた。




 *


『ふぁ〜』


 意を決して、家出ならぬフロレンツ離れを敢行したルルは、寝不足だった。


 フロレンツの故郷というものに興味があったし、一緒についていけるのは楽しみだった。


 しかし、王都では自分がいるせいで、馬車にも乗れず、ふかふかのベッドで眠るつもりが、立ち寄った村で門前払いをされ、こんな洞穴で寝る羽目になってしまった。


 全て自分が竜という存在だからという事は、幼い竜にもわかった。


 このまま、自分がフロレンツのそばにいれば、フロレンツが益々人との距離を閉ざす気がして、いたたまれなくなってしまったのだ。

 フロレンツはうまく人と付き合っているようで、肝心なところでは心を開いていないのが、短い期間しか一緒にはいなかったが分かるのだ。


 だが、逆に飛び出してから不安になったのだ。自分がフロレンツの元から旅立ってしまえば、彼はどうなるのかと。


 変わらず、騎士として活躍するかもしれないし、逆にひっそりと人里離れた場所に隠居して孤独死するかもしれない。


 いろいろ考えが巡った結果、大きな腹の虫が鳴り、戻ってくる事にした。


 決して、腹が減ったからという理由ではないのだ。


 ルルは周囲を見る。昨夜自分を抱きしめて寝てくれたフロレンツの姿はない。

 ルルは不安になり、洞穴から顔を出す。


 断崖絶壁の途中にあるこの穴は、人の力で登りおりするのは困難に思える。

 だが、崖の下を覗けば、フロレンツと思わしき人間が、川岸にいる。


 ルルはふわりと川岸に降り立ち、気まずさを感じながらも明るく声をかける。


『フロレンツ何をしているの?』


「あ、ルルちゃんもう起きたの? これねー。釣りって言って川魚を釣ろうと思ってね。何匹かは取ったんだよ」


 すでに10匹ほどの魚が釣れており、血抜きもされている。

 ルルは初めて見る魚に触れる。


『何このヌメヌメ……。臭い』


「焼くと美味しいんだよ。地方によっては生で食べる人もいるみたいだけどね」


 フロレンツは変わらず微笑んでくれる。昨日何もなかったかのようだ。

 ルルは謝るか謝らないか迷ったが、トボトボとフロレンツの隣に行き座った。


 川面には竜の姿の自分が映る。


『ルルはどうして竜なんだろうね』


 ふと思ってしまった事を口走ってしまった。謝ろうと思っていたのに、タイミングを逃してしまった。


「難しい質問だね……。でも僕には竜だろうと人間だろうと関係ないよ」


 ルルは小首を傾げる。フロレンツはそのまま微笑んでいる。


「僕は今までルルちゃんと過ごして楽しかったんだ。僕はね。初めて子を持つ親の気持ちを知ったよ。初めて話せた日、スプーンを上手に使えるようになった日、僕の仲間と元気に遊ぶ姿を見た日、それはなんとも表現し難い嬉しさが溢れ出した」


『ルルといると楽しい?』


「ああ、心の巣食う闇が払われていくのが分かる」


『闇?』


 フロレンツはルルが聞き返したところで、言葉を止め、シーと指を自分の唇に当てて、ルルに川の中を指して見せる。


 ルルが川を覗けばウネウネと身をくねらせ、水流を逆らうように、フロレンツの垂らす糸の先にいる魚がいた。


 フロレンツが糸の付いている棒を引き上げれば、ウネウネが岩場へと身を打ち付ける。


『何この動き……』


 ルルは恐る恐るその物体にツンツンと指先で触れた。

 ピチンと急に大きく跳ねて、ルルは飛び上がり警戒する。


 フロレンツはクスクスと笑うと、魚を慣れた手つきで血抜きし始めた。


「逃げたらもったいないからね」


 そういうと、取った魚を持ち、岩を登り始めようとする。

 ルルは何を遠慮しているのか分からないが、フロレンツの脇の下に手を入れて、洞穴まで飛んでいく。


「ありがとうルル」


『こっちこそありがとう』


「ん?」


『いつも、いっぱいご飯の準備してくれてありがとう! これからは少しくらいお手伝いするから教えて!』


 何故かフロレンツは泣き始めた。いや、泣き真似を始めた。


「父さん、娘がこんなに急に成長するとは……ねえ、お願いなんだけど、僕に見せる姿、小ちゃい女の子に戻せない?」


 ルルは考える。波長を本来のルルの姿にしていたのを忘れていた。

 大きいままだと一緒に寝てくれない。だけれども昨日は一緒に寝てくれたし、ルルを見て距離を置こうとしなかったはずだ。


『んー。おっきいのはやっぱり嫌なの?』


「イヤではないんだけど、目の置き場に困るというか……小ちゃいほうがルルちゃんらしいかなって」


『……。ルルらしい?』


「娘は可愛いほうがいいなってさ……」


 どこか困ったような声音で話してくるフロレンツの真意は分からなかったが、ルルは波長を幼女に合わせた。


 洞穴にフロレンツを置くと、後ろを振り返って満足そうに微笑む。


「これこれ、父さんはいつまでもちっちゃくて可愛いルルちゃんがいいぞ!」


 フロレンツは頭をクシャクシャに撫でてくる。

 ルルは深く考えず言葉をそのまま受け取った。


『フロレンツが可愛いって言ってくれるならこっちのままでいる!』


「うん。そうそう」


 大人の姿でいられると身が持ちそうにないという言葉の意味は分からなかった。


 魚をパチパチと焼き、ルルはそれを頬張る。


『美味しい!』


 ルルが笑顔でご飯を食べて、それを優しく見守るフロレンツがそばにいるいつもの構図が戻った。


 だが、フロレンツの顔はどこか憂いを秘めていた。

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