第37話旅立ち前の腹ごしらえ

 フロレンツは城の宿舎でルルと一晩を過ごすと、エルヴィンの元を訪れた。


 机の上に上がっている大量の報告書の束と睨み合っている。


 フロレンツの訪れに、いったん顔を上げると、またすぐに膨大な紙の山に目を向ける。


「フロレンツか……前に行っていた休暇届けだろう? 許可は通っている」


「お忙しい中申し訳ありません」


「いや、今は一旦体を休めた方がいいだろう」


「ありがとうございます」


『デートしてくるね』


 ルルは愛らしく無邪気な表情で手を振り、フロレンツは胸に手を当てて一礼すると、部屋から去る。


 エルヴィンは一人になり、深いため息をついた。


「お前はしばらくここには戻ってこない方がいい」


 手元にある一掴みほどの紙の束を目に通す。


「叙勲に婚約希望者のご令嬢のリストか……どれもあいつが嫌いそうなものだ。さて、どうさばくか……。叙勲は王命だから仕方ないとして、令嬢たちが問題か」


 そして、その倍はあるだろう紙の山に至っては目も通さずに、棄却の決済箱に入れる。


『あら、いいの? あなたにもたくさんのご令嬢からの申し込みが来ているんでしょう?』


「ふん。30も離れた小娘に相手をしている暇などない。俺は一人の女を愛する事しかできない!」


 胸元に伸びる手が後ろから優しく抱きしめてくれる。

 少し、エルヴィンの心は晴れるが、膨大な書類の前にはため息しか出てこない。


「俺は文官か!!」


『執務室に文官を入れないのはあなたでしょう?』


「少しでもお前との時間は取りたいんだ」


『なら、尚更文官を入れるべきね。先ほどから全然手が進んでいないわ』


「くそー!」


 エルヴィンの雄叫びは扉を通り越して、廊下まで広がった。




 *

 城下町の城から少し離れた間借りしている部屋にフロレンツは来ていた。

 服を詰め込み、後は食料を少し街で買い込み、王都を出発する。


 ルルにレオニーからもらったリボンをつけてやり、最大限のオシャレは完成した。


 フロレンツも久々の私服に肩の軽さを感じた。

 鎧の重さを感じないだけで、心が軽やかになる。


「ルルちゃん。いい? 僕から離れないこと。勝手にぶらぶらすると迷子になるからね」


『はーい。デート♪ お肉♪」


 ルルは自作の歌を作るほど、気持ちが高揚しているらしい。フロレンツはルルの頭を撫で、部屋から出るとそこで出会ったのは大家だった。大家は小太りで60代くらいの女性だ。


「久々に帰ってきたと思ったら。なんだい、その竜は……」


「その、戦地で保護しまして……」


 フロレンツは竜付きでは間借りしている部屋を追い出されるのかと思い、身を構える。


「問題を起こしたら、すぐに退去してもらうよ。竜の面倒はちゃんとみな!」


 即時退去命令が出なかった事にフロレンツは安堵する。


「お帰り。無事で何よりだ」


 大家は決してこちらを見ることはなかったが、言葉の端に優しさを感じ、フロレンツ一礼した。


「ありがとうございます」


『ルル悪い子にしなきゃここにいていいの?』


「うん。大丈夫みたい」


 フロレンツは足取り軽く、城下の街並みを歩く。

 まずは、荷物がないうちに昼食だ。

 ルル御所望のガッツリ魔獣肉が食べれる肉食男子が集まる食堂へと入った。


 中に入れば屈強な男たちが肉をむさぼっていたが、ルルが顔を出すと、顔をあおざめさせた。


 当然の反応だ。今までもそういう表情は見ている。


「ルル一応確認なんだけど、今は小さい姿なんだよね?」


『うん、小ちゃい方だよ』


 ルルが胸を張って答えた。人前にいる時は小さな姿でと言い聞かせたので、その約束をきちんと守ってくれているようだ。

 ルルの頭をそっと撫でてあげる。


 フロレンツの中では可愛い幼女でも、周りから見たらこれが普通の反応なのだろう。


 そう考えると、大家の対応はそこまで嫌なものじゃなかった。


「それじゃあ、デスベア盛りのカウス肉焼きを一つと、ラビタント盛りのカウス肉焼き一つね」


 注文を取る手が震えている店員に声をかけ、申し訳ないと思いつつも、ルルと話しながら肉が来るのを待つ。


「あれー、隊長じゃないっすかー?」


「お、まさかここで会うとは! 昨日はお世話様でした!」


 自分の隊の若手の騎士ケヴィンとその他3名ほどが隣のテーブルに座る。


「ルルちゃん今日はリボンつけてるんすねー。可愛いっすよ」


『ルル、可愛い?』


 ケヴィンの言葉に反応してルルが見上げてくる。フロレンツは迷わず頭を撫でる。


「ああ、可愛いさ」


『フロレンツ大好きー』



 ルルのほっぺたにチュー攻撃が炸裂する中、焼き上がった肉が二つテーブルへと運ばれてくる。


 香ばしい香りが漂い始め、ルルは紙エプロンとフォークを持ってすぐさまお子様用の椅子へと座った。


「デスベア盛りっすかこれ……」


「それに加えて隊長のはラビタント盛り……」


「この年になると、あんまり肉を受け付けなくなるんだよ。頼んで後悔するんだ……」


 フロレンツは苦笑する。個人差があるかもしれないが、32歳を過ぎた頃から山のように食べてきた肉があまり食べれなくなってきたのだ。

 今は少量の肉を味わうのが一番いい。

 でないと、後から胃もたれに襲われるのだ。


 ルルの皿に盛られた肉の塊を食べやすい大きさにカットしていく。

 牛の4分の1程の量があるので切り込んでいくにも時間がかかる。

 ルルは切っていく片端からフォークで上手に刺し、食べ続けている。


「隊長、子育て大変ですね」


「分かる? これ軽く筋肉痛になるんだよ」


「剣でババッと切り込んだほうが、早そうですよね」


 ケヴィンの言葉にフロレンツは驚いた。飲食店で剣を使うという発想はなかった。

 だが、それを実行するわけにもいかず、チマチマとナイフで切っていく。


 そこを通りかかった店員が気を利かして包丁を持ってきてくれた。

 フロレンツはその行為に甘えて鮮やかな包丁捌きで切り上げた。


「隊長って料理も剣もできて本当いいですよね」


「剣も料理も騎士には必要な技能だろう?」


「いや、料理はさほどできなくても大丈夫じゃないっすか! 携帯食料と適当に食えるくらいの料理なら!」


「隊長の料理は下手な店より上ですから!」


 食い気味に迫ってくる騎士に賛同するかのように、ルルももぐもぐと口に入れながら、モゴモゴ言い始める。


『ルルも好きだよ。フロレンツのご飯』


「そうかい? じゃあ、騎士団やめて王都で店でも開こうかな」


 ケヴィンが元気よく挙手をする。


「隊長、俺そしたらそこで働かせてください! 俺隊長にどこまでもついていくんで!」


 従順な若手に気を良くして、フロレンツは微笑む。料理屋はやらないだろうが、付いてきてくれるという純粋な心が嬉しい。


「まあ、料理屋は冗談だとして、ケヴィンありがとう」


「は、はいっす!」


『フロレンツ食べないの?』


 ルルの言葉に皿を見ればほとんどルルの皿はからだった。


「足りなかったかい?」


『まだ食べれる』


「そうか、お食べ。僕は露店で何か軽食を食べるからいいよ」


『うん』


 ルルは満足げにフロレンツの分の肉も食べ始めるのであった。ケヴィンは確認する。


「隊長、食費大丈夫なんすか?」


「そこが問題なんだ。今までは戦地に居たから魔物をかって食べさせられたけど、王都近くには大した魔物はいないからね。まあ、実家に帰る工程で考えてみるよ」


「そっすか。子育てって大変ですね!」



 フロレンツ、ルルの事を大事にしてくれる思いを分かってくれるケヴィンの心の優しさに、少し癒されて、食堂を出たのであった。

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