第29話氷の竜と炎

 


『フロレンツ……』


「無能とは味方の兵も関係なく排除するという事なのか? ハンス……力を間違った方向に使ってはいけない」


『あら、あなただって力に負けて、感情のまま燃やし尽くそうとしたじゃない』


「……」


 フロレンツには記憶がない。気がつけば、天幕の中に寝かされていた。


『そうよね。炎竜さん?』


「そうなのかルル?」


 ルルは躊躇いがちに首を縦に振ると、フロレンツの左手を手に取った。


『確かにあの時はフロレンツは怒りに身を任せて、敵も味方も関係なくこの黒炎で燃やし尽くそうとしてた。でも大丈夫だよ。ルルがそばにいるからそんな事させない』


「ルル……」


『フロレンツが悲しまないようにする。それはルルが一番に思うこと……。今は貴方のそばにいて、私は貴方が過ちを犯そうとすれば止められる。だから安心して』


 ルルは左手だけでなく、黒炎がチラチラと防具の中から漏れ出してきている右手も、小さな手で包み込む。

 そして、笑顔で見上げる。

 その小さくて大きな存在にフロレンツは安堵をして、膝をつきルルの小さな体を抱きしめた。

 自然と右腕から炎は消えた。


「ルル……。ありがとう。君がそばにいてくれるなら、僕はまともな人間でいられるんだね」


『うん。だから安心して、フロレンツが暴走しそうになったらルルがいるから大丈夫』


「ああ……」


 その小さな体の熱にフロレンツの心が暖かくなっていると、面白くなさそうにヘンネがハンスの前に出て氷のブレスを放ってきた。

 それをフロレンツの炎が相殺し、フロレンツは立ち上がり目の前の氷竜を睨み上げた。


『つまらないわ……つまらなすぎる。人間との間に信頼なんて生まれる訳ないわ。人は私たちの与える力に興味があるだけ……。心まで結ばれることがある訳がない』


 その憂いに満ちた眼差しに、少し動揺したフロレンツだったが、さらに氷のブレスを放ってくるヘンネに対して、気を休める訳にもいかず、炎の言霊を口にする。


炎壁ファイアウォール


 辺りは赤い炎に包まれ、ルルたちの間には隔たりができた。


「ルルちゃん。頼りにしてるよ」


『うん!』


 足に縋り付いてくるルルの頭を撫でた。こんなにも愛おしい存在があるだろうか。


「僕は一人じゃない。ルルがいる。お前たちのした事は戦争じゃない。ただの虐殺だ。それを分かっているのかハンス!」


 フロレンツが投げかける相手はヘンネではなくハンスだった。その心に問い掛けたかった。


「僕は命令に従ったまでだ。それに下等な人間共とは違う存在なのだ」


『そうよ。ハンス貴方は選ばれた人間なの』


 ヘンネが包み込むようにハンスを抱きしめた。炎が消え始めた事でその姿が見える。


『選ばれた人間ならわかるわね。私たちの関係を崩そうとするのが、目の前にいることを』


「ああ」


『それじゃあ、私と力を合わせて奴を叩きのめしましょう』


 ハンスが手をかざせば、氷の礫が発生し押し寄せてくる。

 それにヘンネのブレスも合わされば、強力な雹の吹雪となった。


 フロレンツは炎を纏い、その雹から身を守った。

 雹を防ぎきった後には、辺りの地面は凹凸ができ、その威力の大きさが目に見えて分かる。


『至近距離でも防ぐなんて……』


「バカな……」


「お前が下等だという者たちも生きている。生きるために戦いに出ているそれを分かっているのか?」


「……俺も妹を救うために、戦場に出た」


『あら、余計な感情が蘇ってきてしまったわね』


 ヘンネがハンスの頬を包み込めば、俯いて歯を食いしばっていたハンスの表情が、みるみるうちに感情のこもらない表情になった。


「ヘンネ……お前はもしかして」


『ふふ。私への愛以外何もいらないじゃない? 余計な感情が生まれれば戦えなくなるでしょ? 力を欲する事が無くなってしまうわ』


「力を欲するためには感情は必要だ」


『大丈夫よ。この子は私の為に力を使う。私はこの子の為に力を与える』


「そうやって、人を操り人形にする気か?」


 怒りのこみ上げてきた右腕には黒い炎が燃え上がり、腕につけていた防具を溶かしていった。


『フロレンツ大丈夫?』


「ああ」


 炎のない左手でそっとルルの頭を撫でてやり、不安を拭うように微笑みかける。


「ヘンネお前の考えは間違っている。竜と共にある者は力で支配してはならない」


『綺麗事を……。貴方に加護を与えたウーヴェだって人を憎む者よ』


「分かっているさ……。だが、僕はウーヴェにも分かってもらうつもりだ。裏切るだけが人の本分ではないとね!」


『そう言って、黒の炎を身に纏っている人間の言葉なんて信用ならないわね』


 ウーヴェの与えた加護は憎しみや怒りを糧として力を増す。その感情が激しければ激しい程、黒の炎がフロレンツの体を侵食していく。

 腕で止まっていた黒い義手が今や右肩部分まで広がっている。そのズキズキとした痛みにフロレンツは顔をしかめた。


「ウーヴェ。侵食型なんて初耳なんだけど……」


『アハハハハ。なんて愚かなの。結局は自分の感情に食われていくだけなのよ。愚か……人とは愚かな存在だわ』


『フロレンツは愚かなんかじゃない! きちんと悩んでる。私が感情を吸いすぎちゃって大変な時もあったけど、それでもこみ上げてくる感情に付き合ってた! 悲しみが分からなくても死者に花を手向けた。涙を流した!』


 ルルはフロレンツの左手を握りヘンネに向き合う。


『フロレンツの優しさは変わらない! 撫でてくれる手も抱きしめてくれる手も暖かかった。だから私はフロレンツの事を悪く言う者を許せない』


「ルル……」


『馬鹿馬鹿しい……人に傾倒していい事など何もないわ! その誤ちに気づきなさい! ハンス!』



 ハンスは無表情のまま頷くと、右手を天に掲げ大きな氷の塊を放った。


「ルル!」


『うん!』


業火ヘルファイア


 ルルたちはそれぞれ炎の魔法を放ち、その氷魔法ごとハンスたちを炎の海に包んだ。

 地面は焼け焦げ、その場には何も残らなかった。

 フロレンツの右腕からは炎が消え、膝をつけた。

 そこに勢いよくルルが飛びついてくる。


『フロレンツー!! 大丈夫?』


「大丈夫。大丈夫だよ。ルルちゃん」


『ずっとそばにいるからね』


「ああ、そばにいてくれ……お嫁に行くまでは」


『ルルはお嫁に行かないもん』


「そっか……それはそれで心配になっちゃう」


 フロレンツ達が冗談を言い始めて、何も残らなかった荒野から飛び立った。

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