第28話下衆

 

『カサンドラ……』


「その小太りの男は私に任せなさいな。そういうのは得意分野よ。フロレンツこの男が何をしたか確認すればいいのよね」


「それはそうだが、まさか……」


「うふふ……」


 カサンドラはおもむろに男の顎に触れて、耳元で囁く。


「ねえ、貴方……目を覚ましなさいな」


「……ここは……。お前は誰だ? 私は戦場にいたはずだ。麗しい女性といた記憶はないが……」


 男が目覚めれば、カサンドラの事をいやらしい視線で舐め回すように見ている。


「あなたすごいわねー。軍隊を率いているのでしょう?」


「ああ、俺は国王の甥でな……。欲しいものが有ればいくらでも買ってやれる」


 男はカサンドラの腰に手を回し、自分へと引き寄せた。カサンドラが男の顎に置いた手を取り、その手の甲に口づけをする。


「うふふ。欲しいものは一つよ。あなたの精気だけ……」


「俺の精気だと……いくらでもくれてやろうぞ」


 カサンドラの胸に頬を寄せる男に、カサンドラは問う。


「さっきの氷魔法を降らせたのもあなたの指示なの? 味方も敵も皆散って行ったわ。護るため犠牲を厭わない姿まさに武人の鏡ね」


 カサンドラの言葉に男がにやつけば、ルイーゼが拳を握りしめる。今にも男に殴りがかりそうになっている。

 フロレンツはルイーゼの手に触れ、それを笑顔で止める。

 騎士達からは「おおー」という声が漏れるが、フロレンツからすれば、竜相手ではなく一人の女性のか細い腕を握っている感覚でしかない。

 男はカサンドラの髪で遊びながら、得意げな顔になる。


「そうだ。私が全て指示したのだ。氷竜をテイムしているハンスにやらせた。虫けらも無能も一掃できてちょうどいいだろう?」


 カサンドラは後ろを振り返ると、フロレンツを見つめた。


「こんな所でいいかしら? 嘘はついていないわよ。今は夢心地でしょうから……」


 フロレンツは頷き礼を言う。カサンドラが男から離れれば、男にかかっている幻覚魔法は解除されているようだ。

 男はキョロキョロと辺りを見回し始め、顔を青ざめている。

 敵国の騎士の格好をした者達にかこまれているのだ。我に返れば呑気に女を口説いている暇もない。


「お前は……。我が兵はどこにいるのだ? エグナーベルの兵は……」


「ご自分で白旗を振った事をお忘れですか?」


「……あ、あああー……」


 男の夢は現実に引き戻され、声を上げて泣き始めた。

 裸同然の男の肩を慰める存在はいなかった。


 フロレンツは縛り上げた男を立ち上がらせ、再度ルルの背に乗せて、後方に戻ろうとすれば再び空から氷魔法が降ってくる。


 先程エルヴィンが土壁を形成していたこの場所目掛けていくつもの氷の礫が落とされる。


「まだ惨劇を続けたいか……」


 フロレンツは黒い炎を腕に宿し、右腕を空に向けて炎の塊を打ち出す。

 フロレンツの右腕から発せられた炎は全ての氷を水へと変え、周囲は雨のように水の粒が降ってきた。


「ルル! 術者の場所が分かるかい?」


『任せて!』


 男はルルの背に乗り、空をかけた。





 *

「あら、私の事は置いていくのね……」


『ヘンネになんて会う必要もないわ……』


「私そこだけはあなたと気が合いそうよ」


 カサンドラはルイーゼと言葉を交わすと、また霧の中へと消えていく。


「今回の分はまた会ったときにゆっくり精気をちょうだいするわよ。フロレンツ……」


 ニコリとする妖艶な女性の姿が消えた事に、様子を見守っていた騎士達は顔を青くする。


「フロレンツ大尉って何者なんだ?」


「テイムしていない竜に睨まれようとも関係ない。ましてや腕まで掴んで……」


「そして、あの女は何者だ? 沸いて出てきて、ふっと消えて……全てフロレンツ大尉が関係しているんだよな」


「俺らフロレンツ大尉には逆らえないな……」



 飛んで行ったフロレンツの小さくなった姿を、騎士達は見上げるのであった。



『あのあばずれ竜の匂いはこっちだよ!』


「ルルちゃんそんな言葉どこで覚えたの!?」


ルルの上に乗って空を飛んでいれば、衝撃的な言葉にフロレンツは驚く。

幼女がこんな言葉を使っていいのだろうか。


ルルが飛行する高度を下げ始めれば、氷の魔法が下から飛んでくる。

ルルのブレスに相殺され水蒸気と化した大きな氷の塊を抜ければ、ヘンネを後ろに控えさせたハンスの姿がある。


小高い丘の上に降り立ち、ルルから降りればヘンネが高笑いをし始めた。


『あなたまだ生きてたのね。あの氷魔法を防ぐとはなかなかの加護を持っているのね』


「ヘンネ。もうエグナーベルは白旗を振った。無益な攻撃は不要のはずだ」


『あら、私たちに下されたのは無能な者の排除よ。下着一枚で白旗を振るなんて、無能じゃない』


妖艶なヘンネの口の端が釣り上がり、邪悪な笑みを見せた。フロレンツは拳を握りしめる。

右腕からは黒の炎が上がり、その様子を心配そうにルルが見つめた。

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