第17話 終わりの瞬間

「本当に、ここにエクスピアがいるの?」


「うん、間違いない」


 シモンとアミクスは『危険領域』内にある地下施設に来ていた。以前にエクスピアと探索した場所だ。


 異変に気付いたのは、シモンだった。なかなか戻らないエクスピアの帰りを待っていると、遠くの方でいくつかの竜巻が発生した。空まで届くほど巨大なものが、三つ、四つと渦巻いた。


 彼がまだ無事でいることを知って安堵するのと同時に、ある疑問が浮かんだ。複数の乱雑な風を起こす場合、彼は動きを制限されるはずだった。たとえば巨大メルマキナを破壊したとき。たとえば風の防壁を作って移動したとき。


 シモンは疑問の中に不安が隠されていることに気付いた。具体的に言い表せられない、表現が難しい種類のそれは、酷く気持ち悪いくせに、胸の中でオイルをかき混ぜるようにドロドロと蠢いている。


 そして、異変は起きた。


 竜巻の一つが、不自然に消えたのだ。徐々に威力をなくして消えたのではなく、一時停止をして輝きながら消えていった。


 なにが光っていたのだろうか。


 メルマキナの残骸?


 シモンは考えたが、答は出なかった。


 アミクスにならばわかるだろうか、と彼を見た。そして驚いた。彼の目から温かさが消え、悲しげな眼差しになっているのだ。なにを見て、その眼になったのか。そんなことは彼の視線の先を見れば、わかることだった。


「エクスピアになにかあったの?」シモンは訊いた。


「彼は今、かつての仲間と戦っているんだ」


「それって大変なことじゃないの」


 エクスピアとアミクスが戦っていることを想像していた。正確には想像しようとしたのだ。だが、あまりにも理解の範疇を超え過ぎているため、途中で断念した。しかしそれだけで充分だった。人間が理解できないほどの戦いが、人間が理解を拒む戦いが、今まさに起きているということだ。


「助けにいかないの?」


「僕は、きみを守らないといけない。きみを取り巻く環境を守らないとダメなんだ」


「なにがダメなの」


「彼との約束だから」


「約束を守ることは大事かもしれない――だけど、友達を失ってもいい理由にはならないわ。それとも彼が絶対に勝てる相手なの? そうじゃないでしょう。そうじゃないから、あなたは今、拳を握り締めているんじゃない」


 メルマキナは人間じゃない。たしかにそれは真実だが、しかし彼らにも“心”はある。だからこそ対立し、各々がそれぞれの道を歩んだのだ。人間ではなくとも、人間らしさはあるのだ。


 エクスピアと過ごし、彼を見てきたシモンにはそれがわかっていた。感情がないわけじゃない。怒ることも、笑うこともある。冗談だって言える。


 それを隠す必要などない。


「それでも、僕はここにいないといけない。僕がいない間になにかあったら、それこそ彼に申し訳ないよ」


「あなたはどうしたいの?」


「さっきから――」


「エクスピアとの約束とか、私たちのことを抜きにして、あなた自身がどうしたいのかを訊いているの」


「それは……」


「どうした」突然の声。


「セドルさん」


 エレベーター側からセドルが歩いてきていた。誘導部隊はアミクスのおかげで無事に帰還することができた。団員たちは足取りが軽かったが、セドルだけは思い悩むように重い足取りで車から降りた姿を見た。


「アミクスの友達が危険に晒されているかもしれないんです」シモンは説明した。「自我を持つメルマキナどうしの戦い――想像するのは無理かもしれないですが、ア

ミクスが二人いると思ってください」


「それは本当に想像を絶するな」セドルは苦い顔をした。「助けに行かないのか?」


「アミクスはその友達との約束、私たちを守るためにここを動けないって言うんです」


「なるほど」神妙に頷くセドル。「アミクス、俺たちのことはいいから、行ってこい」


「僕がいなくなったら誰がここを守るんですか。またあの大群がくることも充分に考えられます」


「俺たちが守るに決まっているだろ。たしかに俺たちはあのメルマキナには勝てない。だけどな、だからといって戦うことを辞めることはできないんだ。いつまでもアミクスやその友達に守られているわけにはいかないことも、わかっているだろ?」


「でも、今死んだら終わりなんですよ」アミクスは言った。


「それはその友達も同じだろう。なに、心配はいらない。倒せないことはわかっているんだ。それならば、無茶な策は立てやしない。勝つ戦いをしなければいいだけだ」


 アミクスは顔を俯かせた。それだけエクスピアとの約束が、彼の中で重要なことなのだ。もしかしたらエクスピアが離れないようにと頼んでいるのかもしれない。


「ありがとうございます」アミクスは顔を上げ、そう言った。「無事を祈ります」


「ああ、一度は救ってもらった命だ、ぞんざいにはしないさ」


「あの、私も……」


「わかっている。すまないが、シモンを頼む」


「わかりました」


 こうして、シモンたちはエクスピアのもとへ向かった。


 初めに向かったのはもちろん竜巻の発生した方角だったが、辿り着いてみればそこにいた――あったのは無数のセルウィの残骸だった。姿形が残っているものが多く、中には頭部が欠けてもなお動いている機体もあった。ただそれは立ち上がったり、崩れたりを繰り返すだけだった。


 エクスピアはどこへ、というシモンの疑問を打ち払うかのように、アミクスは「行こう」と告げた。彼にはエクスピアの居場所がわかるようだった。


 その場所へ向かっている途中、アミクスは一言も喋らなかった。


 シモンは気付いた――『危険領域』にいるのだと。


 判断材料となったものはなんでもない、ただの勘だった。


 ただ『危険領域』の方から、彼の風が流れてくるのを感じたのだ。


 地下施設への入口は同じだったが、シモンが壁に呑み込まれた階層からは別のルート、つまり落ちていかない手段で「その場所」に辿り着いた。


 部屋の奥の壁は分厚いガラスが張られ、その中央部には癒着するように培養器が設置されていた。向こう側の部屋からは、オレンジ色の光が漏れていた。培養器の薄いガラスは割れていて、そこに彼は立っていた。


 シモンは、ただ絶句するだけだった。


 最後に見た彼とは、まったく違う姿があったからだ。右腕は肩からなくなっていて、右腹部も鋭利なもので切り取ったように欠けている。傷のない個所などなかった。どこを見ても損傷があり、そこから火花が散っている。


 そして指が不揃いな左手は、メルマキナ「だった」ものを掴んでいる。それには両腕がなく、頭部には刃物で刺したような穴が開いていた。


「エクスピア!」シモンは叫んだ。


 名前を呼ばれた彼はピクリともしなかったが、やがて振り向いた。碧色の瞳からは光が失われ、黒く沈んでいた。


 シモンは居ても立ってもいられず、彼に近づこうとした。


 しかしアミクスがそれを遮った。


「どういうつもりなの」


「これ以上はダメだ」


「ダメ……? まさかエクスピアとの約束なの」


「これ以上は危険だから」


「アミクスは彼を助けに来たんじゃないの?」


「僕に彼を止めることはできない」


「エクスピア!」シモンは再び彼の名前を呼んだ。彼はずっとこちらを向いたまま動かない。


 彼がなにをしようとしているのか、シモンにはわかっていた。それはシモンが考えていたエネルギー問題の解決方法だ。主動力炉には『核』がない。その代替品になりえるもの――それはメルマキナの動力源だった。メルマキナには人間でいう心臓のような機能を持ったパーツが存在する。ただエクスピアたちのような強力な動力源をセルウィは持っていない。しかしいくつかパーツを集め合成すれば、それに近しいものにすることができるかもしれない。シモンはそう考えていた。


 考えないようにしていたのは、今エクスピアがしようとしていること。


 言ってしまえば、彼は必ず実行すると思っていたからだ。


「じ……、な……」エクスピアの口が微かに動く。


「エクスピア」手を伸ばしても届かない。


「じゃ、……ン」


「約束したじゃない……」


「……あ、……モ」


 やがてシモンはその声を、言葉を聞いた。


 彼の微笑む姿を見た。



 ――じゃあな、シモン。



 エクスピアは動力炉の中に消えていく。


 どんなに叫んでも、無駄だ。


 手を伸ばしても、無意味だ。


 彼はもう届かない場所に行ってしまったのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る