第16話 覚悟の差
風が起き、砂が舞い、形となって崩れさる。
そんなやり取りを幾度となく重ねた。
エクスピアは持てる力すべてで対抗する。
残された時間を徐々に、徐々に削り取って、今を生きている。
時間は誰に対しても無限ではない。
人間に寿命があるように、メルマキナにもまた寿命が存在する。ただ人間の一生の数倍を生きられるというだけなのだ。必ず「死」は訪れる。
それは、この世界は完全ではないからだ。
人間の求めた理想郷では決してない。
だから、人間は理不尽に殺されることもある。
だから、人間には老いや寿命が存在している。
それでも、人間は温かさや慈愛、希望に満ちている。
エクスピアが変わったのは、それに触れたときだった。その能力を持ってすれば、人間に接近することなく排除できる。刃向ってくる者たちも近寄ることができない。
人間を「人間」として認識していなかった。
ただ与えられた使命を果たすために、当たり前のように殺してきた。
なにも知らなかったから。
なにかを知ろうとしなかったから。
そういうことができた。
だが、一度触れてしまえば、理解してしまう。人間が生きていることを、人間と同じように自分もまた生きていることに気付いてしまう。
恐怖の前で、仲間や家族を守ろうとする意志。
絶望の淵で、仲間や家族を庇おうとする勇気。
その感情をかつて自分が持っていたことを思い出したのだ。
自分が生まれた意味を知った。
そして自分の愚かさを知った。
どんなに過去の過ちを後悔したところで、意味はなさない。
死んでしまった彼らに対して謝罪をしても、その声は届かない。
自壊をしても、自分が消えるだけだ。世界は変わらない。
過去の人間のためにできることはない。
だから今生きている人間のために、エクスピアはその身を捧げる。
それがせめてもの償いだ。
「おいおい、避けているだけじゃあ終わらないぜ!」テンエブラが嬉々とした声を上げる。「持久戦が不利なのは、お前の方なんだぜ?」
身体が上手く動かないのは、なにも今始まったことじゃない。『核』から発生するエネルギー量と駆動するための必要量に差が出始めたのは、シモンと出会うよりずっと前からだ。エネルギーの供給量が足りないということは、ボディの状態を保つことができないのと同じ。つまりエクスピアの現状は、エネルギー不足とそれによる機能面の劣化だった。
「聞こえてんのか?」
「べらべらとよく喋る」エクスピアはテンエブラの攻撃を避ける。
テンエブラの攻撃は右手主体になっていた。左手を攻撃に使ってこない以上、能力を使うことができない。
最初は一撃必殺の短期勝負をしかけていたはずが、持久戦にシフトしていた。無理矢理持ち込まれたのだ。
「久しぶりに目が覚めたんだ。お喋りくらいしようぜ」
「お前の能力に変化があるのは、ドゥクスによるものか?」
「間違っちゃいない。これもあいつの実験結果によるものだからな」
「分離しているのはなんだ」
「対象と世界だ」
「なに?」
「二つの世界が重なって存在するこの世界の物質を、片方の世界から分離した場合どうなるのか――そういう実験をドゥクスはしていた。まあ、実際はオレの力で世界を正すことができるのかを調べたかったみたいだが」
「片方の世界と分離されることによって、存在を失うってことか」
「そういうことだ」
「厄介なことを吹き込んだもんだ」
「もっと簡単に相手を消すことはできるが、世界から排除するというのが堪らなく気持ちいいんだ。だからオレはお前をこの世界から消してやるよ!」
テンエブラの手がグンッと伸びたような感覚。そう錯覚してしまうほどに、今のエクスピアにとってテンエブラは脅威だった。それはおそらく人間がメルマキナに抱いていた脅威に近いものだっただろう。相手を摘み取ろうとする意志が、心を脅かす。
より接近戦をしていることで、気付いたことがあった。テンエブラが能力を使用しているとき、手のひらや足もとがほんの少しだけ紫色に光る。それは淡く薄い光だったけれど、突破口になりえるかもしれない情報だった。
エクスピアは待っていた。
脅威から脱するための好機を。
この戦いを終わらせるための分岐点を。
そのときのための力は温存しておきたい。だからまだ回避に、身体を動かすためにエネルギーを使う。
ふと高熱を感じ、左腕を向けて能力を行使した。
「ぎゃはは! どこ見てんだ! とことん終わってんな、お前の身体!」
高熱を感じた方向とは別の場所から、テンエブラの声がした。
一瞬の判断で自身に風をあて、テンエブラとの距離をとる。一時しのぎにしかならないが、それでも「そのとき」を生きたということは重要だ。
「やっぱ、いいわぁ。持久戦にして正解。すかした態度のお前が焦る姿を見られるなんて、初めてのことだからな。胸が躍る。ぎゃはは、もしかしたら人間を殺すより楽しいんじゃねえか? ああん?」
「なら、メルマキナを破壊しろ。人間に手を出すな」
「やだね」テンエブラは笑みを浮かべる。「人間を殺し切ってからでも遅くはないさ。オレたちには時間があるんだからなあ!」
「少なくとも、俺とお前にはない」
「そうだな、そうだった。お前はここでくたばるんだもんな」
「お前が散るんだ」
「おもしれえこと言うじゃねえか!」
エクスピアが思っている以上に、終わりは近かった。身体を動かそうとすると、他のシステムに異常が発生した。視界が霞んだり、聴覚が誤作動を起こしたりと、とうていまともな体ではなくなっている。唯一の頼みである風による場の把握も、細かくは認識できない。
別の世界にいるようだった。自由のきかない世界に落とされ、いくら足掻いても抜け出すことができない。今までの経験が、知識が役に立たない。そう、エクスピアは今、絶望の淵にいた。
「死んじまいな」
視覚から脳への伝達が遅れ、気付けばテンエブラの手が数ミリのところまで来ていた。
そのときのエクスピアの思考は、どの部位ならば捨てられるか、だった。能力のために左腕を失うわけにはいかない。下半身や頭部は論外。
正面に風を発生させても、間に合わないことは確実だった。
ならば、と彼が風を発生させたのは、自分の右腹部だった。威力を持ったそれはエクスピアの身体をドンッと押した。だが、それでもテンエブラの手が右腹部を掠って触れてしまう。
だから、右腹部を斬り落とした。身体との接点を断ち切ったのだ。
衝撃で横に吹き飛んだが、左手を上手く使ったことで倒れることはなかった。
切断した箇所から、火花が飛び散る音が聞こえた。
「いいねぇ、いいねぇ。やるじゃねえか、ジャンク野郎。今のは完全に殺ったと思ったわ。油断して逃しちまったよ」
現時点では、エクスピアがテンエブラに勝てる可能性はゼロに等しかった。どんな策を練ろうと、足掻こうと破壊を免れることはできない。
だが、好機が必ず訪れる確信があった。そのときが訪れるときにこの世界にいられるかはわからないが、その一縷の望みに賭けるしかなかった。
エクスピアは諦めない。人間がメルマキナを前に屈しなかったことを知っている。どんな脅威の前でも気高く生きていた者たちを知っている。彼らのように、勇敢に戦う。それが今できる最善のことだ。
人間が好きなわけじゃない。
純粋に憧れていたのだ。
彼らのようになりたいと。
守る側になりたいと。
その気持ちだけが、エクスピアを動かす。
右目の機能が停止して、正面の半分が暗闇となった。左半分の視界は歪むことがあった。まともに相手を見ることもできない。
それでも構わない。
聴覚は雑音混じりが当たり前となり、声で相手の距離を把握することはできなかった。ときに大きく、ときに小さく聞こえるためだ。
それでも構わない。
まだ生きているのならば、どんな状態に陥ろうとも問題ではない。
少しずつ終末に向かっていこうとも――。
「みっともねえ姿だなぁ、おい。オレたちの中でそこまでボロくなったのは、お前が初めてなんじゃねえか? ほんっと惨めだ。人間を守るとか抜かすから、そうなるんだ」
テンエブラの声が乱れていた。
すべてを聞き取ることができない。
「存在を否定した罰だ。まあ結局、お前のやろうとしていることは、世界の意志に逆らうことだ。遅かれ早かれ、そうなっていただろうよ」
「俺は――間違っていない」エクスピアは声を絞り出した。言葉になったのかは、自分ではわからない。
「あぁあ? まだ言ってんのか、くたばり損ないが」
「……俺はまだ生きている」エクスピアはゆっくり歩いていく。地面を踏む感覚はなかった。
「それモもう終わリだ」
いつの間にか、テンエブラとの距離は縮まっていた。一メートル程度だ。テンエブラが手を伸ばせば、エクスピアに触れられる。
「あーあ、やんになっちまうな。オレも最期がこんな風になると思うと、反吐が出る。見てらんねえな、おい!」
テンエブラの手が迫ってくる。
左目がそれを捉えていた。
視界は乱れ、
色が失われる。
けれど、
それでも、
その乱れる世界の中で、
エクスピアは色を見た。
紫色に輝くものを、たしかに捉えた。
鮮やかに、そして強く光るそれを、見たのだ。
その瞬間、エクスピアの左腕が考えるよりも早く動いた。
「なに!?」
左手はテンエブラの右手首を掴んでいた。「分離」の効果が適用されるのは、紫色に輝く場所だけだ。手首は適用外である。それは何回かの攻防で学んでいた。
そして――。
「放しやがれ! この死に損ないがあ!」
左視界の端が強く光った。
右手のないエクスピアに防御手段はない。
右手首を放すわけにもいかない。
触れられたら終わる。
死を迎える。
いや、無になるのだ。
世界と切り離され、存在そのものを消される。
姿形を残さず崩れ去ったあとは、砂漠の一部になるのかもしれない。
砂のような粒子になり、広がっていく。
それでもいい、と思った。
けれど、エクスピアは知っている。
その未来はありえないことを――。
「な、なんだ……。なにが起きてやがる」
不自然な点滅を確認。
思ったとおりだった。
テンエブラの身体は停止した。
火花を上げ、煙を出している。
「おマえは、俺ト、同じダ」エクスピアは告げた。
「どういうことだ!」その声は届かない。
「長イ時間、『核』を抜き出された、オ前の身体は……、劣化しテいたんだ。俺たチに永遠は、なイ。人間のように、いツカ朽ちル。そのことを、お前たちメルマキナは知ラない。お前たちの、誰も経験して、いないからだ」
「たとえ劣化していたとしても、どうしてタイミングよく停止すんだ! ありえねえだろ!」
「劣化した身体ハ、能力の酷使に耐エキれなクなる。俺たちの場合、『核』かラ無理ヤ理大量のエネルギーをツくり出さなければ、能力は使えない。お前はキっと、気付かない。慢心しているからだ。自分の『核』が、身体が、どうなっているか、を、カンガエナイ」
「くっそ! 動けぇ!」
テンエブラが叫んでいる。そういうふうに映った。
「お前の身体は、もうホウカイしている。全力で、俺を消ソウとしたときに……。『核』が生きていても、身体が死んでいる以上、動くコとはデきない」
「それなら、お前も動けねえだろ! ならオレの勝ちだ。『核』が生きてんなら、自己修復が働くだろ」
「時間は、与えない」
「どうするってん――」
エクスピアはテンエブラの右腕を切断した。
能力の行使により、左手のいくつかの指が吹き飛んだ。
もっとも、エクスピアはそれを認識できていない。
「なんで能力が使えてんだ!」
「オレと、お前は、劣化しテイることは……オナジ。異なッテいるノ……は、自分ガコワれていくコとに、ミレんがアるか、ないかだ……ケだ」
左手をテンエブラの左腕に向ける。
「おい、やめろ! まだ、死ぬわけにはいかないんだ!」
その声だけは、はっきりと聞こえた。
なぜかはわからない。
ただ、雑音もなく、
ありのままの声が届いた。
エクスピアはテンエブラを見た。
「俺たちは、命乞いをした人間たちを、殺してきただろう」
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