第12話 希望と絶望
よく考えてみれば、自室に人を招き入れたのは初めてだった。セドルたちとは室外や会議室で話すため、そういった機会はない。彼らも自分たちから言い出すほど非常識ではなかった。シモンが「女」であるため、そういう気を回しているのだろう。シモンは気にしていないが、わざわざ自分の空間に誰かが入ってくることをよしとはしていない。
ただそんなシモンの聖域に簡単に飛びこんでくる者もいる。ルイスのような世話を焼くことを仕事としている女性陣や、そもそも気遣いという言葉を知らない子供たちである。前者はきちんとノックをして入ってくるが、後者はそんなことをしない。我が家に帰ってきたかのように、自然と入り込んでくるのだ。
それらを迷惑だと思ったことは一度もない。ただ部屋に入ってきただけだ。
問題なのは長時間居座られることと、シモンの返事を掻き消すように話し続けることだ。これらだけはいつまで経っても慣れることがない。あまり人付き合いを得意としていないこともその一つの要因だった。
「結構広いんだな」
「それなりの部屋を貰ったから」シモンは防寒布を脱いで、椅子の背もたれにかけた。「好きなところに座って」
「ああ」エクスピアはベッドに寄りかかるように、床に座り込んだ。
「椅子には座らないのね」
「この体勢に慣れているからな」
「なにか飲む? といっても、水くらいしかないけど」
「いや、いい」
「そう」
シモンは黙々と装備を外していった。チョークバックを取り去り、上着を脱いだ。砂がぱらぱらと零れ落ちた。そろそろ掃き掃除をする必要があるかも、とシモンは思った。掃除は得意ではなかった。
「私、シャワー浴びるけど、あなたも浴びる?」
「必要あると思っているのか?」
「経験は必要だと思う」
「俺はいい。さっさと行ってこい」
シモンの部屋にはもともとシャワールームはなかった。そもそも居住のための部屋ではない。広い部屋を貰ったのは研究や開発のためだったため、それが必要になるとは思っておらず、優先項目から外れていたのだ。それに、誰かに借りればいいだけで、特に問題は感じられなかった。
しかし、借りることも面倒になったシモンは、その知識と技術を使って、自室にシャワールームを設置した。基地内の配管などは調査済みだったため、少しの材料があれば、それは容易なことだった。
シャワーを浴びていると、部屋の扉が開く音とシモンの名前を呼ぶ声がした。その大きな声で、いつもの男の子だということがわかった。水を止め、タオルを身体に巻きつける。身体が冷えたせいで風邪になることを危惧したからだ。
そして、シャワールームから出た。室内の人口が二人ほど増えていた。いつもの二人だ。二人ともシモンを見るなり、顔を赤らめていた。
「どうしたの、大きな声を出して」シモンは男の子に訊ねた。
「シモンさんっ!」男の子がなにかを言う前に、女の子が慌てたような声を出した。手を広げて羽ばたくような仕草をしたかと思うと、両手で顔を隠した。
「どうしたの?」
「そ、そんな格好は、ダメだと思います」女の子は顔を隠す両手の指の間から、シモンを見ていた。微笑ましい姿だった。
「シャワーを浴びていたんだから仕方ないと思うわ。それにいつも勝手に入ってくるのはあなたたち――というより、あなたよね」シモンは男の子を見た。女の子の方は彼について来ているだけなのだ。
「ほらぁ……、ケイがいつもノックをしないから……」
「ノックしろって言われてねえし。それにユウだって、ノックしないで入ってるじゃないか」
そうか、この二人はケイとユウという名前なのか、とシモンは額にくっついた前髪を払いながら思った。そういえば彼らの名前を呼んだことは一度もない。シモンから話しかけることがないため、呼ぶ必要がなかったのだ。
「それは、ケイが入って行っちゃうからだよっ」
「それで、あなたたちはなにしに来たの?」
「シモンが連れ込んだ男を見に来たんだ」
「シモンさんだって……」ユウは呆れてしまっていた。それでもこれからも訂正させるよう努力するのだろう。そんな子だ、彼女は。
「どうして?」
「そ、それはあれだ」ケイはしどろもどろに言葉を紡ぐ。「シモンに、あ、いやこの家に相応しい奴か、確かめにきたんだ、うん」
「そうなの」シモンは感心した。「さすが未来の自警団員は違うわね」
「そうじゃないよ」ユウが言った。
「違うの?」
「ケイはね、シモンさんのことが……」
「わああっ!」と声を上げて、ケイはユウの口を両手で塞いだ。
「私? 私のことがどうしたの?」
「なんでもないっ。なんでもないから!」
「ぷはっ」ユウはケイの手を取り払った。そしてケイに言う。「なんで隠すの? 恥ずかしがることないと思うけど」
「バカ野郎、そういう問題じゃねえんだ」
「どういうこと……?」ユウは首を傾げてしまった。
つい二人のやりとりばかり気にしてしまっていたが、この部屋にエクスピアがいることをシモンは忘れていた。どんな顔をして座っているのか確認しようと振り向いた。そしてシモンは驚いた。いつもの仏頂面ではない。目を閉じているが、少しだけ笑っているような表情をしている。ケイとユウの会話を楽しんでいるのだろうか。
「と、とにかくだ」ケイがエクスピアを指さす。「そいつが、どんな奴か見にきたんだ」
「そう言っているけど」シモンはエクスピアに言った。
「好きにしたらいい」
「ケイ、きっとあれが大人だよ」とユウ。「ケイと違って落ち着いているもん。お母さんが言ってた『大人の対応』ってこういうことなんだよ」
「お前! どっから来たんだ」ケイがエクスピアに突っかかる。
「外からだ」
「外のどこだよ」
「……海の見える場所だ」
「ウミ? ウミってなんだ」ケイはユウを見た。ユウは首を横に振り、シモンに視線を向けた。
「海っていうのは、大きな水たまりのことだ」エクスピアが説明する。「そうだな、ここが簡単に沈むくらいには大きい」
「そんなもんがあるのか?」
「あるわよ。ここからかなり離れていると思うけど」
そうは言ったシモンだが、実は彼女も海を見たことがない。知識としてあるだけで、その広大さを目の当たりにしたことはなかった。
ただこのコロニー周辺を探索したかぎりでは、地下でもないかぎり、水をお目にかかることはない。水とは無縁の砂の世界に、シモンたちは居るのだ。
「すげえ……。外にはいろんなもんがあるんだな」
ケイもそうだが、ユウも密かに目を輝かせていた。二人とも外の世界に興味があるのだ。ここだけが自分たちの世界じゃないと知ってしまったからには、外を見たいのは人間の知的好奇心から考えれば普通のことだ。
ただ彼らは子供であり、まだ自衛をすることができない。抜け出さないようにきちんと見守らなければならなかった。
「大人になったら見に行ったらいい」エクスピアはふっと笑った――ように見えた。
「――くそう! 憶えてろよ!」ケイは飛びだしていった。なにをするのも急な子である。ユウの言ったとおり、落ち着きがない。それが子供らしいと言えるが。
「ちょっと、ケイ」
ユウはケイとは違って、「お邪魔しました」と一言告げてから、彼を追い掛けていった。ケイが大人になるよりも、ユウの方が先に大人になるだろう、とシモンは思った。面倒見のいい人は、大人になるのが早い。そんな気がした。
シモンはシャワーを浴び直すのも億劫だったので、そのまま着替えた。髪が少し濡れていたが、気になるほどではない。
「なかなか面白い子たちでしょう?」シモンは椅子に座った。
「ああ、悪くない」
「アミクスと世界を回っていたって言っていたわよね」
「ああ」
「人は、この世界でどういう風に生きているの? 私はここの人たちのことしか知らないから、他の場所で、他の人たちがどんな気持ちで生きているのか知らない。あの子たちのような子供は、どうしているの?」
「子供はどこでも変わらない。希望の象徴だ。子供たちが笑っているだけで、大人も活力を取り戻している。あるいは、子供たちがいるから、活力を失わない」
「それはよかった」
「だけど、希望は消えていく」
「えっ?」
「どんな場所でも子供たちは笑っている。だけど笑い続けることはできない。環境が、世界がそうさせてはくれない。この世界では、弱いものから消えていく」
「病気や飢餓のことね」
「俺の力では、それだけはどうにもならなかった」
「……仕方ないわ」
それだけは本当に「仕方がない」としか言えない。訪れる死を、迫りくる死を回避するのは難しい。相当な技術や設備があっても回避できないことだってあるのだ。どんなに奮闘しようとも、まるで決定付けられているかのように、無慈悲な審判を下される。
以前にエクスピアが呟いていたことを思い出す。シモンは彼の力を褒めたが、彼はそれしかできないと、自分の力ではそれだけしかできないと言っていた。あのときは理解できなかったが、今では痛いほど気持ちがわかる。
「あなたたちは、人間を癒すために創られたわけじゃないもの」
それだけはどうしようもない。
人間と同じだ。
「……これから話すことは他言しない方がいい」
エクスピアはシモンの目を見た。真剣な空気とは裏腹に、彼の目の光は雲っているように見えた。
シモンが頷くのを確認してから彼は語り始めた。
「俺たちが創られたのは、『死』からの解放のためだ」
その出だしにシモンは驚愕を隠せなかった。
「どういうこと……?」シモンは食い気味に訊いた。
「この世界が、人間の住んでいた現実世界と人間が創り出した、あるいは見つけた電脳世界が混合していることは知っているな?」
「混合してしまったことは知っているわ。電脳世界が、人間が創り出したのか、見つけたのか曖昧なのはなぜ?」
「世界の始まりがいつからなのか明確じゃないからだ。世界が観測されたときからであるのなら、観測されるまでその世界は存在していなかったのかといえばそうじゃない。その世界に生きているものがいるのだから」
「なるほど……。うん、わかった。話を途切れさせてごめんなさい」
「人間のいた現実世界は、今の世界のようにエネルギーの枯渇の問題や環境破壊による安定しない天候などで、とても住み続けられる場所ではなかった。文明終焉の時期だったんだ」
ジルの話にあった「灰色の景色」を思い出す。あの言葉は灰色になった景色ではなく、灰色である景色のことを言っていたのだ。幼かった彼には、その色が当たり前だったはずだ。
つまりジルの年齢から考えても、かなり以前から人類は末期状態だったと考えられる。なぜそこまで問題解決を放棄していたのかは今ではわからない。
あるいは、急激な変化があったか――。
「そこで人間が目をつけたのが、電脳世界だった。電脳世界であれば、環境設定など自由自在に操作することができる。データの世界だから、エネルギーの枯渇もない。『死』や『老い』の心配もなくなる。人間にとって、都合のいい世界だった。
もともとその研究は以前から始まっていた。そのときは移住計画などではなかったけどな。数年後の世界を予測するシミュレーションのためなんかに、電脳世界に人間に代わる存在を創った――それが俺たちの始まり、最初の電脳体が生み出された経緯だ。
その電脳体には意思があり感情があった。住んでいる世界が違うだけで、姿形だけは立派な人間だった。ただ人間たちが移住計画を考え始めるころから、この電脳体には様々な能力を詰め込んでいった。そして、電脳世界の管理者――『アマデウス』が出来上がる。『アマデウス』は電脳世界を安定させるためのメインプログラムだった。
電脳世界の移住とは、人間の精神、心をプログラム化し、電脳体に組み込むことだ。当時のトップ技術者たちの頭脳と技術を持ってして、そのための装置は完成した。その装置を作るだけでも多くの人間が命を落とした。当然だ、それを作るためのエネルギーをどこかから持ってこなければならない。
そうやって、移住計画は進んでいった。誰もが『死』も『苦しみ』もない世界に行けることを望んだ」
エクスピアの話に耳を傾け、シモンは固唾を呑んだ。それから先は、どうなってしまうか知っているはずなのに、身体が震えた。
「知ってのとおり、計画は失敗に終わっている。自分たちが創り出したものだと思っていた世界が、どこかに存在する別の世界だったから――何人かがこの結論に至った。つまり二つの世界を近づけ過ぎ、繋げ過ぎてしまったために、人間の精神が電脳世界に辿り着くのではなく、電脳体が人間の世界に現れてしまった。
電脳世界と混合してしまった結果、現実世界だった場所に問題が起きた」
「問題……?」シモンは呟くように言った。思っていたことが口に出てしまったのだ。
「そうだ。電脳世界の管理者である『アマデウス』は、現実世界を荒廃させた人間を害悪種として世界からの排除を決定した。これが戦争の始まりだ。人間は自分たちのために創り出した存在に、異分子と認識されてしまったんだ」
「じゃあ、メルマキナって……」
「自我のない人型のメルマキナは、あんたたちに成り損なった存在。逆に俺たち、自我を持つメルマキナは、かつての人間の精神が宿っているかもしれない存在だ。こんな記憶があるんだ、そうなんだろうとは思う」
「今も管理下にあるの?」
「『アマデウス』はいつごろからか、眠りについた。だからこうして俺たちは自分の意思で動ける」
エクスピアに人間の精神と心が宿っているのだとしたら、彼はもっとも嫌悪していた「人間どうし」の争いをしていたことになる。
不運だったのは電脳世界の管理プログラムである『アマデウス』が混合した世界でも働き、彼らに戦いを強いたことだろう。精神や心を持っていても、彼らが電脳体であり、管理プログラムの指揮下にあったことは変わらない。
管理プログラムが眠るという奇跡的な状況が、シモンたちを生かしていた。もし今このときに『アマデウス』が目を覚ませば、ここは消滅するし、世界の各地で大虐殺が再び始まってしまう。
もしかすれば、エクスピアとアミクスの目的は『アマデウス』の破壊なのかもしれない、とシモンは察した。世界各地を回るのも『アマデウス』の所在が不明だからなのだろう。そうでもなければすぐさま破壊しているはずだ。
しかし管理プログラムとなると、破壊してしまったとき、世界にどんな影響を与えるか想像もつかない。混合世界であるためにプログラムでも人間の世界にも当然なんらかの影響をもたらすだろう。
犠牲なくして成功はない。
メルマキナを駆逐するにしても、『アマデウス』を破壊にするにしても、犠牲が皆無で済むはずがなかった。
それはシモンの抱える問題も例外じゃない。解決までの時間が長引けば長引くほど、被害は大きくなる。
時間がない、とはそういう意味だったのかもしれない。
「どうして、この話を私に?」
「誰かが知っていなければならないことだ。俺はあんたが相応しいと思った――いや、知ってもらいたかったのかもしれないな」
シモンの心に、正体のわからない不安が押し寄せる。知らない感情に戸惑い、彼にどんな言葉をかければいいのか考えられない。
どうしたらいい……、どうすればいい、と苦悩しているときだった。
緊急警報が響き渡ったのは――。
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