第3章

第9話 好奇心の世界

 階段は見つからず、仕方なくエクスピアに階下に繋がる穴を作ってもらった。できるだけ慎重に、かつ小さな穴でいいと頼んだはずなのに、直径三メートルほどの穴ができていた。以前から思っていたことだが、どうやら彼は細々とした作業は嫌いらしい。


 彼に抱えてもらい、階下に進む。思ったとおり、この施設にはまだ先があるようだ。緑色の照明が生きて、道を照らし出している。


「いったいどこまで続いているのかしら」


「なんなら一番下から捜索するか?」


「……やめて」


「冗談だ」


 通路を進んでいくと、天井に監視カメラがいくつか現れた。特に動いている様子はない。ためしにエクスピアに触れてもらうと、白い粒子となって消滅した。オブジェはこんなところにもあるらしい。


「あの山羊のセルウィはどこからやってきたのかしら」


「初めからあそこにいたんだろ」


「あのフロアにはあの部屋しかなくて、もしセルウィが培養器から生まれるのだとしたら、別の階層から来た可能性があるわ。エレベーターなんてなかったのに」


 その辺りも入念に調査していた。階段だけが移動手段ではない。


「反応に気付かなかったの?」


「反応はいくつもあった。ただあの数を密閉された空間で把握するのは難しい。俺は空気の流れや温度で感知をしている。だからああいう場所で、大きな熱量を生み出されると、完璧に把握することはできない」


「ということは、あなたにとって、最も苦手とする場所なのね」


 なんとなくエクスピアが、ところ構わず壁や扉を破壊しようとした意味がわかった。少しでも危険を察知できるように、空気が流れやすくしようとしているのだ。


「俺が気がかりなのはそこだ」


「どこ?」


「俺の対策を練られているような感じがする。あのでかい犬もそうだった。形状が変化するから気にならなかったけど、あれは最初からそういうフォルムをしていた」


「私たちの動向を知られているということ?」


「その可能性がある」


「どうする? ここの探索はやめる?」


「どうして」


「私が安全に探索できるのは、あなたがいるおかげ」


「それとこれとは話が別だろ。あんたが探索を続けるのなら、俺はそれについて行く。やめる必要なんてない」


「いいえ、同じよ。あなたに万が一のことがあれば、結末は同じ。探索は中断されるし、もしくは私の命が消える。そうなる可能性があるのなら、ここは諦めるわ」


「諦めるってあんた……」


「それは仕方ないことだと思う。そうなったら仲間には正直に伝える。もう隠していられないもの」


「俺が負けると思っているのか?」


「どうなるかわからないわ。今はまだ地下三階程度だけれど、最下層がどの位置にあるかなんて見当もつかない。下へ行けば行くほど、あなたの感知は難しくなるだろうし、施設の崩壊を気にしながらの戦いになる。あなたはこれまで以上に不利になるわ」


「俺は壊れてでもあんたを守るし、無事に外に出してやる」


「それじゃあ、意味がないの」


「なにがどう意味がないんだ」


「私は、あなたに傷ついて欲しくない」


「俺はメルマキナだぞ? なにを気にしているんだ」


「わからない……。あなたに護衛をしてもらっているんだから、傷ついて欲しくないなんて言うのはおかしいことはわかってる。あなたが今まで傷一つなく戦ってきているのも知っている。だけど……」


 シモンは頭の中がクリアじゃないことに驚いていた。いつもならば相手と会話をするとき、すぐにいくつかの返答案が浮かぶのに、今はまったく浮かばない。考えがまとまらない。


 自分の気持ちに整理がつかないのだ。


 気持ちが整理できていないから、言葉を当てはめられない。


 今の自分にあった言葉を見つけられない。


「私はただ……」


「ただ、なんだ」


「ただ、あなたともっとこうしていたいの――――えっ?」


 シモンは驚いて、口に手を当てた。自分が今なにを言ったのか思い出す。どうしてその言葉を紡ぎ出したのか考える。


(私、今なんて……、どうして……)


 気持ちに整理がつかなくて、言葉が見つからなかった。そうだ、それは憶えている。そのあと無理にでも言葉を見つけ出そうとして、それで……。


 そう、考えるのを放棄した。


 考えることをやめて、整理のつかないまま打ち明けようとしたのだ。


 その結果が、あれだ。


 無性に身体が暑くなってきたが、しかしシモンは首元の布を引っ張り上げ、顔を隠した。


「今の、忘れて」シモンは籠った声で言った。


「今のってどれだ」


「ついさっき、私が言ったこと」


「どうして」


「いいから、お願い」


「あんた……」エクスピアはなにかを言おうとしてやめた。「わかった。忘れる」


「……ありがとう」


「それで、どうするんだ。進むのか進まないのか」


「少し、考えさせて」


 シモンはその場に座り込んだ。


 まずすべきことは考えをまとめることじゃない。気持ちを切り替えることだ。


 今までにない自分に、ひどく混乱している。


 心は激しく波を打っている。


 まずは静めなくては……。


 目を閉じて、白色をイメージする。白色で脳内を埋め尽くす。そのときの集中力ですべてを抑え込もうという算段だ。やがて白色をイメージしようとしなくても、維持できるようになったとき、完全に切り替えられたことになる。雑念が消えて、スマートな考えができるようになる。


 すべてが終わったとき、シモンの自然と目を開いた。充分に落ち着いている自分がいることを自覚する。


「ごめんなさい、待たせてしまって」シモンは立ち上がった。


「別に構わない。それでどうすることにしたんだ」


「進むわ。あなたの力を信じる」


「……そうか」


「問題なのは、私たちの動向が筒抜けかもしれないってことね。最下層へ近づけば近づくほど、施設ごと破壊してくる可能性が高まるわ」


「それはあるな」


 現在の時点でそうならないのは、まだエクスピアの力で脱出可能な被害しか出せないからだ。地上に近いほど、陥落する瓦礫は少なくなる。重量も減り、彼の力ならば片手間で制御できるはずだろう。


 しかし、逆に地上から遠いほど、降りかかる重量は増し、それだけ力を使うことになる。ただ一気に吹き飛ばせばいいわけじゃない。シモンの身を守りながら、かつメルマキナの攻撃に対応しながらなど、一方に集中していればいい状況にはならない可能性もある。


 まだ見ぬ相手は、どこまで計算しているのだろうか。いつからシモンたちのことを把握していたのか。


 このフロアには不自然なほどなにもなかった。扉一つない。のっぺりとした壁がずらりと続いているだけだ。曲がり角はない。位置的には、崩壊した正面玄関の対面側にあった通路の先くらいだ。どこか別の施設と繋がっていてもおかしくない距離だった。


 念のために数メートルおきに、壁を扉サイズに切除してもらった。隠し部屋などはないかをチェックするためだ。それも不発に終わった。


「相手は人間だと思う?」壁を叩きながら、シモンは言った。


「それか、メルマキナかただの防護プログラムだろう」


「どれもありそうね」


「有力な候補は、メルマキナと防護プログラムの両方だ」


「どうして」


「人間がメルマキナを自由自在に操れるのなら、それだけの力を得たなら、こんな場所に残っているはずがないからだ」


「私なら残るけど」


「どうしてだ」


「楽しそうじゃない、未知の領域に踏み込むのって。メルマキナの自作……今まで考えもしなかったわ。そうだわ、うん、それなら子供たちに喜んでもらえるかもしれない」


「……それはどうなんだ」


「誤解しないで。メルマキナそのものを作るんじゃなくて、そのミニチュアサイズの模型を作ろうと思っただけ」


「ああ、なるほど」


「いい考えだと思わない? それなら前時代の生物を立体的に見せることができるわ。でもやっぱり駆動した方が子供には喜ばれるのかしら。ゼンマイ式、モーター式のどちらもいいわね。実用的なものばかり作ろうと考えて、そうしてきたから、盲点だった」


「楽しそうだな」


「言わなかった? 私、子供が好きなの」


「人間が好きなんだろ」


「ええ」シモンは頷いた。「人間は好き。その中でなら子供が一番好き。私みたいに知識をつけた子供じゃなくて、無邪気で純粋な子供、好奇心旺盛な子供が好き」


「俺が見てきたかぎり、あんたも相当な子供だぞ」


「そうだって言ったじゃない」


「俺が言っているのは、あんたが無邪気で純粋で、好奇心旺盛な子供ってことだ」


「あなた、たまに面白いこと言うわよね」


「あんた、たまに抜けているところあるよな」


 シモンは言い返そうとして、振り向いた。そして壁に寄りかかろうとしたときだ。


 ふっ、と身体が壁をすり抜けた感覚があった。視界が斜めになる。すり抜けているのではなく、壁そのものがなくなったことに気付いたときには、降下が始まっていた。エクスピアもこれには目を見開いていた。それもそうだろう。さっきまでシモンが叩いていて壁が、急になくなったのだ。脆く白いオブジェのイメージを固定されすぎて、触れればすぐに壊れる、と思い込んでいた。


 彼が瞬時に近づく。


 シモンはエクスピアに手を伸ばそうとする。


 掴める、と思った。


 けれど、なにかに引き込まれるかのように、引っ張られているかのように、シモンの降下スピードがぐっと速まった。


 エクスピアの姿が一気に小さくなる。


(どうなってるの……)


 身体にはなにかが巻き付いているような感触がある。けれど視認はできない。


 それに、なかなか階下に辿り着かない。どこまでも急降下していく。


 打ちつけられれば即死は確実だった。


 だが、そうならない。


 当然だ、彼が助けにくるのだから。


 次第に大きくなるエクスピアの姿。シモンの急降下のスピードは遥かに上回って、近づいてきている。


 やがて、シモンの横に並ぶまでになった。


「大丈夫か?」


「少し寒いわ」


「どこまで行くんだろうな」


「わからないけど、このままだと死ぬわ」シモンは言った。本心ではそう思っていない。彼が傍にいるのだから、それだけは絶対にないと決め付けられる。


「寒さでか?」


「ええ、できればそっちの方が綺麗ね。死んでそのまま落ちるか、落ちて砕けて死ぬかのどちらかで言えば、前者がいいわ」


「どうして壁が消えたんだろうな」


「もしかしたらあの白いオブジェたちは、元々は本物だったのかもしれない」


「スイッチ一つで、ああなるってことか?」


「そう考えれば、私たちを狙い撃ちしているってことになるでしょう?」


「あんたの降下スピードが異常に速いのは?」


「なにかに引っ張られているみたいなんだけど、なにか付いてない? 背中とか」


「別になにもない」エクスピアがシモンの背中に触れた。


「じゃあ、押されているのかしら」


「もう降下は終わりみたいだ。気にしなくていいと思う」


「そうなの?」


 シモンは仰向けの状態のため、下を確認することができない。どうも固定されているかのように動けないのだ。エクスピアは直立状態で降下している。シモンには見えないが、おそらく風を纏っているのだろう。防寒布の揺れ方が違う。


 エクスピアが腕を伸ばし、シモンを抱えた。彼が引き寄せたというよりは、彼を引き寄せた感じだった。案の定、彼の周りは穏やかだった。下から突き上げるような風がない。引っ張られていたような感覚もなくなった。


 シモンはようやく下を確認できた。たしかに光が見える。あと十秒もしないうちに、到着しそうだった。


 降下の終了は、実に鮮やかなものだった。相変わらず衝撃の一つもない着地に、シモンは感心してしまう。


「到着だ」


「そうみたいね」


 エクスピアに下ろしてもらい、シモンは久しぶりに地に足をつけた気がした。少しふらつくが、歩けないほどではない。何百、何十メートルを落ちてきたかは不明だが、貴重な体験だった。二度と味わえないだろう。


 室内を見て、シモンは驚いた。


「あれって、動力炉じゃない……」


 すぐ目の前に広がるガラスの向こう側に、たしかにそれが見える。エリアRのものと比べると二倍、三倍の違いどころではなかった。十倍以上の大きさがある。


 もっとよく確認するために、ガラスに近づく。起動していないだけで死んではいないようだ。ところどころに点滅する光が灯っている。


「都合が良すぎる」エクスピアが言った。「罠だろ」


「そうかもしれない。だから確かめてみるわ」


 シモンはマシンの電源を入れ、キーボードを叩いて、動力炉の状態を確かめた。今動いているのは動力炉を管理するプログラムのようだ。劣化した部品を取り換えたりする自動修復装置などで状態を保っているらしい。


 その他にもメルマキナの生産が行われていたデータが見つかった。山羊型や犬型のメルマキナの性能についてのデータもあった。その他にも前時代の動物を模したメルマキナのデータがあるが、この施設で作っていたのは山羊型と犬型だけのようだ。


 そのデータの中に、シモンは不思議なものを見つけた。


「この『D』ってもしかして……」


 どのデータにも、最後にサインのように『D』の文字があった。ページ番号かとも思ったが、すべて同じ文字では意味がない。フォルダの整理番号でもない。どのファイルのデータの最後にもその文字があるからだ。


「ああ。ドゥクスだろうな。こういう実験を好むやつだ」


 人体実験を含めてな、とエクスピアは付け加えた。


「人体実験なんかしてどうするの」


「趣味みたいなものだ。特に意味があったのかは知らない」


「うん、なんとなくわかるわ」


「わかるのか?」


「私も同じようなものだから。あなたも言っていたでしょう? 好奇心が旺盛だって。たぶん人によって最悪とか気持ち悪いとか思うのかもしれないけど、私たちは狩られる側だから発言権なんてないわ。人間が統治していた世界なら、声を大きくして言えるのでしょうけれど」


 そんな世界では生き辛そうだ、とシモンは思った。今はコロニーごとの規則に従っているだけでいい。コロニー独自の法がある。しかし、それすら守っていないシモンからすれば、顔も名前も性格もわからない人間が決めた規則に縛られるのは厄介だった。法という鎖に雁字搦めにされて、身動きができなくなるくらいなら死んだ方がましだとさえ思える。


 この時代に生まれてきてよかったのかもしれない。自分を発揮できない時代に生まれてしまった人間もいるはずだ。それが人間の不便なところである。自分で望んで、生を受けることができない。これもまた面倒なことである。


「そのドゥクス、ここの管理者なの?」


「いや、あいつは一つの場所に留まるような奴じゃない。同じような施設を世界中に作っては放置をする――それの繰り返しだろう。ここにはいないし、もしかしたら世界から消えていることだってある。自分の死後が気になって、ということもありえなくない」


「世界各地にあのメルマキナが放たれたら大変なことよ」


「アミクスと巡ってきたが、あんな奴らはここでしか見たことがない」


「じゃあ誰かが意図的に放っているってことね」


「意図的、というのなら、ここに連れ込まれたのもそうだろうな。どうだ、動きそうか?」


「動くには動くし、近隣のコロニーとの接続もあるようだけど、『核』がないの」


「エネルギーを生み出す元になるものか」


「抜き出されているみたい」


 だいたいの大きさは周りの装置を見ればわかる。けして持ち運べない大きさではない。別の施設か、あるいは私情のために流用するつもりなのだろう。


 いや、この場合はすでに使用されていると考えるべきだ。


「自作してみるのはどうだ」


「私だけの力じゃ無理よ」シモンは首を横に振った。「『核』は電脳世界のものだから、人間が簡単に作れるものじゃないと思う」


「どうするんだ」


「『核』の代わりになるものがあればいいんだけど……」


「大きなエネルギーが生み出せればいいのか?」


「そうなんだけど、まあいいわ。とりあえず動力炉は見つかったから、次は『核』の代わりになるものを探しましょう。そういう鉱石とか知らない?」


「専門外だな」


「そう、私と同じね。あなたって飛べたりするの?」


「いきなりなんだ」


「ここから出る方法が他にないからよ」


 地上からの距離は不明な上に、ここにはエレベーターや転送装置などはなかった。進めば進むほど考えることが多くなる施設である。白いオブジェも結局謎のままだ。誰がなんのために用意したのか判明しない。


「降下してきたんだったな」


「忘れていたの?」


「ああ」


「面白いこと言うわね」


「戻るか」


「ええ」シモンは頷いた。

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