第6話 より良い未来を求めて
「シモンさん!」
呼び止められて、シモンは立ち止まって振り返った。呼び止めたのはホルクだった。ゲート前の警備を任されている彼だ。以前外から帰ってきたときに彼とまた話し、そのときに別の警備の者が名前を呼んだので憶えたのだ。
「どうしたの?」
「聞きましたか?」ホルクは興奮を抑えられていない。
「聞いてないけど」
「やっぱり! 実はですね、この近くにあるコロニ―のエネルギー枯渇問題が解決したらしいんです」
「えっ、どうやって」
まだ公表はしていないが、ここエリアRもその問題を早急に解決しなければならなかった。だからその情報は寝耳に水だった。一刻も早く解決策を、もしくはその技術を知りたいとシモンは思った。
「いや、それがですね……」
「うん」
「わからないらしいんです」
「わからない?」シモンは落胆を隠していた。本当ならば自室まで戻ってでも倒れ込みたいところをぐっと堪える。「つまり、原因不明の解決だったってこと?」
「そうみたいなんです。なんでも前日まで……それどころか数時間前まで動かなかった動力炉がいきなり稼働し始めたらしいんですよ」
「動力炉は完全に死んでいたわけじゃなかった」
「どうなんですかね」ホルクは鼻の頭を掻いた。「向こうにも技術者はいますから、それでも動かなかったんだから死んでいたと思いますよ、僕は」
「私もそう思う」
動力炉はたしかに死んでいたのだろう。ハード、ソフトのどちらを調整しても動かなかったはずだから、それは間違いないと考えられる。一刻一秒を争う事態だからこそ入念な整備が行われたはずだ。それでもってしも稼働しなかったのは、原因が別にあったということ。
向こうの動力炉を見ていないからなんとも言えないが、シモンには一つの考えがあった。単純にエリアRと同じく、そこは主動力炉ではなくて、貯蓄炉だということだ。別の場所から送られた動力を備蓄できる装置だったとしたら、急に動き始めることもありえない話じゃない。なんにせよ、シモンの興味は向けられていた。
「じゃあ、あなたはどうして動き始めたんだと思う?」
「いや、僕の考えはないんですけど……まあ強いて言うなら、『奇跡』じゃないですか?」
「『奇跡』?」
「向こうの人たちは神様の力だって騒いでいるらしいですけどね」
「そうなんだ」
「やっぱりいつの世も、最後は神様頼りなんですかね」
「どういうこと?」
「いやね、両親から聞いた話、まあ両親も伝え聞いたらしいんですけど、人が絶望の淵に立たされたときに頼るのは、自分たちの力じゃなくて神様だったみたいなんです。神様お願いします、神様助けて、とか。みんなそんなことを口ぐちにして、助かったら神様に感謝してたんですって。普段は神様なんかいないって言っていたたち人なのに」
「あなたはいると思う?」
「なにがですか」彼は首を傾げた。
「神様」
「僕はいないと思いますよ。だって神様がいて人間を助けてくれるのなら、こんな世界にはきっとなってないですから」
「そうね……、そのとおりだわ」
「いたとしても、気まぐれな奴なんですよ。ときどきちょろっと現れて、僕たちが手を叩くくらいの簡単さで人間を助ける。理由なんてなくて、なんとなくとも思ってないはずです」
「でも、その気まぐれで人間が助かっているのよね。神様のおかげで私たちは生き残れているのかもしれないわ」
「どうなんでしょうね」ホルクは微笑した。「そう言ったら、なにもかもが神様のおかげで、神様のせいになっちゃうんですよね。そしたら僕たちの努力は無意味になってしまいますよ。どんなに頑張っても報われないかもしれないですから」
「神様ってなんだろう」
「さあ、わかりません」
ホルクと別れて、自室に戻った。
今日は起床してからずっとエネルギーの残量について調査していた。このまま消費していけば二週間ももたないだろう。過度な消費を防ぐために注意を促し実行している。現状で最低限の消費に抑えられていると考えるのなら、近日中に住民たちに真実を告げなければならない。
まずはセドルに告げて、彼から自警団に……となるべく混乱を招かないようにしたい。なにより彼らの方が住民たちのことをよく知っている。フォローなども上手くやってくれるはずだ。
シモンは椅子に深く座り込んだ。首を背もたれに載せ、天井が目に入った。
近くのコロニーの問題解決の情報は、シモンにとって有益な情報だ。神の御業や奇跡などと言われているようだけれど、それは違う。ここエリアRに近いというのならば、供給源は同じ場所である可能性があった。シモンが探し求めているそれが、どこかで稼働した。その結果として、「神の御業」が起きた。
しかし、新たな疑問が思い浮かんでくる。一つは誰が稼働させたのか、ということ。もう一つはどうしてそのコロニーだけなのか、ということ。
この二つから思考すると、シモンの最初に抱いていた可能性が潰える。供給源の施設は別々の場所にあり、たとえ付近のコロニーにエネルギーが供給されたとしても、こちらには一切流れてこない。こちらの問題は解決せずのままだ。
可能性を考えていくと、ただ次々に生まれてくるだけだった。無意味な行為に決着をつけ、シモンは溜息を一つした。
できることならば、そのコロニーを見に行きたかったが、その時間と労力を施設の捜索に裂いた方が充実していることは明らかだ。
誰かに手伝ってもらう、という考えはない。ただでさえ人間には酷な環境である『危険領域』に仲間を連れ出すわけにはいかないのだ。シモンには当たり前のようになっている犬型のメルマキナでさえ、彼らにとっては難敵だ。群れで行動するだけでなく、機動性も優れている。それにあの巨大なメルマキナのこともあった。どうやってあれに人間が勝てるというのか。
エクスピアのことも話していない。人類にとって最大の敵で、最も憎むべき象徴である彼のことをどう説明すれば受け入れてもらえるのかわからない。たとえ受け入れられたとしても、彼一人では大勢の危機を一括して回避できるはずがない。エクスピアは一人しかいない。
ふともう一人のメルマキナ、アミクスのことを思い出した。
(彼はなにをしているのだろう。なにか言っていたような気がするけど……)
あれ以来姿を見ていない。どこでなにをしているのか。初見で受けた印象からは、とてもじゃないが人間を傷つけていたとは思えない。だがそれはシモンの妄想に過ぎない。事実、人間は彼らに滅ばされかけ、その瞬間を目にした人間がいる。
つい先日――エクスピアが巨大メルマキナを完全に破壊した後日――に、シモンはエリアRで最高齢のジルに話を訊きに行った。彼は百年前の戦争を生き抜いているほどの高齢だ。今の世界では本当に珍しく長寿である。
「ジルさん、百年前の戦争のことについて教えていただきたいことがあるのですけれど、構わないでしょうか」
「なにが訊きたい」ジルの左目がシモンを捉えていた。彼には右目がなく、それを眼帯で隠しているだけでなく、さらにその上に顎まで伸ばされた白髪が覆いかぶさっていた。
ジルの部屋は照明が少なく、不気味な雰囲気が充満している。この間のオブジェの並ぶ施設と同様なものだ。ただ空気の重さは段違いである。ずっしりと圧し掛かるそれに、シモンは自然と座り込むしかなかった。
ジルは肘掛けのついた座椅子に座り、微動だにしない。それがまたシモンに重圧を感じさせた。
「自我を持つメルマキナのことです」
「奴らのことか……」すっと瞼が閉ざされた。遠い記憶を思い出しているかのように。
「どんなものだったのですか?」
「曖昧な質問だな」
「たぶん、なにを訊きたいか決まっていないからです。彼らのなにかが知りたいのではなく、彼らそのものを知りたいから、こんな質問しかできないのです」
「……奴らは、人間そのものだった。その外見からは敵だとは判断できないほどに相似な存在で、しかし内部は人間のそれではなかった」
「彼らは誰が創り出したのですか?」
「それは人間以外にいない。他になにがいる? 猿か? 犬か? 鳥か? 人間の他にこれほどの脅威を創り出す生命が、他にはないことくらい知っているだろう」
「人間が人間を殺す者たちを創り出すのですか?」
「結果的にそうであっただけで、始まりは違う」
「経緯はなんだったのですか?」
「それもわかりきったことだ。人間がより良く暮らすために他ならない。人間という生物は、どの時代でもそうしてきた」
「より良く暮らすため……」
「儂はあの戦争で生き残った。しかしだからといって、そのすべてを知っているわけではない。まだ子供も子供だったからな。無我夢中で逃げていた最中に、見たこと聞いたことしか語れない」
「構いません」
「儂が初めて奴らを目の当たりにしたのは、まだ十にも満たない幼少のころだった。今でもはっきりと憶えている。家で母親と朝食をとっていたときだ。
儂はスプーンを落としてしまい、それを拾うために床に向けて手を伸ばした。ほんの十秒にも満たない時間だった。その拾い上げるまでの時間に、儂の前から日常が消えた。正面に座っていたはずの母親、その背後にあったキッチン、向かいにあったはずの家……、そのすべてが消え去り、儂の目の前には灰色の景色だけが広がった。
このときの儂の心境がわかるか?
なにも思えなかったのだ。
ただただ白い景色が眼前にあるだけだった。
その景色にある『異色を放つ者』に気付けないほどに。
若い女の姿だった。髪は長く、紅蓮の炎に焼かれているようなその赤色に、不覚にも綺麗だと感じてしまった。儂たちとは異なった種類の衣服を身に纏い、その女は歌うように笑うのだ。なにもかもを失った儂の前で、楽しそうに笑うのだ」
響き渡る重厚な声に、シモンは身を震わせた。薄暗いせいなのか彼の語る状況が、彼の背後に見えるようで、背筋にじわりと冷や汗が滲む。目の前で彼らの力を知っているため、シモンには簡単に情景を思い浮かべられるせいだろう。
人間のようで、人間ではない。
そのことをよく知っている。
「それから……、どうなされたのですか?」
「もちろん、その場から逃げ出した。空っぽの頭でもすぐに気付いた。あの赤い女が母親を消したことを。怒りや憎しみなどない。ただ本能が『逃げろ』と言っていた。その命に従わなければ今ここにはいなかっただろう」
「逃げ切れたのですか?」
「運が良かった。儂とは違い、怒りを露わにした者たちがいたのだ。その女が彼らに注目している間に一目散に駆けていた。行くあてもなかったが、今死ぬよりはずっとマシだったのだろう」
「その人たちは当然……」
「死んだだろうな。はっきり言って、人間が奴らに勝てる可能性など万が一にもない。相当な強運を持っていなければ、生き残ることは不可能だ。遠くにいたのならまだしも、自分たちから襲いかかったのなら、それは暴挙に過ぎない。しかしその暴挙は蛮勇だ。誰かが、そうしていなければ、もっと多くの人間が殺された。あの戦争は勝てるかどうかじゃなかった。生き残れるかどうか、大切なものを守れるかどうかの戦いだったのだ」
「『女』と言っていましたけど、では『男』もいるのですか?」シモンはわざとそう訊いた。こういうときは知らない振りをした方が、話を円滑に進めることができる。
「あくまで見た目での判断に過ぎないがな。奴らは共通して、十五くらいから二十歳程度の容姿をしている。子供と大人の狭間辺りだ。儂が会ったのは男が三体、女が四体だ。当時の情報では十体も満たなかったから、過半数に出会ったことになる」
「どんな力を持っていたのかも把握しているのですか?」
「無論だ。抵抗できないといっても、被害を最小限に抑えるためにはそういった情報が必要とされていたからな。炎や水……、風なんかを操る者もいた」
シモンの脳裏に、「彼」の姿が過ぎった。本当に戦争に参加していたのだ。わかりきっていたことなのに、シモンの胸に押し潰されるような圧迫感があった。今の「彼」を知っているために、戦争において人間を殲滅していたとは思えないのかもしれない。
「……彼らは今なにをしているとお考えですか?」
「わからない」ジルはぴしゃりと言い切った。「だが、奴らが行動を起こさないおかげで、人間は生き残れている。本当は生き残れるはずがなかったと儂は考えている――考えていた」
「では、どうして」
「奴らの姿がある日、ぴたりと消えたのだ。毎日のように大地を砕き、空を割っていたはずが、急に音沙汰がなくなった。実に静かだったのを憶えている。ただ人々の不安は募るばかりだったが」
突如訪れた静寂が、人々の恐怖心をさらに煽っていたのだろう。心境としては平和が訪れた安堵感よりも、次に訪れる災厄の危機感の方が大きかった。
「それからは一度も現れていないのですか?」
「儂は目撃していない。仲間から破壊したという情報もなかった」
「そうですか……」
「今はただ二度と現れないことを願うばかりだ。子供たちに儂らと同じような絶望を味あわせたくないからな」
その言葉にシモンは、無言で頷いた。
シモンが『危険領域』にまで足を伸ばしているのは、ただ研究のためではなく、子供たちのことがあるからなのかもしれない。彼らに新しい知識を与えるために、それを聞いた彼らが笑ってくれるように、危険を冒している。
自分が大人だと思ったことはないが、次の世代のために行動することが大人のすることなのかもしれない、とシモンは思った。父親がそうしてくれたように、自分も同じことをしている。伝え教えることこそ、大人の役目なのだろう。
子供たちのためにも、まずはなんとしてもエネルギー不足を解消しなければない。
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