第2章

第5話 Dの痕跡

 二つの足音だけが、施設内に充満する静寂を殺した。


 コードの部屋の調査を切り上げ、シモンたちはさらに奥を目指した。十数メートルほどで次の扉を見つけた。右側にスチール製の扉、左側に鋼鉄製の扉。最初に右側、続いて左側と、先ほどと同じように調べた。室内は同じだった。空っぽの部屋と、コードで満ちた部屋。エクスピアによれば、コードの並び、重なり方。培養器のガラスの割れ方も寸分狂うことなく同じらしい。


 そんな部屋が左右セットで四つあった。


 長い廊下を歩き、ようやくその終着点に辿り着く。左右に階段などの上下移動できる設備は見当たらない。あるのは、正面の鋼鉄製の扉だけだ。センサーは機能していないようだが、扉の横にはパスワードを入力するパネルがあった。最大で九文字まで入力できるようだ。ディスプレイは緑色の光を発している。独立して電気を供給されているのだろうか、とシモンは考えた。結局のところ、この施設がどの時代に建設されたのかは、いまだに判明しない。あるいは解明されないように施されているのかもしれない。ディスプレイの下には打ち込める文字が並んでいる。記号を含めて、全部で三十強。


「なんて入力すればいいのかしら」シモンはパネルを眺める。最大で九文字まで入力できるからといって、パスワードが九文字であるとは限らない。


「壊してしまえばいいんじゃないか?」


「ここだけ機能しているし、安易なことをして、機能をシャットダウンされても困る。他にもまだ動いているマシンがあるかもしれないし、そっちまで繋がっている可能性も否めないわ」


「じゃあ、パスワードを探すか」


「それがいいわね――と言いたいところだけど、たぶん無駄だと思う」


「どうして」


「手掛かりなんてないのが、この施設の特徴だからよ」


「それなら一つ、俺に思い当たるものがある」


 そう言って、エクスピアはパスワードを打ち込んでいく。すると、電子音が鳴り、閉じられていた扉が勢いよく開いた。


「なんて入れたの?」


「『ドゥクス』。研究好きの同胞だ。ここもあいつが関わっているんじゃないかと思ったが、案の定だ。前にもいくつかあいつの名前で開いた扉があったんだ」


「経験ね――。経験といえば、私、なぜだかわからないけど、こういうの一発で当てられるのよ」シモンはディスプレイを指さした。


 幼い頃から機械に触れ、玩具のように扱っていたからこそ成せる技だと。なぜだかわからない――とは言ったものの、やはり経験から生まれた技であるのは間違いないし、過去の資料に目を通し、無意識に周囲の情報から答を導き出しているのではないかとも考えている。


 もしかしたら『オカルト』と呼ばれる類のものかもしれない、と思ったときは、自分を分解してみたくなったものだった。


「なら、最初からそうすればいいだろ」


「絶対に、ではないの。何回かに一回は外してしまうし、その一回の確率が寄ってしまうこともあるから、リスクとリターンが見合わないのよね。今回の場合とか、特にそう。失敗したときのリスクが把握できないから、最悪のケースを念頭に置くでしょう? 自分の死とかね」


「たしかに死と釣り合うリターンはそうないな」


「それに私一人が死ぬだけならいいのよ。だけど、そうはいかない。エリアRに住む人たちのこれからに支障をきたしてしまう」


「エネルギー不足による難民の発生か」


「それだけは避けたい。あそこには未来に夢を見ている子供たちがいるの。純粋で、ひどく脆いから、初めに消えていく命。だから、難民になんてするわけにはいかない」


「子供が好きなのか?」


「ええ、とても。子供だけじゃないわ。私は人間が好きなの」


「こんな世界にしたのも人間なのにか?」


「それでも、人間が好き。温かくて、優しいものを持っているから」


 その部屋は、動力室だった。施設内すべての電源がここに集約されている。入口正面には十六ものモニタがずらりと並んでいた。見当たらなかったが、どうやら施設内には監視カメラが設置されていて、ここで確認できるようだ。管制室の役割も担っている。


 シモンはまず、オフになっている電源のスイッチを入れることにした。キーボードを操作すると、モニタの一つに詳細が映った。このフロアで稼働をしているのはここだけのようだ。シモンはすべての電源をオンにする。


「どう?」シモンは操作を続けながら、エクスピアにフロア内の状況を訊いた。扉は開いたままのため、廊下の様子はわかるはずだ。


「明るくなった」


「よかった」


 シモンはプログラムの検索をかけ、地図を見つけた。施設は上に三階、下に二階の設計のようだ。部屋数もだいたい把握した。一番大きな部屋はフロアに区切りがない地下二階だ。もしかしたら物資を保管する倉庫をかもしれない。


 次に監視カメラの有無を確かめた。きちんと設置されており、今でも動くのなら、探索の時間を短縮することができる。いくつかのモニタが点灯し、砂嵐が流れた。動いているものと、そうでないものがあるらしい。


「これは偽物だな」


 いつの間にか横にいたエクスピアを、シモンはキーボードの操作を中断して見た。彼はモニタの中に手を入れていた。一瞬、目を疑ったシモンだったが、ここのオブジェは簡単に壊すことができることを思い出した。「壊す」というよりは「壊れる」。触れるだけで、形を成すことを辞める。


「粒子がマシンの中に入ったらどうするの……」


「そんなんで壊れるようなら、こんなところに置かないんじゃないか?」


「いえ、そうとは言い切れないわ」シモンは再び操作を始めた。


 モニタに次々とウィンドウが現れては消えていく。一つのモニタでは処理し切れないため、他のモニタにも順次映していく。シモンが欲しいのは、この施設の建設された年代の情報だ。明確なものでなくてもいい。プログラムの最終更新日だけでも充分な成果だ。しかし、どんなに検索をかけても、出てくるのは不明という文字だ。故意に情報を隠していることは明らか。それに、現れるウィンドウがループしている。シモンの操作に対するプログラムが作動しているようだ。


 操作を続けてわかったが、組み込まれているプログラムはとてもじゃないがこのマシンだけでは操作し切れない。平行して作動するプログラムが多過ぎるのだ。スペック上では問題なく稼働するが、しかし操作する人間と操作媒体が足りない。


「あなたってマシンの操作はできる?」一息ついてから、エクスピアに訊いた。


「無理だ。他をあたってくれ」


「他がいないから、あなたに訊いたの」


 シモンたちは管制室をあとにした。通路には点々と照明が灯り、気付かなかったが壁の低い位置にも微かに照明があった。こうして明かりがあることは、人間の最も安堵できることの一つだ。暗闇での生活に慣れていない目で行動することほど恐怖を感じることはない。人間というのは、視覚によってほとんどの情報を入手している。だから暗闇の中では充分な情報量を得られず、身体が縮こまってしまい、身動きが取れなくなる。暗闇や黒色が恐怖や絶望の象徴となるのは、そういった理由からだろう。


 ホールにも照明が灯り、先ほどとは違った印象を受けた。光があるだけで、不気味だった空間がこれほどまでに変化するのだ。


「これからどうする」


「地図によると、この下に大きな空間があるの。そこへ行きたい。貯蔵庫あたりだと嬉しいんだけど」


「ここが動力施設だという可能性は?」


「可能性はあるわ。どんな施設でもある可能性がね」


「なにもわからなかったんだな」


「そういうこと。ただ、マシン内の隠蔽プログラムがかなりの厳重さだったから、秘匿すべきなにかはあると思うの」


「それ自体がブラフとは考えられないか?」


「ただの足止めかもしれないわね。あとは遊び心。そうだとしても私にできるのは、調査をすることだけ。なにも変わらない。結果として無駄足だったとしても、貴重な時間を消費してしまっただけのことよ」


「だけど、ここの機能が停止していないってことは、ここか、あるいは別のどこかに動力施設があるわけだ。そうじゃないと、さっきのパネルの説明ができない」


「予備電力で動いていたとも考えられなくもないけど、可能性としては低いからね。誰かがここを使っている、というのなら話は別だけど――」


 シモンたちの会話は途中で中断された。突如、地震が発生したからだ。初期微動はなく、本当にいきなりのことだった。大きな振動のせいでシモンは立っていられなくなり、片膝立ちでなんとかバランスを保った。周囲では偽物たちが振動に耐えきれず崩壊していく。音はなく、その様は砂時計を連想させた。


「どうやら、大物が来たみたいだ」エクスピアはシモンを抱え上げた。そして、外には出ずに、十メートルほど正面玄関から遠ざかった。それと耳を劈く音がしたのは、ほとんど同時だった。


 揺れだけに気を取られていたシモンは、音のした正面玄関を見た。壁は破壊され、二階部分から削り取られていた。空が見え、外の様子が見える。そこには巨大な犬型のメルマキナの姿があった。二階建てのこの建物より少し低い程度の高さ。目を光らせ、こちらの様子を窺っている。呻き声のような音が、空から降り注いだ。


「こんなのって……」


「俺も初めて見た――しっかり掴まっていろ」


 エクスピアが移動をしたその直後、背の低い椅子があった一帯がメルマキナの鋭い爪によって削り取られた。建物が瓦解する音と電気が弾ける音が響き渡る。カウンターデスクも瓦礫の被害に遭っていた。


「とりあえず、外に出るぞ」


「お願い」


 次の攻撃が来る前に、シモンたちは外へと脱出した。出口が広くなり、そのおかげで相手の様子もよく見えていたため、脱出に手間取ることはなかった。


 メルマキナの足下、そして背後へと。


 合わせるようにメルマキナも動いた。


 メルマキナの姿は、銀色のフレームは刺々しく、触れるだけで切り裂かれてしまいそうだった。赤い瞳は、顔が動くたびに軌跡を描いた。その大きさからは考えられないほど動きは滑らかで、普通のメルマキナよりも俊敏な印象を受ける。


 エクスピアがさらに距離をとり、「ここにいろ」と言い残して、メルマキナと戦い始めた。彼の力が多くのメルマキナを屠り去ったことをシモンは見てきた。それは一瞬で、ときにはシモンが認識するよりも速く行われる。


 だが、巨大なメルマキナとの戦闘は終わらない。彼の風が効いていないのだ。そしてなによりもメルマキナの動きが速い。


 彼が手をかざすと、すでに前足を振り下ろしている。


 回避のために飛び上がると、身体を回転させ鋭利な尻尾を振り回す。


 着地をしたときには、飛び掛かってきている。


 この繰り返し。


 繰り返すことしかできない。


 そしてなにより彼を苦戦させているのは、メルマキナの形状が少しずつ変化していることだ。刺々しい姿は、まるで彼の放つ風を受け流すように、そして回避を続ける彼との間合いを縮めるように変化している。


 その変化に上手く対応しているエクスピアは、攻撃をする機会を完全に失っているようだった。どんなに隙を突こうとしても、メルマキナは瞬時に臨戦態勢を作り上げる。あの鋭利な巨躯は、素早く動くだけで充分な攻撃になっていた。距離を取ろうとしても、それは時間稼ぎにもならず、ただメルマキナのサイズが徐々に大きくなっているだけだ。


 気付けば、メルマキナの尻尾は大剣をぶら下げているような形へと変わっていた。身体を動かすだけで、近くの建物が破壊される。シモンたちがいた施設も、今では見る影もなくなっている。調査できるのは地下だけだ。


 自分にできることはないか、とシモンは思考を巡らせてみたが、あの巨躯に対して有効な手段をただの人間に過ぎない自分には持たないことを知っているし、なによりエクスピアが苦戦している相手に敵うはずがなく、彼の邪魔にならないことこそが最善だと知っていた。


 エクスピアはどうする気なのかを考え始めるとほぼ同時に、彼が一気にシモンの近くまで移動してきた。疲れた様子もなく、ただメルマキナを警戒している。


「逃げるの?」


「少し移動する」エクスピアはシモンを抱え、近くにあった背の高い建物へと飛び上がった。「このままだとあいつが周辺一帯を壊しかねないからな。もう少し簡単に倒せると思ったけど、いつの間にあんなのが生まれたんだ」


「わからない……」シモンはメルマキナに様子を窺う。身体をこちらに向け、すでに追い掛けていた。「だけど、あれがここから出たら大変なことになるわ。どうにか倒す方法を探さないと」


 エクスピアは次々に建物の上に飛び乗っていく。それを追うメルマキナは建物に飛び乗ろうと飛び上がるが、跳躍力が足りないため衝突した壁を削り取るばかりだ。通常サイズの犬型メルマキナがたびたび現れては、瓦礫や、その巨大な爪の餌食となっていく。どんなに変化を遂げても、仲間意識は芽生えないらしい。


 日が暮れ始め、気温が急激に下がっていく。エクスピアに抱えられて移動をしているため、空気の変動をより強く感じた。フードを被って、寒さを凌ぐ。しかし強い風のせいで手で抑えても、簡単にとれてしまった。


「安心しろ。すぐに破壊する」


「だけど、あなたの攻撃が効いてない。どうするの?」


「効くレベルの攻撃をすればいいだけだ……そろそろ、いいか」


 勢いよく踏み込んだエクスピアは身体を反転させ、右腕を前に突き出した。


 巨大メルマキナは建物の壁を壊しながらも飛び上がり、別の建物の屋上へと移ろうとしていた。


 突発的な風を感じ、彼が攻撃をしたのがわかった。しかしメルマキナはその攻撃を受けていないかのように、ついに屋上に辿り着いた。上方の跳躍力はないが、前方にはある。すぐにこちらに追いつく恐れがあった。


「追いついてきてしまう」


「大丈夫だ」


 突如、メルマキナはバランスを崩した。辿り着いた瞬間にその建物が崩れ始めたのだ。重い身体を飛び上げる踏みこみができず、崩れる建物の中に呑まれていく。足掻こうとしていたが、動けば動くほど崩壊が早まるばかりだ。


 シモンたちは別の建物に降り立った。


「生き埋めにするの?」


「いや、完全に破壊する」


 再びエクスピアが右腕をかざすと、崩壊する建物の四方に巨大な竜巻が発生した。轟音を響かせながら周りの建物を呑み込み、一点に集中していく。たしかにこれを施設の近くでやられては、安全は保障できなかっただろう。それくらいの威力の竜巻が四つも目の前には存在した。エクスピアがより遠くの建物に着地したのは、影響を受けないようにという配慮だ。


「たしかに凄いけど、本当に倒せるの?」


「あいつはたしかに形状を変化させるけど、それはあくまで攻撃を受けてから……攻撃を感知してからだ。予測をしているわけじゃない」


「そうか、別方向からの攻撃を同時に受けてしまうと、攻撃を受け流すことができないのね。変化の速度が間に合わないから、結果的に風を全部受けてしまう」


「それでも相当な変化の速さだから、こうして竜巻で切り刻んでいるわけだ」


「四つも必要なほどだったのね」


「いや、六つだ。中心部に二つある」


「そんなに? 相殺し合わないの」


「誰が創り出したと思ってるんだ」


 巨大な竜巻は周囲を呑み込み、刻み付け、粉砕していった。目に見えていた大きな瓦礫も、ほんの数瞬で粉々になり、やがて見えなくなる。その様に憶えたのは恐怖ではなかった。ただ圧倒されるばかりで、目を離せなかった。


(これが、人間を滅ぼす力……)


 竜巻の中にあのメルマキナの大剣が姿を現していた。少しだが、周りにもメルマキナのものと思われる欠片があった。破壊が続けられている。手足がもがれようとも許されない。その形が形と認識できなくなるまで、破壊される。


 その姿になってもなお、メルマキナだったものは変異を行おうとしていた。環境に適した姿になろうとしている。しかしそれよりも破壊が訪れるため、変異は中断と再開の繰り返しだ。少しずつその身を削り取られながら――。


 シモンはただ思うだけだった。


 どうして人間は生き残れているのだろう、と。

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