第31話「夜襲」
――夜になった。
ガルグ軍は、焼き払った村から三つ離れた村まで移動して、そこに陣を敷くことになった。
もちろん、そこにも村人はいないし、金目のものもない。獲物にありつけずガルグ軍の将兵は憤ったが、まさか今夜の宿営地を燃やすわけにはいかない。
村名主の屋敷らしき場所にズフォルクと側近と護衛の士数名が宿泊し、将官は家屋、兵士たちは野営となった。
まずは輜重隊(板に木製の車輪をつけたものに食糧を積んでいる)の持ってきた食材を使って夕食をとる。なお、昼間は携帯食料を食べながらの行軍だったので、夕食は兵士たちの楽しみな時間だ。
本来なら、村から略奪したその土地の食料を楽しむのだが、この村にはほとんど食料が残されていなかった。
食事時は比較的穏やかにすぎていったが、ストレスの溜まっている兵士たちはほどなく喧嘩を起こし始めた。
略奪を楽しみにしていた兵士たちにとって、このルリアル征伐はまったくの肩透かし、つまらぬものとなっていたのだ。
それでも、草木も眠る刻限になってようやく辺りは静かになる。
「…………」
それとともに――密かにガルグ軍を追跡していた男――刀兵衛が、ゆらりと木陰からその姿を現した。
まずは敵情を探るべく、刀兵衛は単独で偵察に出ていたのだ。
そして、敵の総大将が誰であるか、兵士の数はどれほどか、将の質はいかほどか、と見極めていたのだった。
一応、本陣となった屋敷前に歩哨はいるが、まさか数に劣るルリアルが夜襲に来るとは思っていないのだろう、眠そうに目をこすっている。
(……もし敵が一万の兵を揃え、優秀な将を配していたら単独夜襲は危険でござるが……)
この偵察により、敵の総大将が先日使者としてきた愚かな男ズフォルクであることと、兵士の質が低いことがわかった。
兵数は二千だが、兵の質は劣悪。烏合の衆にすぎない。
彼らが忠誠心や使命感で動いているのではなく己の欲望を満たすために兵士をやっていることが、話の端々でわかった。
そんな連中は、いざ窮地に陥れば真っ先に逃げ出す。命を投げ出してまで、戦おうという気概など持ちようもない。
(……なればこそ、ここは拙者ひとりで十分……)
烏合の衆と言えど、一万も揃うと厄介だ。なら、今ここで油断しきって寝こけている二千を減らせるだけ減らしたほうがよい。
刀兵衛は刀を抜き放つと、まずは村名主の屋敷に近づく。
敵軍の大将が宿営するなら名主の屋敷であることは想定されていたので、この数ヵ月の間に、あらかじめ全村の名主の家に事前に入って間取りは調べてある。
刀兵衛は闇に紛れて屋敷の門に近づくと、歩哨の死角から一気に間合いを詰め――瞬く間に二人の命を刈り取った。
あとには、転がる首ふたつ。
あまりの速さに、最後まで歩哨は刀兵衛の接近に気がつかなかった。
それを物語るように、ふたりは眠気眼のままだ。
これでは、自分が死んだことすら気がつかぬかもしれぬ。
刀兵衛はなんら感情に波風を立てることなく歩哨の死骸の横を通り、垣根を音もなく飛び越えて敷地内に侵入する。
敷地内に見回りは、なし。護衛は、屋敷内にいるらしい。
総大将のいる敷地内に見回りもいないとは、よほど油断しきっているようだ。
それでも刀兵衛は無感情に歩を進め、屋敷の玄関までやってきた。
おそらく、そこには鍵がかかっているだろう。
室内には、刀兵衛が遠くから監視していたところでは、側近らしき文官がひとり、あとは護衛の将が九人。
さすがに護衛を務めるだけあって、ほかの兵士よりも武芸に覚えがありそうであったが、刀兵衛からすると今やルリアル国の兵士のほうが上だと確信できる。
(……この世界には魔法があるからか……どうも武芸を極めるという求道者はおらぬようでござるな……)
だから、魔法を使えぬ将兵は、数を揃えれればいいという考えになる。
刀兵衛からすれば、数を頼りの荒くれ者など敵の内には入らない。
刀兵衛は居合抜きの要領で聖剣を一閃させて、鍵を叩っ斬る。
……というよりも、あまりの切れ味鋭さに音もなく一刀両断。
ほとんど手応えを感じず鍵を真っ二つにしてしまった。
(……ダンジョンで手に入れたこの聖剣とやら、かなりの大業物(おおわざもの)にござるな……)
魔法を斬ることができるだけなく、単純に剣自体の切れ味も抜群であった。
これなら千人斬ろうとも刃こぼれすることもなさそうだ。
刀兵衛は扉を音もなく開き、室内を窺う。
そこには――厠(かわや)にでも行こうとしていたのか、立っている将がいた。
「ひっ――!?」
相手が暗闇の中で刀兵衛を視認したときには、もうその運命は決まっていた。
――ザンッ!
刀兵衛は相手の懐に飛びこむとともに斬撃を繰り出して、一瞬のうちに新たな骸を作り出す。さすがに首だけ落とすという余裕はなかったが。
亡骸が倒れて音を立てるとともに、さすがに護衛を任されるだけあって別室の将たちも目を覚ましたようだった。ある意味、厠に行こうとした将のおかげで、彼らは抵抗することができたとも言える。
「侵入者だぁっ!」
「ズフォルクさま、起きてください! おそらく敵の襲撃ですっ!」
騒がしくなる中、それでも刀兵衛は落ち着いていた。
早かれ遅かれ襲撃が気づかれることは想定していた。
(……元より、ひとりで二千を相手にすることは想定していたこと……)
なれば、やることは変わらぬ。刀兵衛は、頭に入れていた間取りからズフォルクがいると思われる奥の部屋へと向かった。
その間、左右の部屋から護衛の将が二人斬りかかってきたが、刀兵衛は最小限の動きでかわしつつ、これまた最低限の動きで相手の心臓を突き刺して絶命させた。
狭い室内で刀を振るうのは難しいが、修練を積んで限りない修羅場をくぐり抜けてきた刀兵衛はまったく問題にしない。
対する敵は、家屋内での戦いは未経験であったのだろう。剣を壁や天井にぶつけて、まともに振るうこともできずに刀兵衛に倒される者もいた。
刀兵衛は向かってくる護衛の士を排除しながら、奥へと確実に歩を進めていく。
なお、ズフォルクのいると思われる奥の部屋は窓や戸などがなく、外へ逃げることはできない。
そういう意味では、玄関方面の防衛だけを考えればよく守る側にとって守りやすい構造なのだが――刀兵衛ほどの実力になると、むしろ相手が袋のネズミになってくれただけありがたい。
この程度の護衛の将はいくらいようとも、また一斉にかかってこられても、さしたる問題ではなかった。
刀兵衛は、ついに奥の部屋へと至り、その扉を蹴破った。
「な、な、な、なんじゃあっ!?」
その部屋には寝間着姿のズフォルクが壁際におり、その前にはいくらか腕が立ちそうな護衛の士がいる。
室内には行灯のようなものが置いてあり、意外なほど明るい。
ズフォルクは、刀兵衛の顔を見て目を丸くした。
「お、お、おまえはっ!? ルリアルの城にいた、不気味な男ではないかっ!?」
刀兵衛を見たときに、ただの不気味な男としてしか認識していなかったことがズフォルクの限界であった。
刀兵衛ほどの剣客になると、一目見ただけで相手がどの程度の武芸者かわかるし、能力も見抜くことができる。
ズフォルクは強きに諂(へつら)い弱きを痛ぶる最低の男であるが、それは常に相手の立場や肩書をわかっての上のことであった。
しかし、戦場を渡り歩いてきた刀兵衛にとっては、そんなものが死地においてなんの役にも立たないことを知っている。
ゆえに、観察眼が常人よりも遥かに研ぎ澄まされているのだ。
「ズフォルクさま! ここはわたしがなんとかいたします! わたしはガルグ軍にその人ありと知られた剣士、キース! ルリアルの田舎騎士など、恐るるに足らず!」
そして、目の前の護衛の士も彼我の実力がわからぬらしい。
なるほど、確かにそれなりに剣は振るってきたかもしれない。
だが、それは所詮、命のやり取りのない安全な剣の打ち合いにすぎなかったであろう。なぜならば、纏(まと)う闘気があまりにも弱い。
どうにか自分を鼓舞しようと戯言(ざれごと)を口にしているが、肝心の剣を握る手が震えている。
真の武芸者というものは、どこまでも冷静であり己への自信は揺るがない。
戦場で自身を鼓舞してからでないと相手に立ち向かえないようでは、すでに負けたも同然なのだ。
「…………」
弱者を斬ることは決して面白いものではない。むしろ、強敵であったほうが気が楽なぐらいである。
だが、戦場では情けは無用。
その情けが、ひょんなことで命取りになるかもしれないからだ。
刀兵衛は一気に踏み込むと、護衛の士を一刀のもとに絶命させた。
「ひ、ひ、ひぃいいっ!?」
目の前で護衛の士が血飛沫を上げて斬り殺されて、ズフォルクは恐怖に喉を引き攣らせてあとずさった。
とはいっても、もう後ろは壁。
逃げ場はどこにもない。
刀兵衛が聖剣を構え直すと、ズフォルクは腰を抜かしてその場に尻もちをついた。
そして、涙を浮かべて哀願する。
「た、た、た、頼むぅ! ど、どどど、どうか命だけは助けてくれえええ!」
ルリアルの城で見せた傲岸不遜な態度からは考えられぬほど無様な面(つら)を晒して、ズフォルクは命乞いをする。
「…………」
しかし、刀兵衛がこんな小悪党を許すはずがない。
斬、と。
聖剣が無感情に――そして、無慈悲に振り下ろされてズフォルクの首は胴体から綺麗に離れていった。
こうしてルリアル討伐軍を任された総大将ズフォルクは、汚れきった四十年の生涯をあっけなく閉じたのだった――。
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