【第二章「鍛錬と地下ダンジョン攻略」】
第9話「鍛える」
刀兵衛が、この地に来てから十日が経過した――。
異世界へ人間が転移してくることはたまにあることらしく、しかも、それらの人物は往々にして新たな知識や技術をもたらすことも多いので、刀兵衛の存在も家臣や領民たちに受け入れられていた。
刀兵衛のいかにも剣豪といった雰囲気に怯えたり不吉なものを感じる者もいたようだが、園が冗談を交えつつ話をしているのを見るにつれて、馴染んでいった。
園の竹を割ったような性格は、異世界においても受けがよいらしく、すっかり城内でも人気者になっていたようだ。その園が親しげに話しているのだから、自然と城内でも刀兵衛は受け入れられていった。
仮に刀兵衛だけが転生していたならば、対人交渉力の低さから召し抱えられなかった可能性すらあっただろう。仮に召し抱えられたとしても、家臣からは疎まれたかもしれない。
……ともあれ、刀兵衛はリリア姫に頼まれたとおり、この国の兵士の鍛錬を開始することにした。
熊のような猛獣との戦いの場に居合わせた兵士が盛んに喧伝(けんでん)したおかげで、刀兵衛の強さはすでに城内外に知れ渡っている。
一方で、刀兵衛はこの城の兵たちの弱さ――とうよりも、優しさと言うべきであろうか――に、気がついていた。
城兵というのは、やはりその城主の影響を受けるものだ。
穏やかな性格なうえに病弱なリリア姫は、決して城中の者を叱ったり厳しく接するということがない。
それがゆえに、将や兵たちにどこかのほほんとした部分が出てきてしまう。
その代わり、リリア姫への信頼感や親愛の情、忠誠度はとてつもなく高い。
ゆえに、刀兵衛はその感情をうまく刺激することにした。
刀兵衛はこの十日の間で覚えた異世界語で、練兵場代わりになっている平原に集まった兵士たちに呼びかける。剣術のみならず、刀兵衛は学習能力も高かった。
「……遠からず、この地は戦になるであろう。もし、この国が……つまり、そなたらが敗れた場合、リリア姫さまの身はどうなることか――。それを防ぐためにも、日々、死に物狂いで鍛錬をせねばならぬ」
戦に敗れた者の末路は、武者修行中に幾度となく見てきた。
それは、悲惨の一言であった。
城兵全員が皆殺しにされたり、城主の奥方や姫、はては年端もいかぬ子どもまでもが磔(はりつけ)にされたのち串刺しにされたり、一族郎党みな火炙(ひあぶ)りにされたりと、凄惨極まりない。
もちろん、滅ぼされた国の領民たちも暴虐の限りを尽くされて、金目のものや作物は略奪し尽くされ、男は殺されるか奴隷になり、女は乱暴されたのち売り飛ばされる。
それが戦国の世の当然ではあったが、敗者ほど悲しきものはなかった。
しかし、強き者に阿(おもね)て生きるということは、刀兵衛にはできなかった。それは、園も同じであった。
(……我らが死んだあと、領民たちはどんな辛苦を味わったものか……)
そのことを考えると、暗澹たる気分になる。
いくら領民たちが、「奴隷になるぐらいなら園さまと一緒に死にまさぁ!」と声を揃えて言っていたとはいえ、待っていた運命は悲惨なものであったろう。
だからこそ、刀兵衛と園は、この国を必ず敗北させまいと思っていた。
この弱小国に転生してリリア姫に拾われたのも、なにかの縁。
(敗軍の将は兵を語らずと言うが……)
園も、富国強兵のために様々な施策を打ち出し、この三か月、商業・農業・治水その他に尽力してきた。ならば、自分もやれることをやるしかないのだ。
すでにリリア姫からは国をとりまく情勢を聞いたが、リリア姫の父の代に隣国の大国にほぼ従属的な関係を結んでおり、毎年、多くの貢ぎ物を送り、相手方の都市建設のために労役も出しているという。そのために、ルリアル国の発展が阻害されていたようだ。
もともと穏やかな気候の土地で、人々の気性も同じくのんびりしていて傑出した武将も育たない。だから、ますます大国から舐められるという状況のようだった。
もう国が滅ぶところは見たくなかった。落城の炎を決して、上げさせるわけにはいかぬ。
そのためには、できることをやるしかない。
それが――兵の鍛錬であった。
(……拙者が教えられることといえば剣のことのみ。なれば、それを徹底的に兵士たちに叩きこむしかない)
「……拙者は剣の使い手として、元いた世界で誰にも負けなかったと自負する。だから、拙者はおぬしらに剣の神髄を徹底的に叩きこむ……」
リリア姫や園から聞いた話では、この国では剣などの近接戦闘武器はほとんど飾りという話であった。
魔法使いという存在がいるために、ほぼ遠距離戦で決着がついてしまう。
一般的な兵士は弓矢か槍を装備して、あくまでも魔法使いの援護に回るそうだ。
剣を使うのは最終手段であって、ほとんどの戦場では出番などないらしい。
だが、魔法使いというのはひ弱な存在であるとも聞いている。
そして、肉体的鍛錬を疎かにしている兵士たちが軟弱そのものであることも、今この場にいる兵たちを見てもわかった。
「……同じ戦い方をしていては、より数を揃えたほうに勝つことはできぬ。だから、拙者はそなたたちを一流の剣の使い手にする。剣の腕が熟達すれば、弓矢などすべて弾ける。拙者は鉄砲という鉛球を高速で飛ばすものも剣で受け流したり斬ることができた。これは、そなたたちにも決してできぬ芸当ではない。魔法というものを受けて吹き飛ばされても日頃から肉体を鍛錬しておれば、すぐに戦線に復帰できる」
刀兵衛は、この十日の間にリリア姫に頼んで攻撃魔法を撃ってもらったのだが――相手の魔法の発動のときを見計らって回避すれば、それほどの衝撃を受けないことを学んだ。
また、あえて直撃を受けてみることもした。
転倒しても、鍛えられた肉体をもってすれば、ほとんど傷も負わないことも確認した。さすがに、あの猛獣を倒したほどの威力の魔法は真正面から受けなかったが。
武芸者というものは、徹底的に己の体をいじめ続け、肉体を巌(いわお)のように化すもののことを言う。
その目からすれば、ルリアル国の兵士たちはまだまだいくらでも鍛えられるし、強くなる余地が十二分にある。
(やはり、これしかござらぬ……これが拙者のできる最短にして最善の策……)
刀兵衛は、この国の兵たちを武芸者として鍛え上げることに活路を見出すことにしたのだ。
だが、しかし――将兵たちは刀兵衛のあまりにも無茶苦茶な考え方についていけないようであった。なにかてっとり早く強くなる秘策でもあるのかと期待していたのかもしれない。
「し、しかしっ、我々が刀兵衛さまのようになれるわけがありませぬっ」
「こんな短い剣で戦うことで、なんとかできるとはとても思えません!」
「刀兵衛さまは特別なのです! 我々のような一般兵にはとても刀兵衛さまの境地に達することは不可能です!」
まずは、刀兵衛は言わせるだけ兵たちに言わせておいた。
抗議を封じては、余計に不満が溜まるだけだ。
そして、みなが口々に不満を言い終わったところで、刀兵衛は口を開いた。
「……そなたたちが気張らねば国は滅び、リリア姫さまは大国の君主に好き勝手されることになるのだ……そして、そなたたちは殺されるか奴隷にされるかのどちらかだ……」
現実を突きつけると、兵士たちは一気に静かになった。
一度不安を口にして騒いだことで、逆に兵士たちは冷静になったのだ。
「……それが嫌ならば、死に物狂いで鍛錬するしかないのだ。肉体を鍛え、剣の腕を上げ、個の力を極限まで高めれば、数の劣勢など跳ね返すことができる……。飛び道具に頼るような者は、自らが死地に陥ったときに脆い。本当に強き者は、死地でこそ力を発揮するものなのだ……」
数々の戦場を渡り歩いて死線をくぐり抜けてきたきた刀兵衛の言葉は重く、実戦経験のない兵士たちの胸に響いていく。
徐々に、刀兵衛に従えばなんとかなるのでは――という気運が高まっていった。
「……ひとり残らず拙者がそなたたちを一流の剣豪にして見せる。だから、ついてまいれ……!」
底冷えするような刀兵衛の言葉に、兵士たちはブルッと身体を震わせる。
戦場で鬼神と恐れられた刀兵衛の鍛錬が、こうして始まったのであった――。
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