第6話「豪放磊落な園姫とリリア姫の不思議な魔導書」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
街道を進むと、広々とした平原に出た。
緩衝地帯なのか、この辺りには人家はない。
さらに進むうちに、今度は小川のせせらぎが聞こえてくる。
戦となればすぐに壊せるといった感じの簡素な木の橋を渡ると――石造りの人家が点在するようになる。
元いた世界とは違う建築方法な上に、畑仕事に精を出す村人が金髪碧眼であることから、ここが本当に異世界ということを意識せざるをえない。
「刀兵衛、驚いたであろう? わらわも、最初は自分の目を信じられなかったものじゃ! まさか、死んだと思って次に目を覚ましたら、このような光景を見ることになるとはのう! まだ地獄で鬼に出会ったほうが納得できたというものじゃな! ははははは!」
そんな冗談を言って豪快に笑う園姫は、落城前に見た姿と変わらぬ武家の娘らしさに満ちている。まさに、豪放磊落といった感じだ。
やがて、刀兵衛のいた世界では、ついぞ見たことのない石造りの城が見えてきた。
園姫の居城と同じような、小山を利用した山城である。
そして、城下には二階建てを含む石造りの町が広がっている。
(……この国は、木材よりも石を多く建築物に使用している……ということは、加工しやすい石があり、なおかつ地震のような災害はあまりないということであろう)
今、通過しつつある街道添いの畑には麦のような作物が植えられており、牧歌的な風景が広がっている。田んぼはない。
働く農民たちの表情は穏やかで、戦乱や災害とは無縁の生活を享受しているかのようだ。
元いた世界で各地の戦場を渡り歩いてきた刀兵衛は、戦乱で荒れ果てた農村や飢饉に襲われた村も見てきた。
そういう地に住む村人の表情は、やはり険しくならざるをえない。
そして、体格にもそれは如実に表れる。
具体的には、荒れた地になるほど農民たちはやせ細って顔色が悪くなっていく。
栄養は、嘘をつかないのだ。
(……この地は、平和ということでござるか……)
しかし、先ほどのように街道で出会ったような猛獣もいるのだから、油断はできないだろう。
そこで――あのあと、再び横になっていたリリア姫が身体を起こした。
「ぬ、リリア姫っ、まだ無理はしないほうがよいのじゃ……」
園姫は途中から異世界の言語を使って、リリア姫に休ませようとした。
それに頭(かぶり)を振り、リリア姫は刀兵衛のほうに振り向く。
纏う雰囲気は神聖そのもので――その美しさは刀兵衛がこれまで見た中で最上のものであることに疑いない。
リリア姫は、刀兵衛に向って、なにごとか話し始めた。
なにか感謝をしているかのような口調と、表情だ。
意味はわからなかったが、聴くだけで心が浄化されるような清涼な声音だった。
「刀兵衛。リリア姫は、助けていただき、ありがとうございます――と言っておるぞ」
かたわらの園姫が、こちらの言葉に直して教えてくれる。
「……拙者は、自分の心のおもむくままに剣を振るっただけのこと……拙者のような者に言葉を賜り、畏れ多きことでござりまする……」
刀兵衛の言葉を翻訳するように、園姫は異世界の言葉でリリア姫に伝える。
こちらに来て三月というが、だいぶ園姫はこちらの言葉を理解しているようだ。
武家の娘でじゃじゃ馬であったことから家臣からも猪武者だと思われがちではあったが、園姫が聡明であることは短い間ながら一緒に過ごした刀兵衛にはわかっていた。
リリア姫は身体を起こし、傍らに置いてあった書物を手にとると、パラパラと紙を風に遊ばせるように開いた。
すると――その書物が、俄(にわ)かに青い光りを発し始める。
「っ――」
武者修行によって、どんなことにも動じぬ胆力を身につけてきたつもりであったが――この世界に来てから、刀兵衛は驚かされることばかりだ。
やがて――青い光が収まる。
そして、刀兵衛のほうを見てリリア姫はニコリと笑った。
それは先ほどまでの貴人的な、儀礼的なものではなく――年相応の娘が、ちょっと悪戯(いたずら)をして、それが成功したときに浮かべるような笑みであった。
その笑顔に、思わず胸に怪しい騒(ざわ)めきが拡がりかけるが、瞬時にそのような雑念は振り払った。こんなことで動じる自分を、刀兵衛は恥じた。
「……どうでしょうか? これで、わたくしが話している言葉が伝わると思います」
その言葉の通りであった。
リリア姫の唇の動きからは異世界の言語を使っていることがわかるが――実際に刀兵衛の耳に聞こえてくるのは、聞き慣れた日ノ本の言葉であった。
「これは、魔道書の力によるものです。この書物を発動させると、お互いの意思の疎通が最適化されます。人間の言葉だけでなく亜人の言葉すら翻訳することが可能です」
「……ということは、拙者のしゃべっている言葉も、そのまま伝わる、と――」
刀兵衛の言葉に、リリア姫は微笑を浮かべてうなずいた。
「そうです。あなたさまのしゃべっている言葉は、わたくしの国の言葉で伝わっています」
呪術としか言いようがない、いや、そんなものを遥かに凌駕している。
これまでに出会った僧や巫女に、こんな力を持つものはいなかった。
そもそも、あの化物と対峙したときに、このどこからどう見ても非力なお姫さまは謎の法力――いや、魔力とでも言うべきか――で、相手を絶命させたのだ。
やはり――この世界についての認識について、いろいろと整理をせねばならぬ。
真面目くさって、そう考える刀兵衛に、園姫は屈託なく笑い声を上げる。
「はははっ! 刀兵衛、そう真面目な顔をして考えこむな! わらわも、それは最初は度肝を抜かれたが、ここはまことに馬鹿馬鹿しいほど不思議な世界なのじゃ! 原理などわからぬ! 真面目に考えるだけ時間の無駄というものじゃ! そんな時間があるのなら、剣の鍛錬でもしたほうがよい!」
さすが竹を割ったような性格の園姫であった。
こちらの世界に来て三月ということだが――この様子なら、すぐにこの世界の在り様に順応したことであろう。
「なに、三日もあれば慣れるものじゃ! ……しかし、刀兵衛、そちは落城のあと、どうしたのじゃ? よかったら、聞かせてくれぬか」
「……はっ。……拙者は城を討って出たまま、ただひたすら前に進みましてござりまする。途中、数え切れぬほどの兵や将を斬り倒し、追手や落ち武者狩り、果ては山賊まで斬り捨てましたが……やがて崖の上に出……このまま生きていくことは虚しいと思い、そのまま海中に没しましてござりまする。おそらく、落城から三日ほどのちのことであったかと」
「ふむ……そうじゃったか……。刀兵衛ほどの腕の持ち主なら、どんな大名にも仕えることはできたものと思うのじゃが……まことに、もったいなきことじゃ……」
「もったいないお言葉でござりまする。……しかし、もう拙者はほかの主君に仕える気は起こりませなんだ」
「……ふむ、つまり、刀兵衛はわらわひとすじであったと! はははっ! なんじゃ、わらわを照れさせるでないぞ、刀兵衛っ!」
そういうつもりで言ったのではないでござる――と言い直そうとして、しかし、つまりはそういうことなのだと、かえって得心する。
やはり自分は、この竹で割ったような性格の園姫が好きなのだ。
なにも刀兵衛だけではない。園姫の家臣や領民たちは、誰もがその豪快で包容力のある性格に惚れていた。
もし男に生まれ、それなりの領土を持つ国に生まれていれば、それこそ歴史に名を残していたであろう。
かえすがえすも山城の城主には、もったいない器であった。
武者修行をして全国津々浦々まで廻った刀兵衛だが、これほど傑出した人物にはついぞ会うことがなかったのだ。
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