第5話「姫」

 そこから姿を現したのは――若い女だった。


 ただならぬ気品と、どこか憂いを感じさせる瞳。

 髪は透き通るような金色で、胸のあたりまである。


 かなり身分の高い貴人であることが、一目見てわかった。おそらく、どこかの国の姫であろう。


 園姫のような武家の娘というよりは、優美で公家に近い雰囲気を持っている。

 いや、むしろ神秘的と言おうか――。神に仕える巫女をも連想させた。


 その「姫」は、ゆっくりと顔を上げて――化物を見つめる。

 昏(くら)かった瞳が、徐々に明るくなっていく。

 それは比喩ではなく――青く輝いていた。


「ギィヤウゥウ……?」 


 先ほどまで怒り狂って充血していた化物の赤い瞳が、揺れた。

 続いて、あとずさる。


 どうやら、本能的に恐れをなしているらしい。

 いや、正確には「畏れ」であろうか――。


 次の瞬間――その『姫』から、「青い風」が発せられた。


「――っ」


 戦場を三十年近く往来してきた刀兵衛にとっても、それは初めて見る光景だった。

 「青い風」は怪獣に直撃する。

 そして、その巨体を塵芥のように吹き飛ばした。


 怪獣は無様に宙空を舞い、そのまま背中から強(したた)かに地面に打ちつけられた。

 あまりにも激しい地面との激突に、足元が激しく震動する。

 一方で、『姫』は力を使い果たしたかのように、崩れ落ちていった。


(……今のは、いったい……)


 戦場でも、妖術や忍術を使う者もそれなりにいた。

 しかし、いずれもマヤカシにしかすぎぬものであった。

 刀兵衛ほどの者になると、一瞬で術を見破ることができる。


 だが、今の「青い風」は種も仕掛けもないように見えた。


 実際に怪獣と戦った刀兵衛には、あの化物の硬さや重さは十分にわかっている。

 それを、この細腕の『姫』は、いとも容易く吹っ飛ばしたのだ。

 そして、その化物は――ピクリともせず絶命している。


(……信じられぬ。拙者は夢を見ているのか……)


 そう結論を出すのが、自然としか言いようがない。

 と、そこで――後方から、今度は騎馬武者が複数、駆けてくるような音が聞こえてきた。


「リリア姫ぇっ!」


 発せられた、凛とした力強い女の声。


「――っ!?」


 滅多なことでは動揺しない刀兵衛が――その声を聞いて、持っていた脇差を取り落としそうになった。


 幻聴に、違いない。

 そう思いながらも振り向き――馬上の人物に目をやる。

 幻覚だろう、と思った。


 なぜなら――先頭の馬から勢いよく地に降り立ったのは――城と運命を共にしたはずの園姫であったからだ。


「――なぁっ!?」


 驚きの声を発したのは、刀兵衛ではない。

 その、園姫と瓜ふたつの女子であった。


「刀兵衛!? 刀兵衛なのかっ!?」


 そして、その女子は刀兵衛の名を呼んだ。


(……やはり、拙者は夢でも見ているらしい。なぜ、こんなところに園姫さまがいる……いや、そもそもが、おかしいのだ……この地にいるはずのない南蛮の兵士がいて見たこともない怪獣が現れ、異国の姫らしき者が面妖な術まで使う……。おそらく拙者は、海中に没しながら、こんな御伽噺のようなものを見ているのだ……)


 そう己を納得させようとするも――目の前の園姫――としか言いようがない――は刀兵衛のもとへ駆け寄ってきた。


「刀兵衛も異世界へやってきたのだな!」

「……異世界、でござりまするか?」


 つい阿呆みたいに聞き返してしまう。

 そんな刀兵衛に、園姫は快活に告げた。


「ああ、そうじゃ。ここは異世界じゃ! わらわがここへ来て三月(みつき)ほど! わらわはリリア姫に武勇を認められ、リリア姫の治める国ルリアルの武将になったのじゃ。今日は聖泉、というか温泉じゃな、湯治からの帰りということで迎えに出たのじゃが、まさか、馬車が怪獣に襲われていたうえに刀兵衛がいるとは!」


 夢か現(うつつ)か。いまだに判断がつかぬ。

 己の女々しい心が、幻想を見させているのか。

 だが、目の前の園姫の姿も声も、幻とは思えぬ。


「おっと、積もる話は、あとじゃなっ! 刀兵衛、怪我人を運ぶのを手伝ってくれ!」


「…………御意にござりまする」


 わけがわからぬままではあるが、刀兵衛はうなずいた。


 一方で園姫は、さっきまで刀兵衛と話していた言葉とは別の異世界の言語で率いていた騎馬隊や小屋を守っていた兵士に呼びかけ、続いて、異国の姫を助け起こした。


 異国の姫――「リリア姫」は、ゆっくりと目を開き、あたりの状況を確認している。続いて、園姫から状況説明を受けたようだ。


 その間、刀兵衛は怪我人を背負い、姫が乗っていた『馬車』に運んでいった。

 幸いなことに、吹き飛ばされた兵士たちは重傷ではあるものの命には別条がないようだった。


 途中、軽傷の兵士たちから話しかけられたが、「すまぬ。拙者には、そなたらの言葉はわからぬのだ」と軽く頭を下げた。


「おお、刀兵衛、わらわが話しておこう」


 そんな刀兵衛を手助けするように、園姫は異世界の言葉で兵士たちに事情を説明していく。


(どうやら、現実のようでござるな……)


 背中の痛みを覚えながら、刀兵衛は負傷者を全員収容して『馬車』に乗せた。

 そして、再び馬に跨った園姫を先頭として、リリア姫一行と刀兵衛は移動を始めたのだった。


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