第4話「助太刀」

 熊のような猛獣は巨大な大木のような腕を振るい、暴れ回る。

 連携すべく兵士たちが喋っている言葉は、やはり異国のものだ。


 ある程度剣の心得はあるようだが、怪物にはほとんど傷を負わせられていない。

 せいぜい、かすり傷程度か。


「ギシャアアアア!」


 猛獣が暴れるたびに、ひとり、またひとりと兵士は吹き飛ばされていく。

 少しかすっただけでも、威力が桁違いなようだ。


 だが、兵士たちは引かない。背後の貴人が乗っていると思われる車輪のついた小屋とそれを牽(ひ)く二頭の馬を守るように集まる。


 言葉はわからぬが、必死に中にいる人物を守ろうとしていることがわかった。

 これだけ劣勢で負傷者が出ているにもかかわらず――兵士たちは引くことをしない。


 その姿を見て、刀兵衛の胸に熱いものがこみあげてきた。

 たとえ勝ち目のない戦いでも、誰かを守るために命を賭ける。

 その姿が――園姫とともに城に籠って討死にした家臣たちとかぶった。


 刀兵衛は木々の間から姿を現し、崖下の南蛮兵士と化物に向って大音声で告げる。


「拙者は、刀兵衛という者! 命がけで戦っている貴公らの勇気に胸を打たれたっ! これより、助太刀いたす!」


 言葉は通じないだろうが、いきなり乱入するよりはいいだろう。

 刀兵衛は刀を抜き放つと、そのまま駆けだし――。


「つああああああああああ!」


 跳躍するとともに、化物の正面から脳天めがけて諸手大上段から刀を振り下ろした。


「グガッアアアアアアアアア⁉」


 怪物の顔面から、首、胸部から下腹部にかけて縦一文字に切り裂く。

 そして、地面に着地するや、すぐに跳び下がる。


 一呼吸遅れて、怪獣の丸太のように太い腕が刀兵衛の着地した場所に襲いかかっていた。虚しく、空を切る。


 攻撃のときこそ、もっとも隙ができる。

 数々の戦場で生き残ってきた刀兵衛の身体は、攻撃即回避という俊敏な動作を身に着けていた。


(やはり、一撃では倒せぬか)


 これがただ大きいだけの熊なら、今の斬撃で斃れていただろう。

 まるで、岩にでも斬りつけたような手応えであった。


「キシャアアアアウ! シャアアアアアアアア!」


 攻撃されて怒り狂った怪獣は両腕を振り乱して、無差別破壊を開始する。

 切通しの崖に爪があたるたびに、暴風雨のような勢いで砂岩が飛び散っていく。


 兵士たちは狼狽えて後退するが、逆に刀兵衛は大きく踏み込んだ。

 怒りに駆られた化物の視線は、刀兵衛から外れている。

 ならば――その勝機に向かって迷うことなく踏みこむのみ。


 地を這うように身体を低くし、疾風のような速さで駆けていき――刀兵衛は化物の股をくぐった。


 ――ジャリッ!


 同時に、すぐさま反転。

 全身のひねりを加えて、怪物の左脚に渾身の斬撃を見舞う。


 ――ズバシュッ! 


 敵が硬いならば、一点だけ攻撃すればいい。


 これほどの巨体を支えている脚ならば、どちらか片方が傷つけば姿勢を維持できなくなるはずだ。


「ずあああああああ!」


 化物が振り向くまでに勝負を決しようかというかのような勢いで、刀兵衛は悪鬼羅刹のごとく片脚に斬撃の嵐を見舞う。


 精妙かつ強烈な斬撃は、違うことなく×字の傷をより深いものへと変えていった。


「グガッフウウウウ!?」


 まさか、こんな戦法をとるとは思わなかったのだろう。

 そもそも、この速度で斬撃が来ることなど想像の埒外(らちがい)であったろう。


 ――ドォオオオンッ!


 猛獣は、慌てて振り向こうとして――自ら派手に転倒した。

 前面は鋼のように固かったが、脚の裏側、特に足首のあたりは人間同様に弱いようだ。


(二足で歩くことから、もしやと思ったが――猛獣といえど、そこは鍛えられぬか)


 姑息かもしれぬ、卑怯かもしれぬ――とは思わなかった。


 刀兵衛は、童子の頃から戦場を駆け回ってきた。

 そんな自分からは、荒くれ武者はそれこそ巨人のように見えたものだ。


 ゆえに、いかに優位な位置を取るかが生死の分かれ目であった。

 やらねば、やられる。


 ――やらねば、死ぬのだ。


 だからこそ、幼い刀兵衛は姑息だろうと卑怯だろうとあらゆる手を使って生き残らねばならなかった。

 しかし、そんな手を使うことはこの久しくないことだった。


 心・技・体をこれ以上ないほど高め、剣を極め尽くした刀兵衛は小細工を弄することなく正攻法で戦うことができていたのだ。


(この強敵に立ち向かう感じ、懐かしくもある――だが)


 猛獣が振り向いてから、もう一戦と思っていたが――その猛獣はすでに自らの重みに耐えきれず派手に地面に転がりこんだ。


 そこで待っているなんて兵法はない。

 戦場に生きる者として――この隙を逃すのは戦神への冒涜である。


「ずあああああああああああ!」


 刀兵衛は倒れた猛獣の後頭部に跳び乗ると、激しく刀を振り下ろしまくる。

 右から左から、斬るというよりは叩くかのように斬撃の嵐を見舞った。


 単独の相手にこれだけ刀を振るうことは、刀兵衛としては初めての経験だった。

 人間なら一刀で死に、熊相手でも三回斬りつけるうちには斃れた。


 だが、この怪物は別格――。

 いや、異常――。


「グガッシャアアアアアアーーーーー!」


 これだけの斬撃を受けてもなお、猛獣は勢いよく立ち上がったのだ。


「――くぬぅっ!?」


 跳ね飛ばされたものの空中で瞬時に体勢を立て直して着地した刀兵衛だったが――猛獣は怒りのままに腕を振ってきた。

 それは刀兵衛を狙ったというよりも、ただ激情によるものだったであろう。


 凶悪を具現化したような極太の爪が刀兵衛の顔に伸びてくるが、寸でのところで刀で受けとめる。


 ――が、着地したばかりでまともに対抗しきれなかった刀兵衛は膂力の差によって、今度はまともに吹っ飛ばされた。


(――不覚)


 いつもだったら、こんな無様な反撃は食らわない。

 飲まず食わずで戦い続け、目覚めたばかりの体は本調子ではないようだ。


 ――ズガッシャアアアアアア!


 手から刀が離れ、刀兵衛は街道を背中から勢いよく滑走していった。


 無数の擦過傷が刻まれるが、そんな状況でも両腕と両脚を浮かせて肝心の両手足を守ることは忘れない。背中だけなら、なんとかなる。


 勢いが落ちてきたところで、刀兵衛は自ら身体を横にして回転、勢いよく立ち上がる。

 ちょうど、その位置は、貴人が乗っていると思われる小屋の横だった。


 残る武器は、脇差のみ。

 戦場を渡り歩いていた頃の刀兵衛なら、この時点で離脱の一手に走っただろう。


 戦とは、勝つことよりも生き残ることが第一なのだ。

 

 だが、園姫を守れなかったことへの後ろめたさがあるからか、どうしてもここで逃げる気にはなれなかった。


(拙者も焼きが回った)


 崖から飛び降りた時点で、一度は捨てた命。

 ならば、二度捨てるも大差ない。


 だが、ここはいったい、どこなのか。なぜ南蛮人のような兵士がいるのか。この小屋のような乗り物の主は誰か。

 そもそも、この化物はなんなのか。疑問は尽きない。


(せめて、ここがどこなのかは知りたかったが――それも詮なきこと)


「ギィヤゥウウウ……」


 負傷した猛獣は、赤黒い血を流しながら刀兵衛を睨みつけ、低く唸った。

 刀兵衛は脇差を抜き放って、死地へ臨もうとする。


 と、そこで――車輪つきの小屋の扉がゆっくりと開かれた。

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