【第一章「異なる世界」】

第3話「目覚め」

「……ぬ」


 目が覚めて、最初に入ってきた光景は緑であった。

 木、いや、木々――。

 ここは林か、いや、この鬱蒼とした感じから森であろうか。


 起き上がった刀兵衛は、我が身が水に濡れていないことと身体が何不自由なく動くことに気がついた。

 続いて、自分があの戦場から脱したときのままの姿であることにも気がついた。


 あのとき、乱戦の中でほとんど傷を負わなかったとはいえ、着流している黒い着物の袖や裾を刀で何度か斬られたし、飛んできた矢や火縄銃の玉がかすったりもした。

 だから、ところどころ破れたり斬られたり穴が開いたりしている状態である。


 なお、刀兵衛は素早さを重視する上に火縄銃の弾ですら刀で斬ることができるので、鎧や兜の類(たぐい)はまったくつけていなかった。


(拙者は、生きているのか……? そして、ここは……)


 もし海中に没したのちに波で打ち上げられたのなら、浜辺に流れつかねばおかしい。

 仮に誰かに助けられたとしても、こんな森に寝ているというのは不自然だ。


 そもそも、自分のような落武者は寝首をかかれることはあっても、命を助けられるはずがない。

 それに刀兵衛の持っている唯一金目の物である刀を、そのままにしておくはずがない。これは、それなりの名刀なのだ。


 刀兵衛は要領を得ぬまま、立ち上がった。

 木漏れ日からすると、どうやら昼らしい。


(……ここはいったい、どこなのだ……?)


 いつでも闘いに入れる心構えをしつつ、道を探して歩いていく。

 もしかすると、海中に没したというのは歩いているうちに見た幻覚かもしれぬ。


 飲まず食わずで戦っていたのだ、それも考えられる。

 そうなると、いまだにここは敵地かもしれぬ。


 戦場を渡り歩いてきた刀兵衛は、油断なく警戒しつつ森を歩いていった。

 どこか街道に出れば、そこは知っている場所かもしれぬ。


 だが――そこで道を出たところでどうするというのだろう。

 刀兵衛が身を寄せていた小さな山城は落城し、もう園姫はこの世にいない。


 生きていても仕方がないと思えたからこそ、刀兵衛は崖に出ても前に進み続けて、そのまま海へ身を投じたのだ。


(……これから生きて、どうするというのだ……女子ひとり救えぬ情けなき落武者が、これからどうしていくというのだ……)


 以前のように武者修行をしつつ戦働きをするか、あるいは剣の腕を持ってどこかの領主に仕えるのか。

 それとも、もう一度死ぬために崖から飛び降りるか。いっそ、今ここで刀で確実に自分の心の臓を貫くか――。


 やはり……あのとき、城に残るべきであった。

 最期まで園姫のために戦い、死ぬべきであった。


 だが、刀兵衛は城を出たのだ。


 園姫の「敵に一泡吹かせてやるのじゃ!」という威勢のよい言葉に従い、ひたすら前に進み続けて、敵を悪鬼羅刹のごとく斬り倒し続けた。


 足軽だけでなく、名乗りをあげて向かってくる腕に覚えがあると見える武将もいたが、刀兵衛はすべて無造作に斬り捨てた。その数、千を優に超えるであろう。


 確かに、刀兵衛は強かった。

 圧倒的に、強かった。

 しかし、その強さが――なんだというのだ。


 いくら無双の剣の腕を持っていようとも、ひとりでは戦局を覆すことはできない。

 たとえ局地戦を制しても、たとえ自分ひとり生き残っても――味方は必ず死ぬ。


 一万もの兵を相手に全員を守ることは不可能だ。

 しかし、園姫だけを連れて落ち延びることならば、できた。


 園姫は地方領主の姫らしく、それなりの武芸は身に着けていた。

 特に槍の扱いには、長年戦場を渡り歩いた刀兵衛からも、目を見張るものがあった。


 ふたりで協力すれば、どうにか血路を開き、どこか別の地へ脱出することはできたであろう。


 だが、園姫はそれをよしとしなかった。

 先祖代々の領地のため、そして、慕ってくれる領民や自分を支えてくれた家臣たちのために断固として戦い抜き、城と運命を共にしたのだ。


「……詮(せん)なきことよ」


 今さら、なにを言っても、もう遅いのだ。


 普段の刀兵衛なら、かようにうじうじと過去など振り返らぬのだが――やはり、今回のことは痛恨事であった。


「とりあえず、歩くか――」


 と、刀兵衛が一歩踏み出そうとした、そのとき――。


「ギシャアアアアアアアウ!」


 刀兵衛から見て右手の方角から、獣とも鳥ともつかぬ凄まじいばかりの鳴き声が上がった。続いて、枝が激しく揺れるような音――。


 その大音声(だいおんじょう)は、森を揺るがすほどのものだ。

 震動も、伝わってくる。


 続いて、「ヒヒーン!」といいう馬のいななきと、荷車の急に止まるような音。

 さらには、若い男たちの驚き騒ぐ声。


 距離は、ここからそう離れていない。


「…………」


 刀兵衛は身を低くしながら、そちらに向かって歩き始めた。

 おそらく、物資を輸送中の者が大型の獣かなにかに襲われたのだろう。


 別に助ける義理もないが、その者からここがどこなのか聞ければいいと思った。

 それから、身の振り方を考えればよい。


「……む」


 刀兵衛がそちらに向かう間にも、新たな動きがあった。


 獣に対して、若い男たちが抜刀して立ち向かっていると思われる声と音。

 しかし、その獣はよほど強いのか――いきなり押されているようだ。


 刀兵衛の記憶では、近隣でそんな凶悪な獣はいなかった。 


 武者修行中には熊などの猛獣と闘うこともあったが、園姫の領地とその周辺にそんなものはいなかったはずだ。


(……いったい、なにと闘っているのだ……)


 刀兵衛は興味を覚えつつ、やや足早で、剣劇の音と緊迫した声のするほうへ向かっていった。



 そして――木々の向こう、切通しのようになっている街道にいたのは、道を塞ぐように立ちふさがっている熊のような化け物。

 大きさは、十尺ほどだろうか。あまりにも大きい。


 そして、その周りを囲んでいるのは見慣れぬ白銀色の鎧と日本刀とは異なる細い剣を装備した、干し草色の髪をした男たちが十人ほど。


 少し離れた場所には荷駄――ではなく、二頭の馬に引かせた車輪のついた小屋のようなものがあった。貴人でも乗っているのか、朱と金で華やかな装飾が施されている。


(こやつらは南蛮人か……? それが武装して戦っているだと?)


 西国を武者修行中に、新たな宗教を広めようとする南蛮の宣教師や商人を見たことはあったが、風貌はそれと似ていた。


 だが、最後に刀兵衛が没した地には異国人はいなかったはずだ。そもそも南蛮人たちが武装して戦っている姿など見たことがない。


(おかしい。拙者は夢でも見ているのか……?)


 そう結論を出すほうが道理にかなっていると思いながらも、刀兵衛は南蛮人と思われる男たちが猛獣と戦う姿を見守ることにした。


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