第二十六章「犯人の正体(後編)」
そう
いや『誰かが』ではないだろう。その場にいた誰もが、衝撃を受けたようだ。
しかし、俺だけは違う反応を見せてしまう。
「ああ、やっぱり……」
俺の呟きに反応して、いくつかの視線が、こちらに突き刺さる。
少し恥ずかしく感じながら、俺は慌てて口を開いた。
「いや、正確には『やっぱり』というほど確信していたのではなく、ただ『そうかもしれない』と疑っていただけなのですが……」
と、弁解じみた前置きを挟んでから、本題に入る。
「赤羽夕子の手記に書いてありましたね、
疑問を投げかけるような形式にしたのは、別に勿体つけて、考えさせようと思ったからではない。ただ俺自身の思考の過程を、順序立てて説明したいだけだった。
「もしも前者だとしたら、あまりにも膨大な金額になる。だから後者だったのだろうと私は想像しました。しかも、それは秘密裏に行われたことだったはず。周りの者たちには知られぬよう、蛇神様が一人で、こっそりお金を送っていたのだとしたら……。その仕送りは、彼が死んだと同時に、途絶えてしまったのではないでしょうか」
手記によれば、赤羽夕子が来てから約半年後に、一家惨殺事件が起こっていた。ならば、予定していた金額よりもかなり少ない段階で、養育費の支給も停止してしまったことになる。
「その後、捨てられた子供が、どんな生活を送ったのか……。約束の養育費が途絶えた時点で、里親から冷遇されたのではないでしょうか。だとしたら問題の子供は、自分を捨てた母親である赤羽夕子と、その原因を作った蛇心家の両方に恨みを抱いたまま、大きくなっていったと思われます」
これは、完全に俺の想像に過ぎなかった。だから
だが大神健助の言っていた使命云々の件と重ねて考えれば、これが今回の事件の動機に繋がるのだろう。俺には、そう思えていたのだ。
「でも、そう簡単に復讐なんて実行できるものではありません。赤羽夕子の子供が抱いた恨みは、本人の代では晴らされなかった。だからその恨みは、さらに次の代へと――赤羽夕子の孫へと――引き継がれたのです」
赤羽夕子の孫という言葉を、あらためて俺が口にしたことで。
何人かの視線が、大神健助に向けられる。
便乗するかのように、俺も彼を指し示した。
すると、
「その通りですよ、
大神健助が頷いて、俺の言葉を認める。その顔には、苦笑とも失笑とも違う、複雑な笑みが浮かんでいた。
「もう日尾木様は推察済みだと思いますが……。私が祖母に変装したのも、密室状況を作り上げたのも、全ては彼女に罪を着せるためでした。自分が罪を免れるためだけならば、誰に罪をなすり付けても構わないでしょうが、私の場合、他ならぬ赤羽夕子でなければならない理由があったのです。それによって赤羽夕子の悪名を高める、という目的が」
そう。殺人事件において、犯人が密室状況を作り上げるには、それなりの動機があるものなのだ。今回の事件の場合、普通の人間には不可能だと思わせることで、邪神とも妖魔とも呼ばれる彼女を、犯人に仕立て上げるつもりだったのだ。
これが「自分が罪を免れるため」という理由だけならば、誰が犯人であっても当てはまる話なのだろう。しかし「赤羽夕子の悪名を高めるため」などと考えるのは、親から恨みを受け継いだ彼だけの動機だった。
もちろん赤羽夕子は、この村では既に人々から、かつての大罪人として憎まれている。そのヘイトをさらに増大させる必要があるとは、俺には思えないのだが……。それだけ大神健助が彼女を恨んでいた、ということになるのだろうか。
「でも、日尾木様。赤羽夕子に対する気持ちは、確かに、その息子であった父から私に受け継がれたものですが……。しかし蛇心一族への恨みの念は、それだけではないのです」
「……え?」
自分の推理が正しいとわかって少し図に乗っていた俺は、大神健助の口から予想外の言葉が出てきたことで、間抜けな声を上げてしまった。
俺の顔に浮かぶ戸惑いの色を見て、彼は面白そうな口調に変わる。
「ああ、やはり、そこまでしか気づいていなかったのですね……。では、お教えしましょう。父だけではなく母もまた、蛇心家を恨んでいました。私は、両親の恨みを受け継いだのです」
復讐者のサラブレッド。
大神健助は、そう言っているようだが……。
正直、俺には何のことだかサッパリ見当がつかない。もちろん、この場の面々も皆、俺と同じ気持ちだろう。
そんな一同の疑問に答えるべく、大神健助が、わかりやすく明言する。
「私の母は、
驚きの告白を前にして、冷たい静寂が訪れる。
それを破ったのは、激昂する老婆だった。
「嘘を言うでないわ! 妖魔の血を受け継いだ、この
顔を真っ赤にして、蛇心美枝が立ち上がったのとは対照的に、
「嘘ではありません、御隠居様。蛇心家の一族のせいで、私の父は、生まれたばかりで捨てられたわけですが……。同じく母も、あなたのせいで捨てられたのですよ」
大神健助は、冷たく言い放つ。
「あなたは御存知ないようですが……。母から聞いた話によれば、春日良介は、なんとも女性にだらしない男だったとか。私の母だけでなく、他にもたくさん、隠し子がいたらしい。何人もの女性を孕ませていたそうですよ。いや伝聞だけじゃなくて、実際に私は、その中の一人と会ったこともありますから。腹違いの姉ってやつに」
春日良介という男は、俺たちにしてみれば、明治時代の惨劇のエピソードに出てくる人物に過ぎない。いわば昔話や伝説にしか出てこない名前のようなものであり、完全に他人事だった。
しかし蛇心美枝にとっては、大きく事情が異なってくる。彼女は昔の事件の当事者であり、彼の妻でもあったわけだから。
「そんな話があるものか……。良介さんに子供じゃと……? しかも大勢……」
ポツリポツリと呟く蛇心美枝は、あまりの驚きに、目を大きく見開いていた。元々がギョロリとした目玉だっただけに、まるで今にも眼窩から飛び出しそうな勢いだ。
「いや、信じられぬ……。良介さんは、ただ私だけを見守ってくれていた……。それこそ小さい頃から……。そう思えばこそ、私は……」
昔を懐かしむような、少し乙女チックな口調だったが……。
そこまでだった。
バタリと大きな物音を立てて、蛇心美枝は倒れてしまったのだ。
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