第二十七章「最後の犠牲者」
「御隠居様!」
真っ先に駆け寄ったのは、女中の
続いて
正田フミは冷静に、蛇心
彼女の表情には、深い悲しみの色が浮かんでいた。
そう。
蛇心美枝は、すでに事切れていたのだった。
その様子を目にしながら、俺は「本当は人工呼吸なんて必要ないんだっけ」などと、ぼうっと考えていた。
いや『必要ない』というよりは、素人には難しいから、その段階は省略して構わないという話だったような……。いやいや、警察は素人とは言えないから、今回の場合には当てはまらない。というより、そもそも人工呼吸の省略自体が二十一世紀になってから出来た概念であり、この昭和の時代では、まだまだ行うのが常識だったはず……。
おそらく、俺は半ば現実逃避していたのだろう。そんな俺を引き戻してくれたのは、隣にいる
「どうして、美枝さんが……」
ああ、そうだ。事件は解決したというのに、なぜ彼女は亡くなったのか。
俺も今さら疑問に思ったのだが、使用人の一人である正田
「御隠居様は、心臓が弱っておられたのです……」
彼のボソッとした言葉を、女将の蛇心
「おばあさまは、たいそう自尊心の高いお
悲しみに沈んでいく声を聞きながら。
俺は「ああ、なるほど」と納得の思いだった。
蛇心美枝は、
それに。
言われてみれば、思い当たる部分もあった。
昨日の午後、芝崎警部に集められた時の出来事だ。俺は確かに、彼女の顔色が悪いことに気づいていたではないか。あの時は「見かけよりも神経の細い人間なのかもしれない」と解釈してしまったが、実際には神経云々ではなく、蛇心美枝は体調を崩していたのだ。精神面ではなく、肉体的な問題だったのだ。
「そのような状態では……。彼女の心臓は、
まとめるように呟きなから、俺は思う。
要するに、蛇心美枝が亡くなったのはショック死だったのだ、と。
死因に不審な点があるわけではないが、殺人事件にも関係しているからだろう。蛇心美枝の遺体は、警察の者たちの手によって運ばれていくことになった。
同時に、大神健助も連行されていく。
そして、この段階になって。
「風呂場での言葉は、全て嘘だったのか!」
突然、
「僕をこの事件から引き離すために、適当なことを言っただけか!」
今にも殴りかからんばかりの勢いで、大神健助に向かっていく阪木正一。慌てて警察の面々が間に入り、押さえつけるようにして彼を止めていた。
俺の推理披露や大神健助の自白の間、阪木正一は大人しくしていただけに、そのギャップは俺たちを驚かせるほどだったが……。
最愛の恋人を殺されたのだ。当然の態度なのかもしれない。
「
その剣幕を受け流すかのように、大神健助は、落ち着いた口ぶりで答え始めた。いつものようなうつむき加減ではなく、きちんと顔を上げて、阪木正一を直視しながら。
「
ああ、なるほど。
彼女は馴れ馴れしい女性だっただけに、犯人に対しても気軽に「あなたが犯人なのね!」みたいなことを言ってしまい、それで返り討ちにあったのかと俺は想像していたが……。
そこまで浅はかな女でもなかったようだ。
とはいえ、程度の問題であって、やはり『浅はかな』部分はあったのだろう。たとえ確証は持てずとも、少しでも「こいつが犯人だ」と思ったならば、一人で対峙するべきではなかった。それこそ俺のように、芝崎警部たちと組むべきだったのだ。
結果的には、大神健助はハッタリに引っ掛かって『ボロを出した』のだから。
「おそらく
一瞬、大神健助の視線が俺に向けられる。その目は「お前もそういう感覚だったのではないのか?」と詰問しているようにも見えて、俺は少しだけ萎縮してしまう。
だが彼は、すぐ阪木正一に向き直って、話を続けていた。
「……ですが、私にとってはゲームでもパズルでもありません。これこそが、私の使命だったのですから」
ああ、やはり昨日の風呂場での話だ。
阪木正一も、俺と同じ場面を思い出しているのだろう。先ほどの勢いが嘘のように、黙って耳を傾けている。
「阪木様。昨晩の私の言葉に、嘘偽りはございません。人には誰しも殉ずるべき使命がある、それが私の信念の全てです。……いや細かいことを言うならば、一つ小さな嘘がありましたね。蛇心家への奉公は、養ってもらった恩などではなく……」
チラッとだけ、蛇心雄太郎に目を向ける大神健助。
「……使命を果たすためには、この『邪神城』に留まる必要があったからです。私の使命、つまり父と母の復讐の意志を継ぎ、それを実行するために」
彼の『父と母』に関しては、蛇心美枝が倒れる直前に、すでに語られている。だからこれで話が一巡したわけであり、もう新しい情報は出て来ないだろう。
俺はそう思ったのだが、まだ大神健助の話は続いていた。
「私から見ると、父は母を愛しているようには思えませんでした。でも、それは母も同様でした。ただ二人は、共通の復讐心を持っていたからこそ、それだけで結ばれた関係だったのです。そんなものが、本当の愛と言えるでしょうか」
大神健助の表情が、少しだけ悲しげに見えてしまう。殺人犯人に同情なんて、したくないのに。
「子供心にも、そんな二人は不憫に思えました。だから私は、この復讐だけは成し遂げようと心に誓ったのです。父は赤羽夕子をも恨んでいたわけですが、その想いを受けて私が
彼の言葉を聞いて、考えてしまう。
確かに、俺たちは杉原好恵に率いられて、赤羽夕子を見つけることになった。だが、それが殺された理由だというならば、赤羽夕子に関わったせいで殺された、ということ。
ある意味、赤羽夕子の呪いではないか。実行犯が別に存在している、というだけで。
そう、杉原好恵の事件に関して議論した中で出てきた、蛇心美枝の発言。「赤羽夕子の呪いに決まっておる!」という言葉は、あながち間違ってもいなかったのだ……。
少しの間、自分の考えに溺れていた俺は、珠美さんにトントンと腕を叩かれて、現実に引き戻される。
何かと思って見ると、彼女の視線は、阪木正一に向けられていた。
ああ、確かに。
大神健助の独白に杉原好恵の名前が再び出てきただけではなく、彼女を蔑むような「この女のせいで」という言い方まであったのだ。
これには黙っていられないとみえて、阪木正一は顔を真っ赤にしており……。
一瞬は耐えたようだが、ついに爆発した。
「ふざけるな! そんなものが、人が死ぬ理由になるものか! 好恵は……!」
暴れ出そうとする阪木正一は、また警察の面々に取り押さえられている。これでは、まるで彼の方が犯人のようだ。
さらに、阪木正一の言葉が詰まったタイミングで、芝崎警部が話に割って入った。
「はい、そこまでです。阪木さんも皆さんも、もう十分でしょう。大神さんの話も、これ以上は警察の方で事情聴取ということで……。この場は、お開きとさせてもらいますよ」
芝崎警部の解散宣言は、この事件全体の終幕を告げる言葉でもあった。
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