第二十五章「犯人の正体(前編)」

   

 大神おおがみ健助けんすけは、大胆不敵な男なのだろう。

 あらためて密室トリックについて考えてみると、偽の207号室の前で俺と言葉を交わしていた時、彼は蛇心へびごころ江美子えみこを殺した直後だったことになる。殺人という行為に動揺するどころか、返り血ひとつ浴びていなかったが……。

 今にして思えば、彼は自分に血が付着しないよう、細心の注意を払っていたに違いない。おそらく被害者の背後に立ち、凶器を持った手だけを彼女の胸の前に回して、グサリと刺し殺したのだ。

 そういえば、わざわざ「窓もない部屋なので、この扉から入るしかない」と口にしていたのも、密室状態を強調しようという計算の上での発言だったのだろうか。


 ……と、まだまだ色々、考えてしまうが。

 とりあえず、今俺が言うべきことは終わったはず。だからバトンタッチの意味で、芝崎しばざき警部に視線を向ける。事前の打ち合わせもあったので、それだけで俺の意図は伝わったらしい。

 小さく頷いてみせてから、芝崎警部が話し始めた。

「この推理を日尾木ひびきさんから聞かされた我々は、各部屋の扉にある金属板――番号の刻み込まれたプレート――を、詳しく調べることにしました。その結果、207号室と208号室のプレートに、最近取り外された形跡が見つかりましたよ」

 ここで大神健助が何か言おうとしたが、芝崎警部は手で制して、話を続ける。

「もちろん『最近』というだけで、いつなのか正確には特定できません。日尾木さんの推理では、あの事件の夜に細工されたことになりますが、そこまで断定することは無理でした。しかし、証拠は他にも挙がったのです」

 壁際に立つ部下の一人に、目配せする芝崎警部。

 その部下は大食堂から出て行くが、すぐに、また戻ってくる。どこか近くに用意しておいたらしく、証拠物件と思われる赤い塊を手にしていた。

 それを部下から受け取った芝崎警部は、広げてみせながら説明する。

「日尾木さんが長々と推理を披露している間に、勝手ながら、部屋を調べさせてもらいました。その結果これが、あなたの部屋の押し入れから発見されたのですよ、大神さん」

 真っ赤なチャイナドレスを掲げて、芝崎警部が睨みつけると、

「押し入れから? そんなはずはない! それはベッドに……」

 眉間にしわを寄せて、口走る大神健助。

 芝崎警部が、ニヤリと笑う。

「ほう、ベッドに隠したのですな? ベッドの下なのか中なのか知りませんが、その辺りを詳しく探せば、出てくるわけですな?」

「芝崎警部、本物のドレスを見つけたら、指紋も調べてみてください。発見されると思っていないならば、指紋だって残っているかもしれません」

 ここぞとばかりに、俺も追い打ちをかける。

 そんな俺と芝崎警部を見比べて、大神健助は、いつもは細めている両目を、思いっきり大きく見開いていた。

 だが、それもわずかな時間だった。おのれの失言を悟り、顔に浮かぶ驚愕の色は、観念の表情へと変わる。

「そうです……。指紋も拭いたりしてませんよ。おっしゃる通り、犯人は私です」

 うなだれながら、彼は自白するのだった。


 そう。

 芝崎警部が見せたのは、本物の『証拠物件』などではなく、午前中の間に用意した真っ赤な偽物。

 大神健助は、ハメられたのだ。

 とはいえ。

 冷静に考えるならば、たとえ自室から赤いチャイナドレスが発見されたとしても、いくらでも言い逃れは出来たはず。

「私が知らないうちに、真犯人が忍び込んで隠したのでしょう」

 とでも言えばよかったのだ。

 それに、指紋が残っていた場合でも、チャイナドレスそれ自体は、殺人の証拠にはならない。赤羽あかばね夕子ゆうこに変装したと示すだけだ。

「赤羽夕子に化けていたのは自分だけれど、単なる悪ふざけであって、殺人とは無関係」

 と言い張ることも可能だっただろう。

 しかし大神健助は、自ら罪を認めてしまったのだった。


 こうして犯人だと確定した上で彼を見つめ直すと、俺の頭の中に、昨晩の大浴場での会話が蘇ってくる。

 あの場では、俺も心地良く温泉にかっていたので、半ば聞き流していたが……。

 大神健助が「心までふやけてしまう」と言い出してから、最後に「むしろ独り身の方がいい」という結論に至るまでの、ウダウダとした彼の自分語り。今思えば、かなり重要な話をしていたのだ。

 確か、こんな内容だったと思う。


 お湯の中で意味もなく体を揺らした後、まず大神健助は、直前の言葉を繰り返した。

「心までふやけてしまう……。そう感じた時、私は思ったのです。ああ、これでは自分の使命すら忘れてしまう、と」

「自分の使命?」

 阪木さかき正一しょういちが聞き返すと、大神健助は苦笑いを浮かべながら、軽く誤魔化す。

「ああ、これは大袈裟な言い方になってしまいましたね。別に、何か具体的な想定があったわけではありません。でも、誰でも何かしら夢や目標を持っているのと同じように、皆それぞれ何らかの使命を持って生きているのではないでしょうか。この世に生を受けている者すべてが。それこそ私だけでなく、日尾木様も阪木様も。自覚しているかどうかは別として」

「大神さんの言っていることは……。まるで宗教家の説話のようですね」

「ハハハ……。宗教話に聞こえますか。確かに、大言壮語かもしれませんね」

 大神健助は、濡れた手をお湯から上げて、照れたように頭を搔く。

「そもそも私のような身分の者が――旅館の使用人風情が――、やれ使命だ何だと口にするのは、滑稽なのでしょう。でも、せめて心構えだけでも、こういう考えで生きていきたいと思うのですよ。ふやけて精神が堕落するよりは、独り身の方がいい、と」


 あの時、彼が語っていた『自分の使命』。彼の使命とは、おそらく『邪神城』の人々を殺すことだったのではないだろうか。

 そうした動機の詳しい部分も含めて、今まさに、大神健助が語り始めようとしていた。

「大奥様や杉原すぎはら様を殺したのも、赤羽夕子に化けていたのも、この私です。チャイナドレスのことを持ち出されたので、まずは、そちらから話しますが……」

 芝崎警部が手にしたままの偽物ドレスにチラッと目を向けてから、大神健助は話を続ける。

「男が女に化けるなんて、一見、難しそうに思われるかもしれません。ですが、そうでもありませんでした。遠目から姿を見せるだけでしたからね」

 大神健助の特徴は、目付きが悪いことだ。今思えば、うつむき加減でいることが多かったのも、それを恥じていたからというより、身体的な特徴があるのは変装の邪魔だと考えたのではないか。だから、なるべく他人に見せたくなかったのではないか。

 ただし、肖像画にも描かれていたように、赤羽夕子は、目にかぶさるほど前髪が長い女だった。だから赤羽夕子に化ける時には、かつらを深く被ることになり、ちょうど目元まで隠すことが出来たのだろう。

 とはいえ、いくら遠目から姿を見せるだけだとしても、昔のジュブナイル小説でもあるまいし、全くの他人に変装するなんてことが、それほど容易だとは思えない。ならば「大神健助だからこそ赤羽夕子に化けられたのだ」という理由が存在しているはず。そう俺は推測しており、一応、一つの仮説は立てているのだが……。

 その点、ちょうど今、彼自身が説明するところだった。

「……それに私は、赤羽夕子の孫ですからね。似ていて当然でした」

   

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