解決編

第二十四章「犯人はあなたです」

   

「今日も、昨日と同じくらいの時間に集まってください」

 芝崎しばざき警部の言葉は、午前中のうちに、それぞれに伝えられたらしい。

 そして、昼食後。

 また大食堂に、全員が集まった。

 今や三人となった蛇心へびごころ家の人々、美枝みえ雄太郎ゆうたろう安江やすえ。四人の使用人たち、つまり正田しょうだ茂平もへいとフミ、板橋いたばし卓也たくや大神おおがみ健助けんすけ。そして恋人の杉原すぎはら好恵よしえを亡くした宿泊客、阪木さかき正一しょういち

 彼らは皆、だいたい昨日と同じ席に座っている。もちろん珠美たまみさんは俺の隣だが、俺たち二人だけは少し違っており、あえて芝崎警部の近くに場所を取っていた。

 芝崎警部は、今日の集まりの趣旨を事前に説明していなかったはずだが、それでも何となく伝わるものなのだろう。その場の全員が、昨日以上に緊張しているように見えた。

「では皆さん、始めましょうか。日尾木ひびきさん、どうぞ」

 芝崎警部の言葉を受けて、俺はスッと立ち上がる。張りつめた空気の中、全員の顔を見回してから、口を開いた。

「私は今朝、第一の殺人で使われたトリックを理解しました」


 前置きもなく、いきなり本題に入る。ハッと息を飲む音が聞こえてきたが、構わず俺は続けた。

「朝食の席の出来事です。皆さんも見ていたでしょうから、覚えているかもしれません。うっかり私は間違えて、隣にあった妻の味噌汁を飲みかけました。もちろん、すぐに謝って、まだ手をつけていない自分の分と交換したのですが……」

 ここで俺は、右手を前に突き出して、指を二本立ててみせる。前にも似たようなことをしたな、と思いながら。

「……この『隣と間違える』及び『隣と交換する』という二点。これこそが、江美子えみこさんの事件で使われたトリックだったのです」

 言葉を区切って、あらためて人々の顔を見渡す。皆一様に「それだけでは意味がわからない」という顔をしている。

 俺は仰々しいポーズが少し気恥ずかしくなり、右手を下ろしてから、説明を続けた。

「犯人は、部屋を交換したのです。江美子さんの部屋と隣の部屋とを交換しておいて、隣の部屋を江美子さんの部屋だと思わせた……。つまり、間違えさせたのです」

 視界の隅で、芝崎警部が頷いているのが見えた。あらかじめ彼には全て話してあるので、話を理解できて当然だ。

 一方、同じく事前に説明を受けている珠美さんは、全く逆の態度を見せる。

一郎いちろうさん、それでは何のことだか、よくわかりませんわ。もう少し具体的に説明してくださいな」

 全て承知した上で彼女は、初めて聞く人間の立場で考えてくれているらしい。

 感謝の意味で珠美さんに微笑んでから、アドバイス通りに俺は、具体的な解説を試みる。

「あの時、大神さんが叩いていた部屋を207号室――江美子さんの部屋――だと私が認識したのは、扉に『207番』と刻まれたプレートがあったからです。その部屋が施錠されていることは、大神さんの言葉だけでなく、私も確認しました。でも、そこが本当に207号室だったのか、そこまでは確かめませんでした。つまり、実は隣の部屋――206号室あるいは208号室――だったという可能性です」

 そもそも、俺が蛇心江美子の死体発見に立ち会うことになったのは、三階と二階を間違えたからだ。間違えてしまうくらいに、三階と二階の構造が同じだったからだ。

 三階の俺たちの部屋の近くには、同じにしか見えない扉がズラリと廊下の端から端まで並んでいるわけだが、この状況は二階も同様。しかも、それぞれの客室は内部がいくつかの小部屋に区切られているほど広いため、部屋番号の記された扉と扉の距離は、かなり離れている。

 だから、以下のようなトリックが可能となるのだった。

「あらかじめ犯人は、『207番』のプレートを隣の部屋につけておいたのです。そのため私は、そこが207号室だとアッサリ騙されてしまったのです」

 つまり、あの時、俺がチェックした部屋の中には、実は誰もいなかったのだ。現在は使われていない部屋であり、だから鍵が掛かっていたのだ。

 それこそ赤羽あかばね夕子ゆうこの部屋を調べる際にも「404号室は例外的に施錠されていない」という話があったように、逆に原則として、未使用の部屋は固く閉ざされているというのは、俺も知っているはずの情報だった。

「そして私が合鍵を借りに行くため、その場から離れた隙に、犯人は部屋番号のプレートを元に戻したのでしょう。だから私が戻って来た時には、大神さんが立っていたのは、今度は本物の207号室になっていたのです」

 この説明こそ、身振り手振りが必要な場面だ。俺は両手を前に突き出して、右手で最初の部屋――偽の207号室――を、左手で真の207号室を示してみせた。しかし、それでも、まだ不十分だったらしい。

 ここで蛇心雄太郎が、蛇神様じゃしんさまとして一同を代表し、疑問を口にした。

「日尾木様、どうにもよくわかりません。何のために犯人は、そのように手の込んだ細工を施したのでしょうか。だって結局は、日尾木様が茂平から合鍵を預かってきて、それで部屋を開けたじゃないですか。つまり江美子おばさんの部屋も、実際に鍵が掛かっていたことになりますよね?」

 ああ、なるほど。そういう理解になったわけか。

「それに、日尾木様はおらずとも、その場にはずっと健助がいたはず。どうしたら犯人は、健助に気づかれることなく、そのような工作が出来たのか……」

 ある意味、そこがポイントだ。俺は大きく首を横に振りながら、慎重に説明する。

「いいえ、違います。本当の207号室には、実は鍵なんて掛かっておらず、犯人が鍵を開けるふりをしただけでした。全ては『207号室は施錠されていた』と思わせるためのトリックです。そして、こんなトリックを実行できるのは……」

 いったん言葉を区切って、俺は犯人に顔を向ける。それから、

「大神健助さん。あなたしかいません」

 と言って、彼を指差すのだった。


 大神健助をじっと見つめながら、俺はもう一度、あの夜のことを思い出してみる。

 彼は最初、部屋の扉をドンドン叩いていたが、俺が鍵を持って戻ってきた時には、もう叩くのをめていた。あの場では深く考えなかったが、ここに大きな意味があったのだ。

 まず、第一に。

 最初にドンドンと派手な音を立てていたのは、第三者を呼び寄せるため。結果的には俺になったのだが、密室トリックを成立させるために「207号室は施錠されていた」と証言してくれる者を、誰か一人、呼び寄せる必要があったのだ。

 しかも巧妙なことに、あの状況では、そうやってうるさく扉を叩いていても不自然ではなかった。何も知らない第三者には「室内の蛇心江美子を呼び出そうとしている」と見えるからだ。実際には、あの時点で既に彼女は死んでおり、犯人である大神健助は当然それを承知していたわけだが。

 続いて、第二に。

 俺が戻った時、彼が大人しくしていた理由。俺という証言者を確保した以上、それ以上あの場に人を呼び寄せる必要はなくなっていた。いや、むしろ逆に、もはや誰にも来て欲しくない状態だった。俺が鍵を取りに行っている間、彼は部屋番号のプレートを元に戻していたのだから。その交換作業を誰かに見られたら困るのだから。


 このトリックを成立させるには、他にも重要なポイントが二つあった。

 一つは、合鍵を取りに向かったのが、大神健助ではなく俺だったということ。あの場でも一瞬「なぜ客である俺に取りに行かせるのか」と思ってしまったように、ある意味、不自然な話だった。俺は勝手に「気まずいから」と自己完結したので彼には好都合だったが、もしも俺が行きたがらなかった場合、大神健助は、何とかして俺を言いくるめようとしたに違いない。

 もう一つのポイントは、俺ではなく彼が合鍵を使ったこと。もしも俺自身が鍵を扉に差し込めば、その時点で「本物の207号室は鍵なんて掛かっていなかった」と判明してしまう。それを避けるために、大神健助は、俺から鍵を受け取った。あの時、彼がスッと手を差し出してきたから、そのまま流れで俺は鍵を渡したわけだが、今になってみると「うまくやりやがったな!」と思ってしまう。


 今回のトリックは、あの場に出くわしたのが俺一人ではなく複数の場合には、実行不可能だったはず。あの時、大神健助の顔には不安の色が浮かんでおり、妙に口数も多かったが、それを俺は「夕方に赤羽夕子が目撃されたのを凶事の前触れと考えて、蛇心江美子の身に良くないことが起きたのではないかと心配している」と受け取ってしまった。そういう演技もあったのだろうが、むしろ「これ以上は誰も来ないでくれ」という気持ちの表れだったに違いない。

 また、プレートが違うことに俺が気づいたら――例えば両隣の部屋まで扉を見に行ったりしたら――、その場合も終了となる。だがその時は、自分も気が付かなかったと言い張るつもりだったのではないだろうか。密室殺人という状況は消えてしまうが、その段階であれば、まだ言い逃れも可能なのだから。

 誤魔化せないのは、プレート交換作業を見られた場合のみ。そう考えると、成立させるために条件が必要となってくるトリックではあるが、それほど危険なトリックだったわけでもなさそうだ。


 以上が、密室殺人の全貌となる。事件の翌日、杉原好恵が「現場の引き出しに入っていた鍵は、別の部屋の鍵」という推理を展開していたが、あれは惜しい考えだった。実際には、鍵が別だったのではなく、部屋自体が別だったのだ。

 そもそも彼女の推理の基盤になっていたのは、蛇心江美子が部屋を移りという事実。これだって、真相を知った上で見ると「惜しい!」と思うではないか。結果的に、部屋そのものが入れ、というトリックだったのだから。

 このように、彼女の着眼点は『別』とか『変わっていた』とかの点では正解だったからこそ、俺より早く謎を解き明かせたのだろう。その上、俺に真相を気づかせるヒントにもなってくれた。ただ味噌汁を間違えただけでは、俺は真実に至らなかったかもしれない……。


 こうやって俺が考えている間、大神健助は、いつもの目付きで、黙ってこちらを見つめていた。その腹の内は、表情からは読めないが……。

 フッと笑顔を浮かべたかと思うと、ゆっくりと口を開いた。

「日尾木様、さすがは小説家、面白い推理を堪能させていただきました。ですが、以前にも日尾木様は『これが小説ならば』という仮定で、やはり興味深い推理を述べておられましたね。ほら、日尾木様自身が犯人だ、という……」

 確かに、俺は以前に迷推理を披露した身。その点を指摘されると、返す言葉もない。

 しかし。

「それと同じで、今回も、単なる机上の空論なのでしょう? まさか私が犯人だなんて、聡明な日尾木様が信じておられるとは思えない。だいたい、証拠だって何もないでしょうし……」

 これに関しては、反論できる。

 だから俺は、首を横に振って、強く言い切った。

「いいえ。残念ながら、これが真相です。証拠もありますから」

   

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