第二十三章「そのとき俺は閃いた」
無口な男でも色々と声をかけたくなるくらいに、今の
いや、いつになく
俺も同じく温泉に
だが、恋人を亡くしたばかりの男を慰めようというのに、この主旨はどうかと思う。実際、阪木正一は素直に受け取ることが出来ず、露骨に表情を険しくしていた。
「じゃあ僕にも、
「いえいえ、阪木様。そのような意味ではございません。独り身のままでいいというのは、あくまでも私自身の体験談です」
慌てて一言、付け加えてから、ゆっくりと大神健助は説明する。
「このような話を私が始めたのは、阪木様の話を聞いていて、
「……え?」
間抜けな声が出てしまった。
急に話を振られても困るのだ。
おそらく大神健助としては、俺と
実際、俺たち二人は『幸せな夫婦』なんて単純なものではない。俺の魂が『日尾木
彼女は『邪神城』の人々に対して日尾木珠美と名乗っているが、戸籍上の本名は、
こうした状況を頭の中で振り返っている間、ただ俺は、返事に窮しているように見えたのかもしれない。俺が何も言わずとも、大神健助は話を先に進めていた。
「人を愛するということは、一緒にいて自分がどう感じるか、ではない。相手のことを深く理解することが大切であり、時には相手のために自分を犠牲にすることも必要になってくる。ですから、自分の居心地の良さを追求するのは、相手を愛することとは別物なわけです」
難しく言っているようだが、これは一般論だろう。
だから俺でも、同意を口にすることが出来た。
「まあ、そうでしょうねえ」
すると、大神健助は満足げに、
「ほら、日尾木様も、このように言っておられる」
と、再び阪木正一の方へ向き直り……。
「ですから、阪木様。間違った愛よりは独り身の方がマシ、ということになるのですが……。もちろん、一番良いのは真実の愛です。阪木様ならば、いつかは真実の愛に巡り会えると信じております。その時は心がふやけることもなく、しっかりと自分を保つことも出来るでしょうし、本当の幸せも得られるでしょうから……。どうか、それまでは、心を強く
不器用ながらも、彼は彼なりに、阪木正一を励まそうとするのだった。
見張りの警官のおかげだろうか。この夜は、特に何も事件は発生しなかった。
そして、翌朝。
やはり起床が遅いとみえて、警察の面々は、朝食には同席せず。だが今朝は、阪木正一も降りてきたので、六人での食事となった。
とはいえ、特に会話もない会食だ。
昨晩、珠美さんが「早く真相を突きとめて事件を終わらせるように」と言って、あらためて俺にプレッシャーを与えたように。
彼女が一緒に旅をしているのは、俺に名探偵の素質を見出したからだった。そう、前にも説明した『巡礼の旅』だ。「十人が亡くなった代わりに十人を救う」という、独特の『巡礼の旅』……。
正直なところ。
俺は元々の『日尾木一郎』ではないとはいえ、何とかなるだろうと甘くみていた。彼女と知り合った緋蒼村の事件においては、俺も俺なりの推理力を披露しているし、それとは別に、そもそも平成時代から来たという利点もあると思ったのだ。
いわゆる未来知識・前世知識だ。
しかし。
いざ自分がそうした境遇になってみると、漫画や小説の主人公のように、気軽にホイホイ以前の知識を活用なんて出来ないことに気づく。
例えば、今現在の連続殺人。昭和の時代に、ここ山陽地方で、連続殺人のニュースなんてあっただろうか?
確かに昔、小説のモデルにもなるような大量殺人事件が発生した、というのは聞いた覚えがある。だが、それは昭和といっても、この時代ではなく戦前だったはず。この『邪神城』の事件ではないのだ。
ならばネット検索で調べれば良い、というのが平成時代の人間の感覚だが、そもそも、まだインターネットが存在していない。いや、仮に構築され始めているとしても、少なくとも普及はしていないから、やはり使えない。この時代の人々が調べ物をする際は、百科事典を購入したり、図書館などで古い新聞を漁ったりするしかないのだ。
それに、未発達なのはインターネットだけに限らない。警察の科学捜査だって、平成と昭和では、レベルが大きく違うだろう。
例えば、元の世界で見た二時間ミステリードラマ。俺が大きくなってからのドラマには、プロの刑事たちの活躍を描くものが増えてきていた。それこそ鑑識チームを主役にしたドラマが
そう、いくらフィクションとはいえ、素人探偵の活躍が自然に思われるほど、この時代の科学捜査は遅れているのだ。だが、そんな証拠不十分な環境では、事件の謎を解くのも難しく……。
「一郎さん、それ、私のお椀でしょう?」
突然、珠美さんに呼びかけられて、俺は現実に引き戻される。
どうやら、考え事をしながら食べていたために、間違えて隣の味噌汁――珠美さんの分――に口をつけてしまったらしい。
「ああ、ごめんなさい。うっかりしていました」
そうだ。『間違えて』といえば……。
俺が蛇心
「では、珠美さん。こちらをどうぞ。まだ食べていないので」
口をつけてしまった味噌汁を自分の前に置き、代わりに、もともとの俺のお椀を彼女の方へ。
だが珠美さんは、
「あら、別に交換なんてしなくても……。だって夫婦でしょう? 今さら……」
と、少し拗ねたような声で言う。
確かに『夫婦』が間接キスなど気にするのは、不自然かもしれない。以前に珠美さんは、名前の呼び方が
そんな彼女を可愛いと思ってしまい、俺の口元に小さな笑みが浮かぶ。
しかし、同時に。
わかめと豆腐の浮かぶ味噌汁を見て、頭の中で、何かが閃きかけた。
お椀を交換しようとしていた、俺の手が止まる。
「一郎さん、どうしましたの?」
硬直した俺を見て、不思議そうな珠美さん。
いや、珠美さんだけではない。何しろ静かな朝食の席だったので、今の俺と珠美さんのやりとりは、この場の全員から注目されている。
いつもの俺ならば、気恥ずかしく感じるところだったが……。
この時は、なぜか気にならなかった。頭をフル回転させて、考えに集中していたからだ。
何だ? たった今、俺の頭に一瞬浮かんだのは、いったい何だったのだ?
蛇心江美子の事件に関する、何か重要なヒントではないだろうか……。
ああ、そうだ!
突然、生前の杉原好恵の言葉を思い出す。
と同時に、閃きの種は芽を出して、明確な形を成した。
「そうか、そういうトリックだったのか……」
この呟きは、隣に座る珠美さんにすら聞こえないほどの、小さな小さな声だったらしい。
「一郎さん、何か言いまして?」
再び尋ねる珠美さん。
「ああ、それは……」
と、答えかけたところで、一時中断。
テーブルの面々が向けてくる視線から逃げるようにして、俺は彼女の耳元に、唇を近づけた。
そして、彼女にしか聞こえない程度の声で告げる。
「ようやくわかりましたよ、珠美さん。犯人の使ったトリックが。そして、犯人の正体も」
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