第二十三章「そのとき俺は閃いた」

   

 無口な男でも色々と声をかけたくなるくらいに、今の阪木さかき正一しょういちは、慰めを必要としているようだった。

 いや、いつになく大神おおがみ健助けんすけの口数が多いのは、それだけではないのかもしれない。それこそ彼自身が「心までふやけてしまう」と口にしたように、温泉のお湯でほぐされて、精神的なガードが緩くなっているようにも思えた。

 俺も同じく温泉にかった状態なので、半分ボーッと聞いていたのだが……。結局、大神健助の結論としては「むしろ独り身の方がいい」という方向性らしい。

 だが、恋人を亡くしたばかりの男を慰めようというのに、この主旨はどうかと思う。実際、阪木正一は素直に受け取ることが出来ず、露骨に表情を険しくしていた。

「じゃあ僕にも、好恵よしえのことなど忘れて一人で生きろ、と言いたいのか?」

「いえいえ、阪木様。そのような意味ではございません。独り身のままでいいというのは、あくまでも私自身の体験談です」

 慌てて一言、付け加えてから、ゆっくりと大神健助は説明する。

「このような話を私が始めたのは、阪木様の話を聞いていて、あやういと感じたからです。杉原すぎはら様自身を愛していたというよりも、杉原様と共に過ごす時間の心地良さにひたっていただけのようにも聞こえてしまったのです。でも、それは愛とは違いますよね。日尾木ひびき様も、そう思いませんか?」


「……え?」

 間抜けな声が出てしまった。

 急に話を振られても困るのだ。

 おそらく大神健助としては、俺と珠美たまみさんのことを幸せな夫婦のモデルケースだとみなして、それで同意を求めてきたのだろうが……。

 実際、俺たち二人は『幸せな夫婦』なんて単純なものではない。俺の魂が『日尾木一郎いちろう』という男の肉体に入っている件を別にしても、そもそも『日尾木一郎』と珠美たまみさんの関係自体が、かなり複雑だった。

 彼女は『邪神城』の人々に対して日尾木珠美と名乗っているが、戸籍上の本名は、葉村はむら珠美。そして『日尾木一郎』も、理由わけあって彼自身の戸籍を失っており、珠美さんの亡夫である葉村の戸籍を借りている。ややこしいので、旅の間は『日尾木一郎』そのままを名乗っているが……。

 こうした状況を頭の中で振り返っている間、ただ俺は、返事に窮しているように見えたのかもしれない。俺が何も言わずとも、大神健助は話を先に進めていた。

「人を愛するということは、一緒にいて自分がどう感じるか、ではない。相手のことを深く理解することが大切であり、時には相手のために自分を犠牲にすることも必要になってくる。ですから、自分の居心地の良さを追求するのは、相手を愛することとは別物なわけです」

 難しく言っているようだが、これは一般論だろう。

 だから俺でも、同意を口にすることが出来た。

「まあ、そうでしょうねえ」

 すると、大神健助は満足げに、

「ほら、日尾木様も、このように言っておられる」

 と、再び阪木正一の方へ向き直り……。

「ですから、阪木様。間違った愛よりは独り身の方がマシ、ということになるのですが……。もちろん、一番良いのは真実の愛です。阪木様ならば、いつかは真実の愛に巡り会えると信じております。その時は心がふやけることもなく、しっかりと自分を保つことも出来るでしょうし、本当の幸せも得られるでしょうから……。どうか、それまでは、心を強くち続けてください」

 不器用ながらも、彼は彼なりに、阪木正一を励まそうとするのだった。


 見張りの警官のおかげだろうか。この夜は、特に何も事件は発生しなかった。

 そして、翌朝。

 やはり起床が遅いとみえて、警察の面々は、朝食には同席せず。だが今朝は、阪木正一も降りてきたので、六人での食事となった。

 とはいえ、特に会話もない会食だ。蛇心へびごころ美枝みえがギョロリと目を光らすまでもなく、誰も何も喋ろうとしない。こう静かだと、つい俺は、考え事をしてしまう……。


 昨晩、珠美さんが「早く真相を突きとめて事件を終わらせるように」と言って、あらためて俺にプレッシャーを与えたように。

 彼女が一緒に旅をしているのは、俺に名探偵の素質を見出したからだった。そう、前にも説明した『巡礼の旅』だ。「十人が亡くなった代わりに十人を救う」という、独特の『巡礼の旅』……。

 正直なところ。

 俺は元々の『日尾木一郎』ではないとはいえ、何とかなるだろうと甘くみていた。彼女と知り合った緋蒼村の事件においては、俺も俺なりの推理力を披露しているし、それとは別に、そもそも平成時代から来たという利点もあると思ったのだ。

 いわゆる未来知識・前世知識だ。

 しかし。

 いざ自分がそうした境遇になってみると、漫画や小説の主人公のように、気軽にホイホイ以前の知識を活用なんて出来ないことに気づく。

 例えば、今現在の連続殺人。昭和の時代に、ここ山陽地方で、連続殺人のニュースなんてあっただろうか?

 確かに昔、小説のモデルにもなるような大量殺人事件が発生した、というのは聞いた覚えがある。だが、それは昭和といっても、この時代ではなく戦前だったはず。この『邪神城』の事件ではないのだ。

 ならばネット検索で調べれば良い、というのが平成時代の人間の感覚だが、そもそも、まだインターネットが存在していない。いや、仮に構築され始めているとしても、少なくとも普及はしていないから、やはり使えない。この時代の人々が調べ物をする際は、百科事典を購入したり、図書館などで古い新聞を漁ったりするしかないのだ。

 それに、未発達なのはインターネットだけに限らない。警察の科学捜査だって、平成と昭和では、レベルが大きく違うだろう。

 例えば、元の世界で見た二時間ミステリードラマ。俺が大きくなってからのドラマには、プロの刑事たちの活躍を描くものが増えてきていた。それこそ鑑識チームを主役にしたドラマが流行はやったこともあったはず。一方、俺が子供の頃のドラマ――あるいは再放送のドラマ――では、素人探偵ものが多かった。

 そう、いくらフィクションとはいえ、素人探偵の活躍が自然に思われるほど、この時代の科学捜査は遅れているのだ。だが、そんな証拠不十分な環境では、事件の謎を解くのも難しく……。


「一郎さん、それ、私のお椀でしょう?」

 突然、珠美さんに呼びかけられて、俺は現実に引き戻される。

 どうやら、考え事をしながら食べていたために、間違えて隣の味噌汁――珠美さんの分――に口をつけてしまったらしい。

「ああ、ごめんなさい。うっかりしていました」

 そうだ。『間違えて』といえば……。

 俺が蛇心江美子えみこの死体発見に立ち会うことになったのも、他のことを考えていて、三階と二階を間違えたせいだった。些細な『うっかり』が何に繋がるのか、わかったものではない。注意しないと……。

「では、珠美さん。こちらをどうぞ。まだ食べていないので」

 口をつけてしまった味噌汁を自分の前に置き、代わりに、もともとの俺のお椀を彼女の方へ。

 だが珠美さんは、

「あら、別に交換なんてしなくても……。だって夫婦でしょう? 今さら……」

 と、少し拗ねたような声で言う。

 確かに『夫婦』が間接キスなど気にするのは、不自然かもしれない。以前に珠美さんは、名前の呼び方が余所余所よそよそしいと指摘したこともあったし、むしろ、他人行儀なのを嫌に思うのだろう。

 そんな彼女を可愛いと思ってしまい、俺の口元に小さな笑みが浮かぶ。

 しかし、同時に。

 わかめと豆腐の浮かぶ味噌汁を見て、頭の中で、何かが閃きかけた。

 お椀を交換しようとしていた、俺の手が止まる。

「一郎さん、どうしましたの?」

 硬直した俺を見て、不思議そうな珠美さん。

 いや、珠美さんだけではない。何しろ静かな朝食の席だったので、今の俺と珠美さんのやりとりは、この場の全員から注目されている。

 いつもの俺ならば、気恥ずかしく感じるところだったが……。

 この時は、なぜか気にならなかった。頭をフル回転させて、考えに集中していたからだ。


 何だ? たった今、俺の頭に一瞬浮かんだのは、いったい何だったのだ?

 蛇心江美子の事件に関する、何か重要なヒントではないだろうか……。

 ああ、そうだ!

 突然、生前の杉原好恵の言葉を思い出す。

 と同時に、閃きの種は芽を出して、明確な形を成した。

「そうか、そういうトリックだったのか……」

 この呟きは、隣に座る珠美さんにすら聞こえないほどの、小さな小さな声だったらしい。

「一郎さん、何か言いまして?」

 再び尋ねる珠美さん。

「ああ、それは……」

 と、答えかけたところで、一時中断。

 テーブルの面々が向けてくる視線から逃げるようにして、俺は彼女の耳元に、唇を近づけた。

 そして、彼女にしか聞こえない程度の声で告げる。

「ようやくわかりましたよ、珠美さん。犯人の使ったトリックが。そして、犯人の正体も」

   

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