第二十二章「男三人集まれば」

   

「これ以上もう事件が起こらないように、今晩からは見張りをつけさせてもらいます。皆さんが使用している各部屋に、私の部下が一人ずつ交替で立つことになりますが……。よろしいですな?」

 芝崎しばざき警部の通達を最後に、大食堂での集まりは解散となった。

 予想していたよりも早く終わったと感じたが、それは俺が宿泊客だからに過ぎない。旅館側の人間にとっては、そう単純な話ではなかったようだ。

 準備を始めるのが遅れたことで、夕食は、二時間くらい遅くなった。とはいえ、それでも料理そのものは相変わらず美味なのだから、そこは厨房を預かる板橋いたばし卓也たくやの手腕なのだろう。

 朝食や昼食とは違って、夕食の席には、阪木さかき正一しょういちも姿を見せていた。さらに警察の面々も同席したのだが、人数が増えても賑やかとはならない。この状況で会話が弾むわけもなく、重苦しい静寂に支配されたまま、夜の食事は終わった。


 夕食後。

 俺と珠美たまみさんが部屋に戻ると、早速、廊下に一人の警官が立っていた。

 食べ終わってすぐ、ここに駆けつけたのだろうか。あるいは、先ほどの夕食会には参加せず、後で誰かと交代して夜食をもらうのだろうか。

 どちらにせよ、大変な仕事だ。

「御苦労様です」

 軽く会釈してから、俺たち二人は部屋の中へ。

 戻って早々、珠美さんはリビングのソファーに沈み込み、

「ねえ、一郎いちろうさん。警察の方々が部屋の前に張り付いてくださる限り、しばらく事件は起こらないでしょうね」

 安心したような口調で告げる。

 警察の見張りを、信頼しきっているらしい。それほど警察があてになるとは思えないのだが、彼女を不安にさせるようなことを、あえて言う必要もあるまい。

「そうでしょうね。それに事件の後は、赤羽あかばね夕子ゆうこの姿も目撃されていませんし」

 俺の言葉に、珠美さんも頷く。

 もちろん、俺も珠美さんも、赤羽夕子の亡霊が『邪神城』の人々を殺して回っているなんて考えているわけではなく……。

「つまり一郎さんも、こう考えているのね。犯人は『赤羽夕子が目撃されるのは不吉の前兆』という迷信を利用しているのだ、と。私たちが目撃した赤羽夕子は犯人の変装なのだ、と」

 詳しく説明するまでもなく、俺の考えを理解してくれる珠美さん。

 二人の思考が重なることに、俺は妙な喜びを感じてしまうが、その気持ちは表に出さずに。

 一言で簡潔に、肯定を示す。

「そうです」


 そもそも。

 404号室――赤羽夕子の部屋――を探索した時点で、俺は想像していたのだ。赤いチャイナドレスは404号室の隠し通路にしまってあって、それを着て犯人が赤羽夕子に変装しているのではないか、と。

 残念ながら、あの隠し通路に変装道具はなかったが……。犯人が赤羽夕子に変装という点に関しては、まだ否定する材料は、出てきていないのだった。

「この事件を赤羽夕子の呪いだと思わせたいのであれば、犯人は次の犯行の前に、もう一度彼女の姿を見せるはずです。逆に言えば、それまでは何も起こらないでしょう」

「私も同じ考えだわ、一郎さん。好恵よしえさんの事件の前には『赤羽夕子』は現れなかったけど、あれは例外。これで全ての事件が終わったとは思えないし、ほとぼりが冷めるのを待って、犯人は再び動き出すのでしょう」

 警官の見張りに安心した様子を見せた珠美さんだが、それでも『終わった』とは思っていなかった。

 杉原すぎはら好恵が殺された理由が、阪木正一の言う通り「真相に気づいたので殺された」というのであれば、あれは偶発的な事件だったはず。

「そうですね。突然のイレギュラーだったからこそ、第二の事件の前には『赤羽夕子』の出現はなかった。当初の計画としては、おそらく別の被害者が想定されており……。ええ、そうです。珠美さんの言う通り、これは連続殺人だ」


 連続殺人。

 蛇心へびごころ江美子えみこが殺された理由に関して、これまで俺は、深く考えてこなかった。裕福な旧家での殺人事件と言えば、財産目当ての犯行……。そう漠然と感じていたのだが、よく考えてみると不自然な気がする。

 残った蛇心家の三人は、美枝みえ雄太郎ゆうたろう安江やすえも、金に困っているようには見えなかった。親族殺しという罪を犯すほど切迫しているとは、とても考えられないのだ。

 かといって、使用人たちはどうだ。蛇心家の人々が死んだら少しは遺産が手に入るのかもしれないが、わざわざそんなことをせずとも、現状で十分な給料をもらっているはず。むしろ『邪神城』がなくなったら職を失うことになり、逆に経済的には困りそうだ。

 そうやって考えていくと、蛇心江美子殺害の裏には、別の動機が隠されているように思えてくる。いずれにしても、蛇心家内部の問題だと思うが……。

「一郎さん、何か考え込んでいるようですわね」

 俺の表情を見て、珠美さんがクスリと笑う。

「でも、忘れないでくださいね。一郎さんは、以前にこの部屋で宣言したのですよ。『私が事件を未然に防いでみせましょう』と」

 ああ、この『邪神城』に来た夜のことだ。あの夜の会話は、俺も忘れていないのだが……。

 正直、痛いところを突かれた気分であり、それが顔に出てしまったらしい。

「あら、責め立てるつもりはありませんわ」

 とりなすような口調で、珠美さんが言葉を続ける。

「過ぎたことは仕方ないですから。問題は、この先です。犯人が大人しくしている今のうちに……。真相を突きとめて、この事件を終わらせてくださいね」


 話はそこで切り上げて、俺たちは一緒に、一階の大浴場へ向かう。

 もちろん男湯と女湯とに別れるので、一緒なのは入口まで。戻るのは俺が先になりそうなので、部屋の鍵は俺が持つことになった。

 風呂場へ入っていくと、先客が二人。今日は夕食が遅かったせいで、入浴時間が集中するのだろう。

 一人は、使用人の大神おおがみ健助けんすけ。洗い場でゴシゴシ体を洗っていた。もう一人は阪木正一で、ゆったり肩まで湯に浸かっている。

 軽く体を洗ってから、俺も湯船に入ると、阪木正一が話しかけてきた。半分、独り言のような口調で。

「好恵は……。僕にとって、唯一無二の存在だった。僕は元々、どちらかと言えば悲観的な人間だったのに、彼女と一緒にいると心配事も消えてしまい、自信を持って毎日を過ごすことが出来て……。ああ、本当に、ただただ幸せな毎日でした。あんな感覚、彼女と出会うまで味わったことがないどころか、存在自体、知らなかったくらいで……」

 心の中でモヤモヤしている想いを、淡々と吐き出していく阪木正一。

 誰かに聞いてもらいたいだけだろうが、話の切れ目で、相槌くらいは必要かもしれない。

「……本当に二人は、愛し合っていたのだね」

 と、俺は言葉を挟む。

 阪木正一と杉原好恵。今の俺――『日尾木ひびき一郎』となってしまった俺――から見れば年下だが、本来の俺にとっては、同年代の二人だ。ついつい友だち感覚で、彼の言うことに耳を傾けてしまう。

 そんな感じで、二人で話していると。

 ザブンという水音と共に、大神健助も湯船に入ってきた。旅館側の人間として宿泊客からは距離を置くのかと思いきや、俺たち二人の方へ近寄ってくる。

「阪木様。その『幸せな毎日』とか『あんな感覚』とか……。具体的に言ったら、ふわふわとした温かい感覚のことでしょうか?」

 体を洗いながら、阪木正一の話を聞いていたらしい。

 それにしても、「ふわふわとした」とか「温かい感覚」とか、ちっとも具体的ではないと思うのだが……。

 俺はツッコミを入れたいくらいだったが、当の阪木正一は、その言葉を素直に受け取っていた。

「うーん……。あえて言葉で表現するなら、そういうことになるのかな……。大神さんも、似たような経験があるのですか?」

「ええ、まあ。こう見えても、私だって大学時代は、女性とお付き合いしたことくらい、ありましたからね」

 苦笑する大神健助。

 いつもは目付きの悪い使用人というイメージの彼だが、今は風呂に浸かってリラックスしているせいか、そうした雰囲気も少しは緩和されていた。

 大神健助らしくないといえば、大学を出ているという経歴も、俺には意外だった。それこそ、イメージに合わない。

 この驚きは、顔に出てしまったらしい。大神健助がこちらを向いて、わざわざ説明する。

「若い頃に、蛇心家に拾われましてね。大学へも通わせていただきました。そこで学んだことを活かして、真っ当に就職するという道もありましたが……。それまで養っていただいた恩がありましたので、大学卒業後も、この蛇心家に奉公させてもらっています」

 そして顔の向きを戻して、再び阪木正一に語りかけた。

「しかし、阪木様。もしも阪木様のおっしゃる感覚が、私の思っているものと同じでしたら……。それは、本当の幸せとは少し違うのではないでしょうか」

 今の大神健助は、いつになく真剣な口調で話しているようだった。

 やはり、風呂は裸の付き合いだ。人間の意外な一面が見えてくるものなのだろう。

「いわば、ぬるま湯に浸かっているような状態です。そのうち、心までふやけてしまう」

 そう言って彼は、湯船の中でユラユラと手を動かしてみせるのだった。

   

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る