第二十一章「後悔して」

   

杉原すぎはらさんが殺されたのは、阪木さかきさんが死体を発見した直前である……。そういう前提で、事件を考えてみましょう」

 皆の注目を一身に集めて、俺は語り始めた。

「加えて、もしも犯人が当時一階にいるはずの人間だったとしたら……。犯行後、素早く一階に戻る必要が出てきますよね。しかしその場合、犯人はタイミング的に、大浴場から戻る阪木さんと階段の途中ですれ違うことになる。でも実際には、阪木さんは誰とも出会わなかった。したがって、一階で働いていた人々が犯人とは考えにくい」

 犯行時刻を限定するという前提で話を進めているが……。

 実はこれ、逆に杉原好恵よしえが夕食直後に殺された場合でも、成立する考察だと俺は考えていた。つまり、大浴場から戻る阪木正一しょういちと鉢合わせするか、あるいは向かうのに出くわすかの違いだけ。どちらにせよ、一階から犯行現場へ往復しようとしたら、途中で彼と顔をあわすことになっただろう。

 もちろん「絶対に」というわけではないので、かなり穴のある推理だと俺も自覚はしていたのだが……。

 俺が思った以上に、芝崎しばざき警部は不思議そうな表情を浮かべている。もしかすると、俺の説明が悪くて、うまく意図が伝わらなかったのだろうか。

 そう俺が考えたところで、蛇心へびごころ雄太郎ゆうたろうが口を挟んだ。

日尾木ひびき様……。残念ながら、その考えは成り立ちません。日尾木様の部屋は建物の正面側なので、知らなかったのも無理はないのですが……。大階段だけではないのです」

 冷笑にも見える苦笑いを浮かべて、彼は話を続ける。

「日尾木様の部屋とは逆に、建物の裏側、つまり崖側ですね。大階段以外に、左右に一つずつ、小階段があるのですよ。特にそのうちの片方は、阪木様や杉原様の部屋とも近い位置ですからね。犯人は、そちらを使って行き来したのでしょう。それならば、もしも一階から向かったとしても、阪木様とすれ違うことはありません」


 蛇心雄太郎は紙とペンを用意して、大雑把に『邪神城』館内の見取り図を書いてくれた。

 それを見て俺は、心の中で「あっ」と叫んでしまう。

 先ほど彼は「逆側だから知らなくても仕方ない」と言ってくれたが、それは気休めに過ぎない。大階段を使う以上、いつも、その『逆側』の長い廊下を歩いていたのだから……。

 実際、蛇心雄太郎が図に示した小階段の一つは、俺が気づいていてもおかしくない位置にあったのだ。

 つまり。

 最初に三階まで上がった時、俺自身が記録に書いておいた、廊下に関する記述。『かなり進むと突き当たりがあるようだが、そこに至るまでには、右側へ曲がる通路が一つあるだけ』と書いた、あの『右側へ曲がる通路』だ。小階段の一つは、その通路の奥の死角に――長い廊下からは見えない位置に――存在していたのだ。

 確かに、これまで何度か「この通路を行くと何があるのだろう?」と気になったこともあるが、だからといって、入ってみるほど『気になった』わけではなかった。もう少し好奇心が膨らめば、調べていただろうに……。

 いや、今さら悔やんでも仕方がない。そう考え直して、改めて見取り図に目を向ける。

 予想した通り、大階段を中央として、この『邪神城』は左右対称の構造となっていた。つまり、もう片方の小階段も、反対側の小通路の先に位置していたのだ。杉原好恵や阪木正一の部屋は、その小通路と大階段の間に存在している。

 これでは、二人の部屋から大食堂や大浴場へ行く際、小階段を使ったら遠回りとなる。つまり杉原好恵も阪木正一も使わない階段であり、犯人が使うには好都合だったのだ。


 完全に、俺の認識不足だった。恥ずかしいと思うもなく、芝崎警部が追い打ちをかけてくる。

「昨日の推理は、なかなか立派なものでしたが……。いやはや、今日は推理どころか、推理ですなあ。私としては、少しは期待していたのですがね。この事件の謎を解いてくれるのではないか、と」

 頬が火照るのが、自分でもわかった。穴があったら入りたいとは、こういう場合に使う言葉なのだろう。

 チラッと横を見れば、珠美さんが、慰めるような微笑みを浮かべている。しかも、俺の視線を深読みしたようで――助けを求めていると思ったようで――、優しく言葉を挟んできた。

「警部さんのおっしゃる『この事件の謎』というのは、二つの事件をまとめて、ということかしら? 好恵さんの事件だけならば『謎』というほどでもないでしょう? 鍵の掛かった部屋というわけではないですし」

「いやいや、そんなことはありませんよ。ある意味では、昨晩の事件の方が、一昨日の事件以上に不可解なのです」

 珠美さんの言葉を、真っ向から否定する芝崎警部。

「あら、どうして?」

江美子えみこさんの事件の方が、まだわかりやすいですな。何といっても彼女は、この『邪神城』の住人でしたから。捜査を進めていけば、そのうちに、殺された理由も判明するでしょう」

 さも簡単なことという口ぶりで柔らかく語る芝崎警部だったが、ここで、少し表情を硬くする。

「しかし杉原さんは違う。殺される二日前に『邪神城』へ来たばかりで、皆さんとは利害関係もない。また、特に皆さんから恨みを買うような行動もなかった。では何故、彼女は殺されたのです?」


 一瞬、その場に静寂が訪れた。今この段階で、彼の質問に答えられる者など、いるわけないのだから。

 そう俺は思ってしまうが、全くの大外れだった。蛇心美枝みえの堂々とした声が、大食堂に響き渡ったのだ。

「簡単な話ではないか。全ては、赤羽あかばね夕子ゆうこの呪いに決まっておる!」

「ほう? 杉原さんと赤羽夕子と、何か関係があると言いたいのですかな?」

 芝崎警部が興味深そうな声で尋ねると、

「当たり前じゃ。あの娘は、ここに泊まったではないか。そう、この『邪神城』に一歩でも足を踏み入れた者には全て、赤羽夕子の呪いが降りかかるのじゃ!」

 老婆はギョロリと目玉を動かして、その場の全員を見渡した。

 ああ、そうだ。これが彼女の主義主張なのだ。

 最初の夜も言っていたではないか、「『邪神城』に足を踏み入れた以上、おぬしらも既に、妖魔に目を付けられておるぞ。此度こたびの標的は、おぬしらやもしれぬ」と。

 今となっては、あれは予言だったようにも思える……。

 俺は少し感傷的な気分になってしまうが、

「ハハハ……。『一歩でも足を踏み入れた者には全て』というのであれば、事件の捜査をしている我々も対象になりますな。いくら何でも、そんなに大勢を呪い殺すことが出来ますかな?」

 警察の人間である芝崎警部が、老婆の雰囲気に臆することなく、彼女の言葉を笑い飛ばしてみせた。

 続けて彼は、真剣な目付きで、蛇心美枝に向かって鋭く言い放つ。

「それに、もはや『赤羽夕子の呪い』なんて存在しませんよ。彼女は不老不死の化け物ではなく、とっくの昔に亡くなった、ただの人間なのですから。あなただって御存知じゃないですか、半ばミイラのようになった白骨死体が昨日発見されたことくらい」

 しかし蛇心美枝は、大きく首を横に振った。

「おぬしの方こそ間違っておるわ。確かに赤羽夕子の肉体は滅びたやもしれぬ。しかし霊魂は今でも、この『邪神城』に漂っておるのじゃ。時には実体化して目撃されるほどの、強靭な霊魂として……。そして自らの墓を暴かれたことを知り、その首謀者に罰を下したのじゃ!」


 花瓶で人を殴り殺すなんて、幽霊の所業にしては、あまりにも俗物的で、似つかわしくない。その点、よっぽど指摘してやろうかと思ったが、俺が口を挟む必要もなかった。

「呪いなんかじゃない……」

 小さな呟きではあったが、誰の耳にもハッキリと聞こえたのだ。悲しみに満ちた、心からの声が。

 それは阪木正一だった。

 隅っこで背中を丸めて、うつむいていた彼は、ここで顔を上げる。そして今度は、大きな声で叫んだ。

「もう、そんな馬鹿なことを言うのはめてくれ!」

 続いて、堰を切ったかのように、言葉が溢れ出してきた。いったん口を開いたことで、胸の内に溜まっていたものが止まらなくなったのだろう。

「僕も昔は『赤羽夕子が犯人だ』とか『普通の人間とは違うから閉ざされた部屋にも出入り出来る』とか言っていたさ。でも好恵は、そんな僕の言葉を否定するかのように、合理的な解釈を立てようとしていた。この点は話が合わなかったし、赤羽夕子の死体を見つけて好恵が喜んでいた時も、僕は不機嫌な顔を見せてしまったくらいだ」

 在りし日の彼女の姿を思い出すのだろう。彼の目から涙が溢れ出し、頬に筋を引いた。だが拭おうともせず、阪木正一は話し続ける。

「でも、そうやって僕が協力的じゃなかったから、好恵は殺されてしまったんだ! そう、好恵は真相に気づいたんだ。でも僕が反対の立場だから、一言も相談できずに……。僕を風呂へ追いやって、わざわざ一人になって、犯人と対峙したんだ! その結果、犯人に殺されてしまったんだ!」

 彼の言葉は、だんだんと嗚咽混じりになっていった。

 そして。

「最初から僕が好恵の話を信じて、ずっと隣で見守っていたら……。こんな結果には、ならなかったんだ!」

 その言葉を最後に、阪木正一は顔を伏せ、号泣するのだった。

   

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