第十九章「第二の殺人」
俺たちなんて、ただの野次馬にしかならないだろう。
そう思いながらも、
行ってみると、
「ああ、
昨晩の俺と同じような心境に違いない。大神健助に置き去りにされて、殺されたばかりの蛇心
そう考えたところでふと気が付くと、いつのまにか大神健助がいなくなっていた。おそらく、まだ仕事があるのだろう。もしかすると、杉原好恵が殺されたことを、屋敷の者たちに知らせて回っているのかもしれない。
「俺たちが最後ではなく、逆に、真っ先に案内してくれたのか……」
「どうしたのです、
心の中で考えていたことが口に出てしまい、珠美さんの耳に入ったらしい。いつもと違って一人称が『俺』だったこともあり、少し気恥ずかしくなった俺は、
「ああ、いや、何でもないです。それよりも……」
彼女を誘導するかのように、視線を室内へ向けた。
あくまでも部屋へは立ち入らないまま、二人で入口から中を覗いてみる。
一目でわかるのは、リビングルームらしき区画の真ん中で、杉原好恵が倒れていること。うつぶせなので表情は見えないが、頭を鈍器で殴られて、後頭部が陥没しているようだった。
すぐ横には、血の付いた陶器が転がっていた。白地に青模様が美しく、本来は花瓶だったとみえて、中身の花や水が散乱している。凶器として用いられても割れなかったくらいだから、頑丈な高級品だったのだろう。だがリビングの素敵なインテリアも、こうなってしまうと台無しだった。
「警察にも連絡したので、まもなく来てくれると思います」
蛇心雄太郎が話しかけてきたので、俺たちは二人とも、部屋から彼へと視線を向け直した。
「ああ、もう連絡済みなのですね」
「はい。そもそも……」
俺の言葉に促されるようにして、蛇心雄太郎は、死体発見の顛末を説明し始める。
死体を発見したのは、
昨日も一昨日も、阪木正一と杉原好恵の二人は仲睦まじく、夕食後ずっと一緒の時間を過ごしていたのだが……。今日は、少し事情が違っていた。
「ごめんね、正一。少し一人にして。考えたいことがあるから」
と言われたので、彼は単身、一階の大浴場へ向かったのだという。
入浴で一時間ほど潰してから「そろそろいいかな」と、彼女の部屋に戻ったところ、ドアが大きく開いていた。中に入るまでもなく、廊下からでも、杉原好恵が死んでいるのは一目瞭然。
それでも彼は、万が一の可能性に一縷の望みを託して、部屋へと駆け込んだ。死体を抱きかかえた時点で、彼の心の中で杉原好恵の死が確定し、しばらくそのまま動けなかったらしい。
「それでは、ここは死体が発見された状態で保持されているのではなく、阪木さんが触ってしまっているのですね?」
重要な点だと思って、俺は聞き返して確認した。
「そうです。でも阪木様が手を触れたのは死体のみであり、しかも、なるべく元の体勢になるように寝かせた、と言っていました」
さらに蛇心雄太郎は補足する。
「もちろん、何も触らないのが一番だったのでしょうが……。阪木様の気持ちを思えば、その程度は仕方のない話でしょう。それに、きちんと阪木様は、私のところへ報告に来てくれましたからね」
いや、それと現場保持の件とは『それに』では繋がらないと思うのだが。
ともかく、話を聞いた蛇心雄太郎は驚きながらも、警察への連絡などを大神健助に任せて、ここへ来たらしい。
「警察が到着するまでの間、これ以上、誰も部屋に立ち入らないよう、見張っておくべきだと思いましたから」
死体の番人を――誰もが嫌がりそうな役割を――買って出たのが誇らしいのだろうか。彼の声には、少しだけ、それっぽい響きが含まれているように聞こえた。
一通りの説明は終わったと判断したようで、珠美さんが質問を挟む。
「彼は今、どうしていますの?」
「阪木様でしたら、自室へ戻られました。今は一人になりたいのでしょう」
確かに、そっとしておいた方が良い場面だろう。しかし……。
ふと俺は、左右の扉に目をやった。
阪木正一の部屋は――左右どちらなのかまでは聞いていないが――、杉原好恵の隣だったはず。壁ひとつ隔てた部屋で恋人の死体が放置されているという状況では、生々しくて、いっそう辛いのではないだろうか。
そんな俺の視線に気づいたらしく、
「言い忘れましたが、阪木様には、部屋を替わっていただきました。さすがに、ここの隣では嫌でしょうからね。今は、四階にいます。私と
と蛇心雄太郎が言うので、俺も少し安心する。
話がそこまで進んだところで、
「警察の方々を、お連れしました」
大神健助が戻ってきた。その言葉通りに、
芝崎警部と部下たちにとっては、今日は大変な一日になったといえるだろう。
まず、彼らが初めて『邪神城』へやって来たのは今朝のこと。そして、蛇心江美子が殺された事件について一通り調べてから、帰っていったのが昼頃だった。
しかし
「今日だけで三度目ですよ、この屋敷へ来るのは。もう我が家みたいなものですな」
到着して早々、芝崎警部は、冗談混じりで愚痴を漏らした。
「御苦労様です」
と声をかけてから、蛇心雄太郎が事情説明。
「ふむ。では、死体の位置が若干変更されている点を除けば、発見された状態のままなのですな?」
芝崎警部が念を押すので、俺たちは揃って頷いてみせた。
すると、
「わかりました。では、皆さん。これから現場を調べますので、私たちだけにしてもらえますかな?」
口では丁寧に、しかしシッシッという手付きで、彼は俺たちを追い返す。
さらに、蛇心雄太郎に対して、
「ああ、今晩は泊まっていきますよ。構わないですな? 人数は……」
と、宿泊する部下の詳細を告げた後。
「今夜は現場を調べるだけで、皆さんから話を聞くのは明日にします。他の方々にも『今晩はゆっくりお休み下さい』と伝えておいてください」
そう言って、部屋のドアを閉めてしまった。
そして、翌朝。
窓の外に目を向けると、よく晴れた清々しい空が広がっていた。しかし朝食のために階下へ降りると、そんな清々しさも吹き飛んでしまう。『邪神城』の中は、空気が濁っているように感じられたのだ。
この日は、きちんと朝食の準備は済んでおり、蛇心家の三人――
「おはようございます。お待たせしたようで、申し訳ない……」
すまなそうに言いながら、俺と珠美さんが大食堂へと入っていくと。
女将である蛇心安江が「気にする必要はございません」という表情で、挨拶を返してきた。
「日尾木様、おはようございます。阪木様は何も食べたくないそうです。あと警察の方々は、時間を遅らせて自分たちだけで、という話でした」
つまり、五人での朝食だ。二日前は八人で食べたことを思い出し、朝から少し、俺の気分が落ち込む。
「では、いただきましょう」
昨日、蛇心江美子殺害の捜査で、芝崎警部が全員を集めたのは午前中だった。今日も同じくらいの時間に招集されるのだとしたら、それまでは休めるだろう。
俺たち二人はそう考えて、朝食後、とりあえず部屋へ戻ることにする。
すると大階段を上る途中で、眠そうな一団とすれ違った。
「おや、もう朝食を済ませたのですか? 早いですな」
芝崎警部と、その部下たちだ。どうやら、昨晩は遅くまで犯行現場を調べていたようだ。朝食の時間をずらしたのも、俺たちに対する「警察の面々と一緒では、居心地が良くないだろう」という配慮ではなく、ただ単に遅くまで寝ていたいためだったらしい。
もちろん俺には、それを責める気持ちはなく、
「大変そうですね」
と、珠美さんも声をかけている。
当たり障りのない言葉をさらに少し、彼女と芝崎警部は交わしていたが……。最後だけは、重要な要件だった。
「ああ、日尾木さんたち。午前中は、のんびりと過ごしてもらって結構です。皆さんに集まってもらうのは昼食後にしますから。ただし、外出はしないでくださいよ」
そして芝崎警部たちの姿が見えなくなり、さらに俺たちが三階まで上がったところで、
「ねえ、一郎さん。昼食までの間、どうします?」
「どうと言われても……」
珠美さんに問われた俺は、足を止めずに、少し考え込んでしまう。
続いて、軽く苦笑しながら、無難な答えを口にしてみる。
「……そうですね。外出するなと言われた以上、警部の言葉通り、部屋でのんびり過ごすしかないでしょう」
「では、そうしましょうか。事件に関する話は、どうせ午後、全員が集まったところで色々と議論されるのでしょうから……。でしたら、二人で朝から血生臭い話をする必要もないですわね。本当に、ぼうっと過ごしましょうか」
微笑む珠美さんを見て、ふと俺は考えてしまう。俺の「のんびり過ごす」と彼女の「ぼうっと過ごす」は、はたして同じなのだろうか、と。
しかし、もちろん俺は、あえて何も言わないのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます