第十八章「あらためて考えてみる」

   

「あの優しい義彦よしひこおじさまが、そのような非道な振る舞いをするわけなかろう! 大嘘吐きの赤羽あかばね夕子ゆうこめ! おぬしらも、決して信じてはならぬぞ!」

 蛇心へびごころ美枝みえが、顔を真っ赤にして怒鳴る。

 それは夕食前のひとときだった。芝崎しばざき警部が俺たちを集めて、隠し通路で発見された手記の内容を、全て語って聞かせたのだ。

 正田しょうだ茂平もへいとフミの二人は来ておらず、板橋いたばし卓也たくやも料理中のため無理だったが、それ以外の全員が参加していた。すなわち、蛇心家の三人――美枝・雄太郎ゆうたろう好恵よしえ――と使用人の大神おおがみ健助けんすけ、宿泊客である阪木さかき正一しょういち杉原すぎはら好恵よしえの二人に、俺と珠美たまみさんだ。

「ふむ。しかし、今となっては、ここに書かれているのが本当なのか嘘なのか、もう確かめようがありませんな」

 老婆の剣幕にも恐れず、軽く受け流す芝崎警部。

 それを蛇心美枝が、きつく睨みつけたところで、

「御夕食の準備が整いました。大食堂までお越しくださいませ」

 と、正田フミが現れる。

 また今日も彼女は計ったようなタイミングで登場したな、と俺は思ってしまった。


 夕食後、部屋に戻って。

「ねえ、一郎いちろうさん。美枝さんを見ていると、失礼ですけど、何となく魔女を思い起こしません? いつも黒衣を纏っている上に、面相も口調もそれっぽくて……」

 ソファーに座り込んだ珠美さんが、面白いことを言い出した。

 まさに俺の感じ方と同じではないか。思わず苦笑しながら頷くと、

「ですが今日は、いつもと雰囲気が違いましたわ。内心で不穏な企てを謀るのが魔女だとしたら、あれほど怒りを露わにするのは、むしろ人間味が溢れているようで……」

「そうですね。私たちから見れば、赤羽夕子の事件なんて、昔々の伝説のようなもの。でも彼女にしてみれば、当事者ですからねえ。長い間ずっと恨み続けてきたならば、あの手記を信じられずに怒りが爆発したのも、当然の話なのでしょう」

「あの手記の内容、一郎さんは全て信じていますの?」

 珠美さんは、真剣なまなざしで俺の顔を覗き込みながら、質問してきた。

 赤羽夕子が書き記したものは……。どちらかといえば、これまで蛇心家の人々から聞かされてきた話よりも、信憑性が高いのではないだろうか。特に一家惨殺事件については、誰も関係者が生き残っていないのに――その目で見た者は一人もいないのに――「犯人は赤羽夕子だ!」と伝えられてきたのだから。

 しかし。

 少し考え込んでから、俺は慎重に答える。

「いいえ、全てではないですね。腑に落ちない点が、いくつかありますから」


 まず何よりも、赤羽夕子を除く全員が死んだという点。これは都合が良すぎて、不自然ではないか。蛇心義彦の死に関しては「あのひとが力尽きる前に返り討ちにしたのか、それとも、全員を殺した後で罪の意識にさいなまれて自殺したのか」という解釈が記されていたが……。

 相討ちなんて、かなりの偶然が重ならなければ成り立たない。かといって、手記に書かれていた蛇心義彦の人物像を考えると、とても罪の意識で自殺するような人間とは思えない。

 ならば彼を殺したのは、最後に生き残った人物。つまり、赤羽夕子としか考えられないのだ。

 そして、蛇心義彦を殺したくせにそれを隠しているのであれば、今度は「赤羽夕子の嘘は本当にそれだけなのか」という疑問も浮かんでくる。もしかすると、赤羽夕子が殺したのは蛇心義彦だけではなく、他の人々――彼が殺したとされる蛇心家の者たち――の中にも、彼女の手による被害者が含まれているのではないだろうか。

 そもそも、赤羽夕子が完全に無罪であるならば、隠れ続ける必要はない。堂々と出てきて、主張すれば良いのだ。

 いくら迫害されていたと言っても、犯人扱いされるかどうか、まだ決まっていない。だが、あの通路に閉じ込められたままでは、餓死することは100%確定だ。生き延びるためには、何が何でも、中から助けを呼ぶしかなかったのだ。

 それくらい、赤羽夕子にも理解できていたはず。それなのに、そうしなかったのは……。後ろめたい気持ちがあったから、つまり有罪だったからではないだろうか。

 また「どうせ、あのひとも亡くなってしまった世界です。もはや、生きていても仕方ありません」という記述。これも、俺は鵜呑みに出来なかった。彼女は結構、生に執着していたように思えるからだ。

 もはや生きる意味はないと本当に考えていたならば、最初に村人が屋敷に来た時点で、隠れる必要もなかったではないか。その時すでに『あのひと』が死んでいるのを目にした後なのだから……。


「一郎さんは、そのように考えたのですね……」

 俺の意見を聞き終わった珠美さんは、しみじみとした声で呟く。

「そうやって理屈付けてはいませんが、私も、何か違うという引っ掛かりは感じていました。おそらく一郎さんの言う通り、蛇心義彦を殺したのは赤羽夕子なのでしょうね」

 彼女が賛同してくれたので、俺は心の中でガッツポーズ。だが、これは少し早計だったらしい。

「でもね、それは『あのひと』の仇討ちだったのではないかしら。そのように、好意的に解釈してあげたいのです」

 という言葉を皮切りにして。

 珠美さんは、俺とは意見が重ならない部分について、語り始める。

「一郎さんは、赤羽夕子の『どうせ、あのひとも亡くなってしまった世界です。もはや、生きていても仕方ありません』という言葉も信じていないようですが、あれも私は、彼女の本心だと思いますの」

「でも、それならば、村人が屋敷に来たからといって隠れる必要はないはず……」

 先ほどの論点を再び述べ立てる俺に対して、珠美さんは、遮るかのように手を前に突き出して、さらに大きく首を振って否定する。

「その時は恐くなって、とっさに隠れてしまったのでしょう。その後しばらくの間も、まだ『生きたい』と思っていたのかもしれません。でもね、人の気持ちというものは、特に女心というものは、変わりやすいものですわ。暗い場所に長く身を置くうちに、彼女の心境も変わっていったのではないかしら。その終着点が『もはや、生きていても仕方ありません』ということなのでしょう」

 珠美さんに「女心というものは」と言われてしまうと、もう俺には、返す言葉はなかった。


 別に珠美さんは、俺を言い負かそうと思ったわけではないのだろう。黙ってしまった俺を見て、少し話題を変える。

「それにしても……。内側からのスイッチを押さなかったのは、幸運でしたわね」

「内側からのスイッチ?」

「そうです。『内側から出入口を開閉できるスイッチが、故障してしまいました』と、手記に書かれていたでしょう? 私たちの場合、出入口は開いたままにして、通路の内側でスイッチなんて探しませんでしたが……。もしも見つけていたら、誰かしらが押してしまったでしょうね」

「でも、珠美さん。壊れているのであれば、押したところで、何も反応しないのでは?」

「あら、そうとも限りませんわ。壊れ具合によっては『開けることは無理でも閉めることは出来る』という可能性もあるでしょう? その場合、私たちも閉じ込められて……。考えただけでも、ゾッとしますわ」

 そう言って珠美さんは、ブルッと体を震わせた。


 しかし。

 正直なところ、俺は彼女に賛同できなかった。

 珠美さんにも告げた通り、俺は「壊れている」イコール「何も反応しない」と受け取っている。珠美さんに違う可能性を提示されても、それは無理矢理な解釈であり、その可能性は限りなく低いと思えるのだ。

 その点を議論したところで、お互いに平行線になるだけだろう。先ほどの赤羽夕子の心境に関してもそうだが、今夜は、妙に意見が食い違うように感じる。こういう日に下手に会話を続けていると、些細なことを発端に、険悪な雰囲気になりかねない。

 俺はそう危惧したのだが、彼女は、まだ話し足りないような顔をしていた。そこで、会話を打ち切る代わりに、何か考えが一致しそうな話題を探してみる。

「ところで、珠美さん。手記の内容はともかくとして、死体が発見されたことで、一つハッキリしましたね。赤羽夕子は、不老不死の妖魔でも何でもない、普通の人間だった……」

「そのようですわね。私たちや好恵さんが推理したように、赤羽夕子目撃談の真相は、大きく分けて二つあったのでしょう」

 どうやら、この話題ならば、意見が食い違うこともなさそうだ。

 俺は頷いて、彼女の言うところの『二つあった』を、少し具体的に言い直す。

「最初のうちは『邪神城』内部に隠れていたから目撃された。いなくなった後は、迷信深い人々による見間違えに過ぎない……。ただ、私たちの推理で間違っていたのは、その『いなくなりかた』だけだったようです」

「そうね。逃亡したと思っていたのに、実は亡くなっていただなんて……」

 ここまでは、特に問題もない。それに、この調子で議論できるならば、面白い推理も導き出せそうだ。

 そう思って、俺は一歩、踏み込んでみる。

「でも、そうなると、新たな疑問が湧いてきますね。私たちが昨日の夕方に見た赤羽夕子の正体。あれは、いったい何だったのか」

「あら、それでしたら……」

 俺の問題提起に対して、珠美さんが悪戯っ子のような笑顔を浮かべる。

 彼女には、何か考えがあるのだろうか。コロンブスの卵のように、気づいてしまえば拍子抜けするようなアイデアが。

 俺はそう思ってしまったが、

「……好恵さんが、色々と考えているみたいですわ」

 彼女自身が答えを持っているのではなかった。それに、特に杉原好恵から何か聞かされているわけでもないという。

「ただ、あの子を見ていると、そんな気がするのですよ。また新しい推理を考えているような……。一郎さん、このままでは好恵さんに、名探偵のお株を奪われてしまうのではなくて?」

 クスクスと笑う珠美さん。

 杉原好恵が名推理を抱えている様子など、俺は全く気づかなかったが……。一般的に女性の方が観察眼は鋭いのだろうし、珠美さんの眼力を信じておこうと思う。

 とはいえ、完全に納得したわけではない。例えば、杉原好恵が解明したのが、赤羽夕子目撃に関する謎とは限らないではないか。もしかすると、蛇心江美子えみこ殺害における密室の謎の方かもしれない。


 そこまで考えた時だった。

 トントンと、ノックの音が聞こえてくる。

「あら、誰かしら……?」

「私が出ましょう」

 ドアを開くと、大神健助が立っていた。

 少し目付きが悪い彼は、それを恥じているかのように、下向き加減でいることが多い。だがこの時は顔を上げて、真っ直ぐ前を向いていた。ただし、顔色は良くない。いかにも「何か悪いことがありました」という感じだ。

 まさか……。

 嫌な想像をしてしまう俺に対して、大神健助は、端的に告げるのだった。

「杉原様が殺されました」

   

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