第十七章「手記」
大騒ぎになった。
もう警察の面々は帰ってしまった後だったが、急いで彼らを呼び戻すことに。
そして、
結局。
死体があった場所から少し進んだだけで、洞窟は行き止まりになっていた。突き当たりの手前で足下に穴が空いている箇所もあったが、人が通れるほどの大きさではない。落とし穴にもならないが、片脚が簡単に嵌るくらいの大きさはあったので、暗い中を歩くには注意が必要だっただろう。
ただし、この穴には利点もあった。穴の下には、水が流れていたのだ。近くの川へと流れ込む地下水脈の一つだったらしい。水面までかなりの深さがあるため、水を汲むのは無理だったはずだが、この水の流れを利用して、自然の水洗便所として使用することは出来ただろう。
他にも、よく探してみると、随所に小さな空気穴が空けられていた。あまり通路の空気が澱んでいなかったのは、これが理由であり、反対側の出口など存在しなかったのだ。これにより、隠し通路を使って――少なくともこの洞窟を通って――
だが、それでも。
この隠し通路の発見は、この事件を解決する上で、大きな意味があったに違いない。
隠れ住んでいた赤羽夕子が書き残したものであり、驚くべき内容が記されていた。
仮名遣いや文体などを現代風に手直しした上で、参考資料として、ここに全文掲載させてもらおう。
――――――――――――
内側から出入口を開閉できるスイッチが、故障してしまいました。そう何度も頻繁に使用するほど、頑丈には作られていなかったようです。
ああ! これをもちまして、わたくしは、この場所に閉じこめられてしまいました。すでに長い間、壁から
この村に嫁いで以来、わたくしは、周りの人々から「蛇心家の財産が目当てなのだろう」とか「
でも、違うのです。わたくしは、本当に、あのひとを心から愛していたのです。
あのひとに出会った頃、わたくしは、どうしようもない女でした。お腹の中には誰が父親かもわからぬ命を宿しており、日々の暮らしにも困っておりました。
あのひとは、そんなわたくしを更生させた上で「いっしょになろう」と言ってくださいました。そして、そこで初めて、あの人の身分を明かされたのです。だからわたくしは、蛇心家の財産のことなど、最初は一切知らなかったのです。
あのひとからは「ただし子供を連れて行くのは無理だ。そこまでは周りの者が許してくれないだろう」とも告げられました。お腹の子供と別れることは、女としては辛いことでしたが、子供が立派に育っていけるよう、あのひとは良い里親を見つけてくださり、十分な養育費まで提供してくださいました。
そのようにして、産まれたばかりの子供を、信頼できる方々に託してから、わたくしは蛇心家へ嫁いできたのです。先ほど申しましたように迫害も受けましたが、でも、あのひとと一つ屋根の下で暮らせることは、この上なく大きな喜びでした。
ただし、心のどこかで「このような幸せな日々がいつまでも続くわけがない」とも思っておりました。その心配は的中し、わずか半年で、全てが崩壊してしまったのです。
原因となったのは、あのひとの息子の一人、
一目見た時から好きになれない人物でしたが、まさか、あのような暴挙に出ようとは……。こともあろうに彼は、わたくしを凌辱しようとしたのです!
わたくしは確かに、あのひとと出会うまでは、いろいろと汚れた生き方をしてまいりました。でもあのひとと出会ってからは、他の男性に体を許したことはありません。それを義彦さんなどに汚されるわけにはいきませんから、わたくしは、必死に抵抗いたしました。
幸いなことに、わたくしの悲鳴を聞きつけて、あのひとが助けに来てくださり、最後の一線を守ることは出来ました。それでも、わたくしの姿は、非常に惨めなものとなっておりました。
しかも、義彦さんは「誘惑してきたのは、この女の方だ。俺は悪くない」と言い張り、全ての責任をわたくしに押しつけるのです。ああ、わたくしは、完全に被害者だというのに……!
周りの人々は皆、義彦さんの言葉を信じてしまいました。そんな中、あのひとだけは「夕子はそんな女ではない」と、わたくしを最後まで信じてくださいました。義彦さんの方に罰を与えようとしたのですが、かえってそれが、さらなる悲劇を招くことになったのでした。
あの大いなる悲劇の日、わたくしは、部屋で一人で休んでおりました。そこへ、大怪我をした状態で、あのひとが飛び込んできたのです。
「義彦は、この屋敷の全ての者を殺すつもりだ。お前は隠れていろ、私が何とかする」
罰せられることを恐れた義彦さんは、それより先に、あのひとを殺してしまおうと企てたのでした。しかも、その現場を見られたために、目撃者まで殺そうとして、刃物を手に屋敷中を走り回っているのだとか。それでは、さらに目撃者を増やすことになり、結果として、殺すべき人間も増やしてしまう……。
屋敷の人々の身も心配ですが、それよりも何よりも、あのひとです。義彦さんの本来の狙いは、あのひとなのですから。それに、わたくしを憎んでいるはずですから、当然のように、わたくしも殺しに来るでしょう。
あのひとも同じ考えだからこそ、「お前は隠れていろ、私が何とかする」と言ってくださったのです。続いて、わたくしも知らなかった秘密の通路を開いて、わたくしをその中に隠し、義彦さんとの対決に赴きました。
あのひとが戻ってくるまで、わたくしは、ここに隠れるしかありません。長い間、真っ暗な中、一人で待っておりました。でも、いつまで経っても、あのひとは迎えに来てくださいません。
わたくしは、とうとう我慢できなくなりました。通路から抜け出し、自分の部屋も出て、屋敷中を探し始めました。
屋敷は恐ろしいことになっており、いたるところに、死体が転がっていました。そうした中から、わたくしは、あのひとの死体を発見してしまいました……。
不思議なことに、義彦さんの死体までありました。あのひとが力尽きる前に返り討ちにしたのか、それとも、全員を殺した後で罪の意識にさいなまれて自殺したのか。詳しくはわかりませんが、とにかく、義彦さんも死んでいたのでした。
ああ、このわたくし以外、全ての者が死に絶えてしまった……。
茫然と立ちすくんでいると、はるか遠くから、人の声が聞こえてきました。村人が大勢、屋敷へ向かっているようでした。
わたくしのことを「蛇心家の財産が目当てなのだろう」とか「黒蛇の生まれ変わりなのだろう」とか言っていた者たちです。この状況を彼らが見たら、どう考えるだろうか。わたくしが屋敷の者たちを皆殺しにしたと思うのではないだろうか……。
そう考えてしまい、ぞっとしました。彼らに捕まるわけにはいきません。わたくしが何をどう弁解したところで、信じてもらえないでしょう。かといって、今から屋敷を出ても、彼らと鉢合わせするだけです。
一瞬の逡巡の後、わたくしは自分の部屋へと戻り、再び暗い通路の中へ閉じこもったのでした。
こうした経緯で、この場所での生活が始まりました。でも、ずっと閉じこもっているのも辛いので、時折、誰もいない頃を見計らって、この隠し通路から出てみました。のんびりと部屋で過ごすのは、特に窓辺から外の様子を眺めるのは、とても良い気分転換となりました。
ですが、あまり窓に近付くと、わたくしの姿を外から見られてしまいます。実際、それで人々が部屋まで調べに来たこともあるようです。幸い、わたくしが察して隠し通路に逃げ込む方が、実際に誰か来るよりも早かったので、なんとか見つからずに済みました。
また、人々が寝静まった深夜、隠し通路だけでなく部屋からも出て、食料を調達しに台所へ行くこともありました。その時は、誰かに見つかりやしないかと、一番びくびくしておりました。
そうした暮らしがしばらく続いた後、ある日、突然スイッチが壊れてしまいました。いくら押しても、入口が開かなくなったのです。
もしかしたら、部屋側のスイッチは壊れていなくて、そちら側からならば開くのかもしれません。しかし、わたくしの立場では、助けを求めることも出来ないでしょう。
今となっては、ここで死を待つだけですが……。いえ、大丈夫です。どうせ、あのひとも亡くなってしまった世界です。もはや、生きていても仕方ありません。
幸いなことに、暗いとはいえ、どこからか光が漏れてくるのでしょうか。長い間ここにいるうちに、多少は目も慣れてきて、こうして手記を書けるようになりました。
ああ、伝えるべきことは、もう全て書き残しました。これで、この手記も終わりです。
いつの日か、誰かがこれを見つけてくださるよう、願っております……。
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