第十六章「妖魔の隠れ家」

   

 昨日の夕方、赤羽あかばね夕子ゆうこの姿を目撃した時のことを、あらためて思い出す。

 外から見た404号室は、ちょうど円筒形に突出した部分に位置していたではないか。構造が平坦ではない分、他の部屋より壁が厚いという可能性は考えられるし、その厚みを利用して、壁の間に隠し通路を作りやすかったのかもしれない……。

 そんなことを考えながら、三人と一緒に、俺は階段を上っていった。


 四階まで来たのは初めてだが、廊下の様子は、三階や二階と同じだった。各部屋についても、大差はないらしい。入ってみると404号室も、305号室や207号室のように、いくつかの小部屋に仕切られていた。

 ただし。

「あら、絨毯まで赤いのね。チャイナドレスも赤かったし、赤羽夕子という人は、余程この色が好きだったのかしら」

 と、珠美たまみさんが呟いたように。

 床に敷かれている絨毯だけは独特だった。その鮮やかな赤色には、血の色を連想させる要素があって、俺は不気味に感じてしまう。

 部屋の電気は消えていたが、まだ明るい昼間なので、窓から差し込む陽の光だけで十分だった。


 俺たち四人の中で、阪木さかき正一しょういちだけは、抜け穴探しに乗り気ではなかったらしい。恋人である杉原すぎはら好恵よしえが言い出したことだから、仕方なしに付き合っている、という感じだった。

 それでも、赤羽夕子が――妖魔とも邪神とも呼ばれる存在が――出没する404号室なのだ。部屋そのものには興味があるとみえて、キョロキョロと忙しそうに、室内を眺め回していた。

 杉原好恵は、

「どこかが空洞になっているはずよね」

 そう言いながら壁や床をトントン叩いて、どんな音がするのか、耳を傾けている。また、撫でるように手を這わせているのは、秘密のスイッチのようなものを想定して、探しているのだろうか。

 部屋の入口付近から始めたので、少しずつ中へと、調査を進めていくつもりらしい。

 阪木正一も彼女と一緒になって、同じように調べているが、いい加減に適当な場所を叩いているだけに見えた。部屋には関心あっても隠し通過には興味がない、ということなのだろう。

「では、一郎いちろうさん。私たちは手分けして、奥の方から調べましょうか」

 珠美さんは、ベッドルームの奥にある衣装戸棚へ入っていく。ウォークインクローゼットというほどではないが、ただの作り付けの戸棚にしては、かなり大きくて広い。

「そうしましょう。じゃあ私は、向こうの方から……」

 俺は珠美さんの背中に声をかけて、バスルームへと向かうのだった。


 そうやって。

 しばらくの間、俺たちはそれぞれ、手の届く範囲内を探したが、怪しい場所は何も見つからなかった。

 杉原好恵は肩をすくめてみせるが、特に落胆した様子もなく、次の方針を口にする。

「今度は、天井ね」

 言われずとも、わかっていた。二階にあった蛇心へびごころ江美子えみこの部屋――犯行現場となった207号室――を調べた時も、同様だったからだ。それに備えて、一階で脚立も借りてきてあった。

 二つ用意していたので、女性二人が上がることになる。安定性の高い脚立だが、念のため男性二人が、下で押さえて支えるのだ。俺が珠美さんの方を、そして阪木正一が杉原好恵の方を。

 もちろん、壁の高い部分や天井を広く調べようと思ったら、頻繁に脚立を移動する必要があるし、その度に上の二人は、登ったり降りたりしなければならない。かなり大変な作業だったが、特に収穫はなかった。


 それでも杉原好恵は失望の色を見せずに、新たな指示を出す。

「じゃあ次は、家具の移動ね。まずは、本棚からやりましょうか」

 一時的に家具を退けて、覆われていた部分を調べる……。言葉にすると簡単だが、実際にやるのは大仕事だろう。蛇心江美子の部屋を探索した際には、家具移動は警察の面々に任せたのだが……。

 今回は、そうもいかない。俺と阪木正一の男二人で、力仕事を担当するしかない。

 そう頭では理解しながらも、俺は本棚の方へではなく、窓の方へと近づいていった。一種の現実逃避だったのかもしれない。学生が試験前日に勉強をしていると、いつのまにか部屋の掃除をしていた、みたいな。

 俺たちが見た赤羽夕子は、確か、この辺りに佇んでいたはず……。

 そう考えながら、実際に同じ場所に立ってみて、窓の外に目を向ける。

 まだ外は明るく、かなり遠くまで見渡せるが、ここからの景色には、特に興味深いものは見当たらない。四階と三階の違いこそあれ、俺たちの部屋と同じような場所に位置している以上、眺めもたいして変わらないのだ。

 ならばあの時、彼女は何を見ていたのか……?

 疑問を残したまま、部屋の中へ視線を戻すと。

 本棚を運ぶための下準備として、杉原好恵が中の本を取り出して、横に積んでいっていた。阪木正一も、少し彼女よりペースが落ちるものの、同じ作業をおこなっている。

 珠美さんは二人の横に立ち、じっと俺の方を見ていた。まるで「あなたは一体、そんなところで何をしているの? こちらへ来て手伝いなさい」と言わんばかりの目で。

 仕方なく俺も、彼らに合流しようと足を向けたのだが、ちょうどその時。

「何かしら、これ?」

 杉原好恵が声を上げる。


 近づいて覗き込めば、彼女が本を取り去った部分に、奇妙な存在が見てとれた。

 これがスチール製の本棚ならば、側板はあっても後ろ側の板がない場合も多いだろう。だが、この部屋の本棚は、当然そんな安物ではない。頑丈そうな立派な木材で作られており、前面にガラス戸があって、反対側には後ろ板がある。

 ところが今。その後ろ側の板には、腕が通せるくらいの穴が一つ、空いていたのだ。しかも穴の向こうに見える壁には――この部屋の壁のその部分には――、金属板がネジ留めされており、中央に何かのスイッチらしき突起があった。

「押してみて構わないよね?」

 喜び勇んだ声で、俺たちの顔色を窺ってから。

 満を持してという態度で、彼女はスイッチを入れる。

 すると。

 低く静かな、ゴーッという音と共に、部屋の床が震えだした。いや床の一部が動き出した、と表現するべきだろうか。床に固定されていたらしい本棚を載せたまま、ゆっくりと移動し始めたのだ。

 その動きに押される形で、真っ赤な絨毯が歪みながら捲れていくと、ぽっかりと暗い穴が顔を覗かせる。

「あったわね、やっぱり」

 杉原好恵が呟いた。


 彼女に言われて、阪木正一が懐中電灯を借りに行く。

 彼が戻って来るまでの間、試しにもう一度スイッチを押してみた。すると、再び低い音と共に床が移動し、元の位置へ。本棚に押されて捲れていた絨毯も、本棚が戻ることで自然と、最初の状態に戻っている。

「すっかり元通りになるのね」

 珠美さんの、感心したような声。

 確かに、穴が開いたことなど夢か幻だったように、すっかり覆い隠されていた。

「一回スイッチ押す度に、開いたり閉じたりするみたい」

 と言いながら、杉原好恵は何度もスイッチを押して、開け閉めを試している。

「ほら! うまくやれば、本を入れたままでも、スイッチ押せるわ!」

 すっかり彼女はコツをつかんだらしい。なるほど、実際に使う場合には、いちいち本を取り出すことはしなかったはず。

 そうこうしているうちに、阪木正一が戻ってきた。懐中電灯を二つ借りてきたようだ。片方を杉原好恵に渡し、もう片方は私に貸してくれた。俺と珠美さんの分、ということなのだろう。

 懐中電灯で照らしてみると、穴の中には石段があり、はるか下へと続いている。

「さあ、突入よ!」

 杉原好恵が入っていくのを、止める者はいなかった。中に何があるのか、俺たち全員が興味津々だったのだ。


 石段は、一人で通るのが精一杯という横幅しかなかった。彼女に続いて阪木正一が入り、次が珠美さんで、最後尾が俺という布陣になる。

 かなりくだったところで、ようやく石段は終了。感覚としては、降りた高さの方が建物の高さ以上だから、ここは『邪神城』の地下に違いない。

 今度は、人が二人くらいは並んで歩ける通路になっており、天井もかなりの高さがあった。足元はしっかりしているが、もちろん舗装されているわけではなく、硬い土。壁も天井も、同じく茶色の土が剥き出しになっている。

 十分な道幅なので、阪木正一は杉原好恵の横に並び、俺も珠美さんの隣へ。先ほどよりも固まった形だが、四人それぞれが何か考え込んでいるらしく、会話はなかった。ただ黙々と進んでいく。

 もしも空気がこもっているならば、嫌な臭いがしそうなものだが、それは全く感じなかった。それなりに風通しは良く、空気は流れているらしい。この洞窟は行き止まりではなく、きちんと反対側に別の出口があるということだ。

 つまり、隠し通路だ。予想していた通りに、犯行現場となった207号室に通じているのではないか……。

 そう期待してしまうが、しばらく歩くうちに、だんだんと臭気が立ち込めてきた。えたような、それでいてムッとするような、独特な匂い。

 これでは、とても出口に通じているとは考えられない。この先に、何か異物が横たわっているとしか思えない。

 そこまで俺が考えた時。

「きゃあっ!」

 杉原好恵の悲鳴が突然、暗い通路の中に反響する。

 よほど驚いたとみえて、彼女は懐中電灯を取り落としていた。

「いったい何が……」

 俺は敢えて声に出しながら、彼女が見たであろう辺りに、光を向ける。


 照らし出された先では、一人の女性が横たわっていた。

 もう何十年も昔に死んだのだろう。だが完全に白骨化しているわけではなく、ミイラのようにも感じられる死体だった。かろうじて残っている髪の長さと、いたんではいるが特徴的な衣装から、女性だと判別できる。

 かなりボロボロだったが、和装の着物でないことだけは確実な衣服。いわゆるチャイナドレスであり、くすんだ色ではあったが、おそらく元々は鮮やかな赤色だったのだろうと容易に推測できた。

 俺たちは、完全に言葉を失ってしまう。

 四人全員が理解していたのだ。赤羽夕子の死体を発見してしまった、ということを。

   

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