第九章「妖魔顕現」
この地を守る神様を祀っているのだから、かなりの規模なのだろうと予想していたのだが……。
実際のところは、拍子抜けするくらいに小さな神社だった。
鳥居を越えて、石畳の参道を進むと、ポツンと茶色の小屋。賽銭箱が置かれているので、一応これが、拝殿あるいは本殿なのだろう。辺りを見回しても、他にそれらしき建物は見当たらない。
いや正確には、奥の方にも一つ、木々の間に隠れるようにして、
最初の鳥居の手前に『白蛇神社』と書かれた石柱はあるものの、『
「案外、こんなものなのね」
その後。
山道を歩く間は、
本当の俺は平成の大学生なのだから、その意味では、興味深い話だったのかもしれない。いくつかは「昭和も平成も、大学そのものは、意外と変わらないのだな」と感じる点もあったが、迂闊に会話に参加するとボロが出そうだから、なるべく聞き流すようにするしかなかった。
そうやって歩くうちに、すっかり夕方となる。ようやく『邪神城』が見えてきた頃には、美しい夕焼け空が広がっていた。
その空の色に誘われたのだろうか。
突然話題を変えて、杉原好恵が質問してきた。
「あの赤羽夕子の目撃談。あれって、どんな裏があると思う? 幽霊じゃないなら、きちんとした説明が出来るはずよね?」
前よりも具体的な聞き方になっているが、午前中に「昨日の話をどう思った?」と尋ねてきた時も、こういう話をしたかったのではないだろうか。
そう思いながらも、俺は珠美さんと顔を見合わせて、珠美さんに任せることにした。
「さあ、どうでしょうねえ。私には難しくて、わかりませんわ」
珠美さんは、わざと曖昧にはぐらかす。
実のところ。
俺たちも昨晩二人で、いくつかの可能性を話し合っている。
俺なんて、赤羽夕子について考えながら眠ったせいで、彼女が夢に出てきたほどだ。
人々が寝静まった深夜、肖像画の中に棲む亡霊が、絵から抜け出して宿泊客を襲う……。そんな陳腐な、B級ホラー映画のようなストーリーであり、現実的な考察には全く役に立たない内容だった。
ちなみに、そんな夢を見たなんて、珠美さんには一切告げていない。少し恥ずかしいのもあるが、それだけではなく「ひょっとしたら、元の時代の経験――ゲームとか映画とか――が、夢に影響しているかもしれない」と心配したからだ。
夢のことなど追い払うかのように、頭を軽く左右に振っていると……。
いつのまにか杉原好恵が、俺に視線を向けていた。今の首振りを不思議に思ったのか、あるいは、珠美さんに続いて俺の回答を聞きたかったのか。
どちらにせよ、俺も珠美さんに倣って、適当に誤魔化すことにした。
「それで杉原さんは、何か仮説でもあるのですか?」
質問に質問で返す形だ。本気で尋ねている相手には失礼になりかねないが、今回は、これで正解だったようだ。
別に答えを求めていたわけではないとみえて、彼女は自説を披露し始めた。
「私が思うに……。赤羽夕子は事件の後、すぐに逃げ出したんじゃなくて、しばらくの間『邪神城』に隠れてたんじゃないかしら」
逃亡したと思われていた赤羽夕子だが、実は自室に
ただし、いつまでも部屋に引きこもっていたわけではない。適当なタイミングで、おそらく夜の闇に紛れて、こっそり『邪神城』から抜け出したに違いない。
「……というのが、私の仮説なんだけど。どうかしら、この考え方は?」
自信があるのだろう。杉原好恵の顔には、得意げな色が浮かんでいた。
なるほど、悪くない。
彼女の推測は、俺と珠美さんが二人で考えたものと、ほぼ同じだったのだ。
付け加えるならば、赤羽夕子の恨みがましい声が聞こえた、という点。
もちろん、ならば『姿』の方は何なのか、という疑問が残るが……。
「でも『邪神城』を捜索した後でも、人々は相変わらず、赤羽夕子の姿を見ているのでしょう? そこのところ、どうなっているのかしら?」
ちょうど、その点を問題提示する珠美さん。
思わず俺は、心の中で笑ってしまった。タイミング的に、俺が思い浮かべたのと重なったわけだが、それだけではない。
この『疑問』、俺と珠美さんの間では、一応もう解決済みなのだ。とっくに納得のいく仮説を立てておきながら、そしらぬ顔で質問している……。そんな珠美さんを見るのは、なかなか面白かった。
「ああ、それね。単なる見間違い、つまり目の錯覚だと思うわ。当時の村人たちなんて現代人よりも迷信深いだろうし、そもそも『赤羽夕子がいる』って思い込んでたから、全く違うものでも赤羽夕子に見えてしまったのよ。ほら、よく言うじゃない。『幽霊の正体見たり枯れ尾花』って」
「仮に、百歩譲って、世間に溢れる幽霊譚のいくつかが『枯れ尾花』だとしても……」
渋々とした口調と表情で、阪木正一が口を挟む。おそらく彼にしてみれば、本当は『幽霊の正体見たり枯れ尾花』とは認めたくないのだろう。
「……赤羽夕子のケースには、当てはまらないと思うなあ」
「あれ、どうして?」
「だって考えてごらんよ、好恵ちゃん。村人たちの証言では、問題の幽霊は、血のように真っ赤なチャイナドレスを着ていたという話じゃないか。一般的に幽霊のイメージが白いフワフワなのは、白い布なんかと見間違えるからだろうけど、じゃあ何を見間違えたら『血のように真っ赤なチャイナドレス』になるのかな?」
阪木正一は、彼なりの根拠を持ち出したつもりなのだろう。
しかし、この意見に対して、
「こうして歩くうちに、思いついたんだけど……」
杉原好恵は、今日一番とも言えるくらいの、満面の笑みを浮かべる。
「……その『赤』がポイントなのよ。ほら、今くらいの時間ならば、夕陽が窓ガラスを赤く染めるでしょう? 赤いガラス越しだったから、部屋の中の物が『血のように真っ赤なチャイナドレス』に見えたのよ」
そう説明しながら、彼女は『邪神城』を指差した。
この時すでに、俺たちは門を通り抜けて、旅館の敷地内を歩いていた。周りは緑が生い茂っているが、それでも木々の間から見える『邪神城』の窓は、その多くが夕陽の赤に彩られていた。
もちろん、全ての窓というわけではない。ならば、赤羽夕子の部屋がどこにあるのか、そこがポイントになる。正確な部屋の位置や、彼女の姿が目撃された時間帯など、蛇心家の人々に確認するべきだろう。
そう俺が考えた時。
突然、珠美さんが立ち止まった。
「珠美さん、どうしました?」
俺も足を止めて、彼女の顔を覗き込むと。
珠美さんは「信じられない」とでも言いたそうな表情で、四階の一室を指差していた。
「
ちょうど、俺たちの部屋の斜上。円筒形に突出した構造部分に存在する部屋だ。
角度の問題だろう。その部屋の窓は、たいして赤く染まっていなかった。にもかかわらず、窓ガラス越しにハッキリと、赤いチャイナドレス姿の人影が見えたのだ。
赤い人影は、最初、窓の近くに立っていたのだが……。まるで俺たちの視線に気づいたかのように、クルリと背を向けて、部屋の奥へと引っ込んでしまう。
俺たちの場所からでは、細かい様子まではわからない。それでもチャイナドレス姿の体つきは、老婆のものとは思えなかったし、赤い髪だって、肖像画に描かれていた通りの
間違っても、幽霊や亡霊のようなボンヤリとした存在ではなかったのだ。
「なるほど。これならば、妖魔とか邪神とか言われるわけだ……」
心の底からそう感じて、俺は言葉に出してしまうのだった。
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