第四章「城の構造」

   

 俺たちは、大広間の奥にある大階段を上っていった。途中で何度か、蛇心へびごころ安江やすえが振り返りながら、諸注意を述べ立てる。

「お食事は、一階の大食堂でお召し上がりください。また大浴場も、同じく一階にございます。もちろん、それぞれのお部屋にも浴室は備え付けてありますので、そちらを御利用いただいても結構です。なお、お部屋の鍵を紛失なさった場合は、合鍵を管理している小部屋がございますので、そちらまで御足労いただきますようお願いします。場所は大広間の隣となっております」

 口頭で一気にまくし立てられても、頭に入ってこないのだが……。とりあえず一般的な注意事項のようなので、半ば聞き流しても大丈夫だろう。要するに、何でも一階にある、ということだ。

「皆様のお部屋は、三階にございます。阪木さかき様と杉原すぎはら様のお部屋は、隣同士の部屋を御用意させていただきました。日尾木ひびき様は御夫妻ですので、二人用のお部屋です。阪木様や杉原様のお部屋とは、かなり離れておりますので、御安心を」

 そうやって色々と話しながら、三階まで来たところで蛇心安江は、

「フミさん、健助けんすけさん。阪木様と杉原様をお願いしますね」

 と、女中と使用人の二人に、阪木正一しょういちと杉原好恵よしえを任せた。大神おおがみ健助が彼らの荷物を運んでいることを考えれば、妥当な選択だろうか。


 階段に面した長い廊下を、四人は階段口から左へと進んでいく。

 その後ろ姿を見送った後。

 蛇心安江は四人に背を向けて、

「日尾木御夫妻は、こちらです」

 右へと進み始めた。

 つまり、彼らとは正反対の方向だ。なるほど、部屋は大きく離れている、という説明の通りだ。

「さあ、行きましょう、一郎いちろうさん」

 蛇心安江に先導されて、というより、珠美たまみさんに促される形で、俺も歩き始めた。

「なんだか壮観な景色だわ。本当に大きなお城なのね」

 と、珠美さんが嘆息したように。

 信じられないくらいに、とても長い廊下だった。かなり進むと突き当たりがあるようだが、そこに至るまでには、右側へ曲がる通路が一つあるだけのようだ。

 歩きながら左右に目を配ると、同じような扉がズラリと並んでいる。全て客室なのだろう。

「この白蛇旅館はくじゃりょかんは確かに、外から見ても中から見ても、お城に思われるかもしれませんね」

 クスリと笑う、蛇心安江。それから彼女は、ひたすら廊下を直進しながら、また事務的な説明を始める。

「日尾木御夫妻のお部屋は、305号室です。この廊下を突き当たりまで進み、そこで左に曲がったら、あとは道なりです。もしもわからなくなったら、扉に書かれた部屋番号を見ながら進んでください」

 彼女の言葉通り、廊下に面した全ての扉に、部屋番号の刻み込まれた金属プレートが付けてあった。

「あの雨の中、山をくだって来たと聞きましたわ。大変だったでしょう?」

「ええ、そうなのですよ。急に降ってきたから、私たちも困ってしまって……」

 必要な説明は終わったらしく、蛇心安江が世間話を始めた。いくらか声もやわらかくなったように感じるのは、俺の気のせいだろうか。客に対する女将というより、女友達との気さくな会話のような雰囲気だ。

 とりあえず彼女の対応は珠美さんに任せて、あらためて俺は、左右に目を向けていた。廊下の両側に並んだ部屋の扉を眺めると、左側の部屋には330番台の数字が、右側には340番台の数字が刻まれている。

 しばらく歩いたところで、長い廊下は一度、終わりを迎えた。それ以上は直進できずT字路のようになっている。つまり、右と左に分岐していたのだ。

「ここが、先ほどの話にあった『突き当たり』ですね」

「はい、そうです」

 俺の確認に、蛇心安江が頷く。

 説明された通り、そこで俺たちは左へ曲がった。


 曲がった途端、廊下の雰囲気が変わる。

 今までとは違って、右側の壁に、いくつか窓があるのだ。この壁の向こう側は、もう外なのだろう。

 逆に、左の壁には何もない。壁越しには部屋があるはずだが、この向きに扉は設置されておらず、従って目印となるような部屋番号も一切用意されていなかった。

 しかし、迷うことはない。二部屋分くらい進んだだけで、廊下は一方的に左へと曲がる構造になっていた。あくまでも『一方的に』であり、分かれ道は存在しない。T字路でもなく十字路でもなくL字型の通路だった、と表現すれば良いのだろうか。

「道なりということは……」

「はい、こちらです」

 一応、確認する。思った通り、俺たちは、このL字型のポイントで『道なりに』左へ曲がった。

 すると、再び『壮観な景色』が視界に入ってきた。この建物の端から端まで続いている廊下のようで、途中で曲がる小道の分岐もない。長い長い一直線の廊下であり、最初に歩き始めた時に見えたものより、はるかに長々としていた。


 いったん頭の中で、建物の構造配置を思い描いてみる。

 大階段が屋敷の中央に位置していたと仮定するならば、階段に面した位置から見える廊下の長さは、建物の横幅のちょうど半分。今度の廊下は、その最初の廊下とは平行に位置しており、ただし長さは二倍、つまり屋敷の横幅と一致することになる。

 外からでは気づかなかったが、この『邪神城』という建物は、正面から見て横方向に長い構造となっているのだろう。


 そこまで頭を整理した上で、あらためて、実際に視界に入ってくる情報に意識を集中する。

 長い長い廊下には、ただただ、部屋の扉だけが並んでいた。室内の構造は違うかもしれないが、ここから見える扉は、金属板の数字以外、全く同じに思えた。

 金属製のプレートによれば、今の位置で右手に見えるのが301号室、左手の部屋は316号室。左右の部屋に目を配りながら、少し歩くと『305番』と書かれた部屋に辿り着いた。

 俺と珠美さんに割り当てられた客室だ。

「こちらです。どうぞ、ごゆっくり」

 あたたかい笑顔を浮かべながら、蛇心安江は、珠美さんに鍵を手渡す。そして俺たちの入室を見届けることもなく、さっさと戻っていくのだった。


 中に入ると305号室は、いくつかの部屋に分かれていた。

 入ってすぐのところに浴室と洗面所があり、その先に、リビングルームとベッドルーム。どちらも高級そうな絨毯が敷き詰められており、ベッドルームには、大きめの立派なベッドが二つ設置されていた。リビングルームに置かれたソファーやテーブルといった調度品も、特別豪華なわけではないが、一階の大広間よりも趣味が良い感じに思えた。

 いや、もちろん俺には審美眼なんてないだろうが、一目見た珠美さんが――地方の名家の生まれである彼女が――、

「……いいひとの部屋だったのね」

 と呟いたくらいだ。ほぼ間違いないだろう。

 そして、今の珠美さんの一言で、あらためて俺も気づいたのだが……。

 まだ建物のいわれを聞いていないので断言は出来ないものの、元々『邪神城』が旅館だったとは思えない。ならば、この部屋だって、かつては私室の一つだったのではないだろうか。そこまで珠美さんは一瞬で思い至り、元の持ち主に想いを馳せて、今の言葉が口に出たようだ。

「ふうっ」

 そのまま珠美さんは、溜息をつきながら、ソファーに沈み込んでいく。

 雨の中の山歩きで、思った以上に疲れたのだろうか。ならば、一人で休ませておこう。

 そう考えた俺は、彼女には声もかけずに、黙って窓から景色を眺めることにした。

 この部屋の窓は出窓構造になっており、洒落た造りをしている。しかし窓からの景色は、かなり期待外れだった。

 暗くて見えにくかったのもあるが、ポイントはそこではない。雷の中で見えた『邪神城』は、崖の上に建っており、崖下には大きな川が流れていた。だから『邪神城』からならば、それらが目に入ると思っていたのだが……。

 現実に見えたのは、崖側の風景ではなかった。敷地内の庭園や、俺たちが入って来た門などが見えるだけ。

 この部屋は、最初の大広間の真上に位置するらしい。確かに、ここまで歩いてきた向きなどを頭の中で整理し直してみると、そういう位置関係になるのだろう。


 そうやって考えていると、珠美さんが声をかけてきた。

「結局『邪神城』の名前の由来って、聞けずじまいでしたわね」

 座り込んで一息ついたことで、少しは疲れも取れたのかもしれない。そういえば、この部屋に入った時より、若干表情が明るくなったような気がする。

「そうですね、珠美さん。あの話、聞きたかったですか?」

「……どうかしら。そこまで強い興味もないけれど、でも『明治時代末期に起こった惨劇にちなんで』というのは、少し気になりません?」

 言われてみれば。

 杉原好恵の見せてくれたガイドブックには、そんな言葉も記されていた。

 明治時代末期に起こった惨劇。

 それは一体、どういうものだったのか……。

 頭の中で、嫌な感じの想像が渦を巻き始めたタイミングで。

「失礼します」

 ドアをノックする音が聞こえてきた。俺が出てみると、女中の正田しょうだフミだった。

「夕食の準備をしている間、大広間でお話でも、いかがでしょうか。今から大奥様が、この『邪神城』の名前の由来について、阪木様や杉原様に説明なさるようです」

 彼女の言う大奥様とは、蛇心安江の母である江美子えみこのことだそうだ。

 正田フミの説明によれば、部屋まで案内する途中でも、阪木正一と杉原好恵は『邪神城』の由縁を聞きたがった。だが、そういう話は蛇心家の者の口から語ることになっており、

「私から申し上げることは出来ませんので……。のちほど、奥様か大奥様か御隠居様に説明していただきましょう」

 ということで、早速その機会が訪れたのだった。

「どうします、珠美さん。私たちは遠慮して、部屋で休んでいましょうか?」

「いいえ、私たちも行きましょう」

 むしろ乗り気な珠美さんは、すでにソファーから立ち上がっていた。

 彼女の様子を見て、俺も考え直す。

 もう少ししたら、どうせ夕食のために一階まで降りなければならない。そのついでだと思えば、ちょうど良いではないか。

 そんなわけで。

 俺は部屋に鍵を掛けて、珠美さんと一緒に、大広間へと向かうのだった。

   

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