第三章「肖像画の中の女」
敷地の門をくぐり抜けて、ワゴン車はさらに走り続ける。
大袈裟に言えば大森林のような、木々の緑にあふれる庭園が広がっていた。しばらく進んでから、車は建物の前に横づけされる。
「さあ、着きましたよ」
俺たちに続くようにして、
先ほどの蛇心雄太郎の話によれば、彼の祖先は、村を救った英雄だ。神様からの褒美は名前だけだったとしても、村人たちからは色々と寄贈されたに違いない。村一番の有力者となり、その子孫も代々、食うには困らぬ身分となっていったのだろう。
そうして蓄積された、あり余るほどの財産。それによって建てられたのが、この『邪神城』なのだと思う。間近で見ると、まるで大きな壁のようだった。人が住むための城――居城――というより、要塞城壁をイメージしてしまう。
珠美さんの実家だって、彼女の村では一番の大屋敷だったのだが……。この『邪神城』は、それよりも桁違いに大きかった。
どれほどの費用をかけて建造されたか知らないが、それでも、蛇心家の財産を使い切ったわけではないはずだ。蛇心雄太郎が旅館の客入りを心配していないのも、まだまだ蛇心家には十分な資産があるからだと思われる。
そんなことを考えながら、俺は他の者たちと一緒に、『邪神城』こと
チラッと振り返って見れば、大神健助は、うつむき加減で歩いていた。目付きが悪いのと合わせると、なんだか暗い印象を受ける。
彼は旅館の使用人ということで、阪木正一と杉原好恵の荷物――手荷物ではなく大きな旅行鞄の方――を運んでいた。俺と珠美さんの荷物は、それぞれリュック一つだけなので、自分たちで持ち運んでいた。
俺の位置からでは、一番前を歩く蛇心雄太郎の様子は、少し見えにくい。対照的に、すぐ前を歩く二人の姿は、うるさいくらいに視界に入ってきた。阪木正一と杉原好恵は、天井を見上げたり、横の壁を見たりと、忙しく首を動かしていたのだ。おそらく物珍しいのだろう。二人とも目を輝かせて、内装に見とれているようだった。
玄関入ってすぐの辺りは大広間になっており、『邪神城』の外観と同じく、内装も西洋風。調度品の多くは、俺のような素人が見ても一目で高級品とわかるような、たいそう立派なものだった。
天井で燦々と煌めくシャンデリアや、高窓を彩る鮮やかなステンドグラスなど、まさに貴族の豪邸というイメージなのだが、なぜか俺の頭には『成金趣味』という言葉が浮かんでしまう。ある意味、落ち着いた柄のカーペットが、逆に浮いて感じるくらいだ。
淡いブラウンでペイントされた壁には、いくつもの肖像画が掲げられていた。代々の『
もちろん『蛇神様』以外の肖像画も混じっているようで、女性を描いたものも何枚か含まれていた。ほとんどは着物姿だが、例外が一枚。その絵には、赤いチャイナドレスの女が描かれていたのだ。
絵の感じからして、最近のものではないだろう。顔立ちは明らかに日本人だが、とても昔の日本人とは思えぬようなナイスボディ。衣装と同じく髪の色までもが、日本には珍しい燃えるような赤毛。艶やかな長髪は、前髪も目に
「あら、一郎さん。あの絵の女の人に、見とれているのかしら?」
「いやいや、まさか。そんなつもりはありませんが……」
からかうような珠美さんの言葉に対して、俺は適当に誤魔化すしかなかったが……。
とにかく、その一枚の肖像画は、俺の心に強い印象を残したのだった。
大広間を見回していると、旅館に泊まりに来たというよりも、大金持ちの邸宅に招かれたかのような錯覚にも陥るが……。出迎え自体は、普通の旅館と同じだった。
「いらっしゃいませ。白蛇旅館へ、ようこそ」
俺たちの応対に現れたのは、和服姿の女性二人組。一人は紫色の着物で、その斜め後ろにいる方は、黒に近い茶色を着ている。素人目にも紫の着物の方が格上に見えたので、前にいるのが女将で、後ろが女中なのだろうと想像できた。
女将は目も口も小さめで、さらに鼻筋が通っており、日本人にしては鼻が高い。珠美さんとは違うタイプではあるが、これはこれで、美人と言って構わない顔立ちだろう。体格は小柄で細身、ただし少しお腹が突き出していた。
いや、部分的に太っているとか、ぽっちゃりしているとか、そういう意味ではない。どうやら彼女は、身ごもっているらしいのだ。蛇心雄太郎と比べたら、かなり若く見えるのだが、この女性が彼の妻。そして彼女のお腹にいるのは、二人の愛の結晶なのだろう。
後で知ったのだが、この女将の名前は蛇心
後ろにいるもう一人は、女中としては高齢で、五十代後半に見えた。俺たちのような――常連でも何でもない――宿泊客の出迎えに、女将と古参の女中が並んで出てくるなんて、何とも丁寧な対応ではないか。今晩の宿泊客は俺たち四人だけであり、まだそれほど忙しくもないはずだから、若い女中だって手が空いているだろうに。
そう考えると、そもそも白蛇旅館には、女中は彼女一人しか存在しないのかもしれない。見たところ体格は良いし、年の割にも元気そうだ。いつも客なんて少ないという旅館ならば、確かに、彼女一人で十分だろう……。
そんな想像を頭の中で巡らせたのだが、これも正解だった。後で聞かされた話によれば、やはり女中は、この
「雄太郎さん、本日の御予約は、お二人だったはずでは……?」
俺たちに挨拶した後、蛇心安江は、夫である雄太郎に耳打ちをする。『耳打ち』と言っても、客である俺たちに丸聞こえだったわけだが。
蛇心雄太郎の方は、普通に最初から、俺たちにも聞こえるトーンで答えていた。
「ああ、急遽、二人増えたのさ。まず、こちらが予約なさっていた阪木様と杉原様。それから……」
彼は若い二人を紹介した後、
「……こちらが、
と、俺たちを拾った経緯について、説明し始めた。
「まあ、それはそれは……」
話を聞き終わった蛇心安江は、女中の正田フミに対して、チラッと目配せをする。
頷いた女中は、
「では、お部屋へ御案内いたします」
そう言って蛇心安江が、正田フミを従えて歩き出す。
「はい、お願いします!」
明るい声の杉原好恵と共に、阪木正一が二人に続く。すぐ後ろに、荷物持ちの大神健助を引き連れた形で。
「では、私たちも……」
「行きましょう、珠美さん」
もちろん俺たち二人も、彼らの後ろから、ついていくのだった。
蛇心雄太郎ただ一人を、大広間に残した状態で。
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