平穏
______トントントントン
陽が落ちた夜の街の中で小気味のいい音が四度鳴り、それに呼応するようにジークが叩いた扉の奥から足音が近づいてくる。
大きな足元が少しして扉のすぐ向こうにまで辿り着くと共に、ガチャリと鉄の施錠が外れる音が響き、玄関の扉がジークを迎え入れるように開かれた。
戸で塞がれていたジークの視界に真っ先に飛び込んできたのは見慣れた髭面で、
「ジークバルト様!お待ちしておりました!・・・そのお荷物は?!」
待ちわびた来訪者に快活な声を上げたラルフであったが、面前の人物の全体像を見ると少し驚いた表情になり、何故か恐る恐ると言った感じで尋ねる。
その髭面隊長の視線の先にあったものはジークが背負った大量の品々で、
「ああ、ラルフ殿が見るのは初めてですね。城からこちらに来るまでの間に、街の方々から頂いたのです。是非ラルフ殿にも受け取っていただきたい」
「おお、それはそれは。やはりジークバルト様は慕われておりますな!!」
説明を聞いたラルフは自分の事の様に胸を張って喜びの声を上げた。
直接的に自身が賞賛されているという訳でも無く、むしろジーク達の存在に彼ら一般の兵士は日の目を浴びる機会を失いがちであるが、それでも自らと戦線を共にし同じ釜の飯を食べたジークが民に慕われていることを純粋に讃えることが出来るラルフの懐の深さには頭が上がらない。
「お父さーん!お客様が来たのー?」
ラルフの背後から可愛げがあって穏やかな声が響いてきたのはそんな時で、
「こんばんは、ジークと申しま」
「・・ええ!!ジークバルト様!!!お、お、お父さん!お客様ってジークバルト様なの?!!」
大きな体の影から姿を現した幼女は玄関口に立つ人物を見つめて一瞬言葉を失ってから、その分を取り返すように続けざまに驚嘆を表現し、ジークの挨拶の言葉を吹き飛ばした。
短い茶色の髪に真ん丸な瞳、年のころは七つか八つか、とかく幼い少女はだだ洩れの感情を隠す様子もなく、お父さんと呼んだラルフに確認を求めるようにして見上げる。
目の奥を回しながら父親の腕にしがみつく娘に、
「落ち着きなさいヴァネッサ!ジークバルト様、我が娘の無礼をお許しください。ほら、ヴァネッサ、ご挨拶を」
「は、初めまして、ジークバルト様。ヴァネッサです、お会いできてとっても嬉しいです」
ラルフは挨拶を促し、ヴァネッサは緊張した面持ちで頬を少し赤く染めながら言葉を紡いだ。
家主の娘からの丁寧なあいさつに、
「初めまして、ヴァネッサさん、こちらこそお会いできて光栄です。今夜はお食事にお招きいただきありがとうございます。」
返礼としてジークは右手を胸に当て深々と頭を下げた。それは、とても10歳以上も歳下の女児に対してするような所作ではなかったが、彼の中にあるラルフに対する敬意が自然とそうさせたのであろう。
数秒の低頭ののちに、面を上げたジークは恥ずかしそうにこちらを見つめるヴァネッサの双眸(そうぼう)と目が合い、憧れのモノを見るような輝いた瞳ににっこりと笑みを返して見せた。
年齢も性別も歩んできた人生も何一つとして同じものはない二人の人間が尊敬の念を通じ合った光景を見て、何とも言えないにこやかな笑みを浮かべていたラルフは挨拶が一段落したと見受けると、
「ささ、外は寒いですから中にお入りください。妻も待ちかねております」
「お邪魔致します。」
手振りも交えつつ客人を屋内へと招き入れると、寒空の空気を遮断するべく扉を引き締めた。
「狭いところで恐縮ですが」
「何をおっしゃいますか、立派なお宅ではないですか」
ラルフと言葉を交わしながら歩を進めるジークの目に映ったレンガ造りの家の室内は広々としており、壁に取り付けられた蝋燭の明かりに照らされるのは清潔に保たれた家具や内装。
ウキウキとした足取りで先導するヴァネッサの背を追って廊下を歩いていると、リビングを通り過ぎてから少しして食堂と思しき部屋が現れた。
廊下の途中から鼻をくすぐっていた美味しそうな料理の香りもここから発されているもので間違いない。
他と同様に明るく照らされた部屋に入り、
「こちらです」
言いながら手で示すようにしたラルフの視線の先では長机の上にいくか銀の燭台が置かれ、そのうえで蝋燭がまばゆい光を放っている。
そんな灯の光の中で視界に入ってきたのは鮮やかな茶色の髪を腰まで伸ばした女性で、ジークと目が合うとにっこりと微笑みを浮かべた。
柔らかな笑顔を携えた、気立ての良さそうな女性の足元にはジークの方を見つめるヴァネッサがしがみつき、二束の茶色の髪がオレンジ色の明かりに映える。
今晩の参加者が全員そろったことを確認し、
「ジークバルト様。これが妻のナスターシャです」
「ジークバルト様。ナスターシャと申します。夫がいつもお世話になっております。本日はお越しいただき誠にありがとうございます」
ラルフがナスターシャと紹介した女性は会釈をして歓迎の言葉を述べた。
「お初にお目にかかりますナスターシャ様。こちらこそ、ラルフ殿には助けられてばかりです。また、お招きいただいたことに感謝を申し上げます」
ナスターシャに挨拶を返したジークは今一度ラルフの妻の姿を見ると、目を見張るようにして、
「いやはや、それにしてもこんなにこんなにも素敵な奥さんだったとは。ラルフ殿は幸せ者ですね。」
「勿体ないお言葉ですわ。ただ、夫にはこれを受けて、少し態度を改めて頂ければと思います。」
「お、おいターシャ。そんな風に思ってたのかい」
「ふふ、冗談です。ジークバルト様、少しだけお待ちになってください。直ぐに食事の準備をお済ませします」
妻の冗談に対して戦場での剛毅な印象とは違いおろおろとしてみせたラルフの姿から、二人の夫婦としての微笑ましい関係性を垣間見た。
ナスターシャが台所へと向かう後姿を見送ったラルフは面前の椅子を引いてから、先ほどのやり取りを思い返しているのか頭に手をやるようにし、
「いやはや、恥ずかしいところを見られてしまいましたな。妻とは幼馴染なのですが、昔からおてんばでしてな、今でもたまにからかわれるのです」
妻との関係性を気恥ずかしそうに語りながら席に着く。
ラルフの年齢は三十半ばといったところであるから、二人は二十年以上の付き合いという事になるのであろうか。
ラルフが語ったおてんばという言葉と先ほど見せた弱腰な姿勢から、ナスターシャとラルフの幼少期の関係性が透けて見えるようでジークは頬を緩ませる。
そうしてから、二人の関係に自身の境遇と重なる部分を発見したようで、
「いい関係ではないですか。私もイルとシエルに未だにからかわれますが、二人がナスターシャさんのような素敵な女性になるとはとても思えません」
イルとシエルの事を持ち出して、冗談めかしてそう言ったジークは左手で剣の鞘を掴んで壁に立てかけてから着席した。
城で味わった姉妹共同でのからかいも今に始まった事ではなく、先ほどのラルフの様にたじたじになってしまう気持ちが重々理解できるのだろう。
そのジークの言葉に耳を傾けていたラルフは客人の口から発された{素敵な女性になるとは思えない}という文言に対してまったく驚いたというように目を見開くと、机から身を乗り出すようにして熱の籠った口調で語り始める。
「何をおっしゃいますか。イル様もシエル様も絶世の美女だと、ソレイラ中で言われているではありませんか!・・お二人のどちらかがジークバルト様と結婚という事にでもなれば、この大地に祝福せぬ者は一人とておらんでしょうな!ガッハッハ!」
「ラルフ殿、間違ってもそのようなことを二人の耳に入る場所で言わないように頼みますよ。何をされるか分かったものではありませんから」
ラルフのあまりにも大げさな語りにおどけるようにして両の掌を天に向けるようにしたジークは何かを思い出すに視線を右上に泳がせると、
「私たちは十五年間の間、お互いの事を友として、戦友として、兄弟として寝食を共にしてきました。そういう、少々特殊な関係ですから。ラルフ殿が仰るような事にはなりようがありませんよ」
過去を振り返るようにしながら言葉を紡ぎ、最後にはラルフの方を見て微笑んだ。
その表情にあったのは特殊だと語った自身の境遇への悲観や自虐ではなく、そういう運命だと受け入れているような、一種の諦めの様に見える。
ジークの意味深な言葉で終了したかに思われたこの話題に再び火を傾けたのは父親とジークの会話を黙って聞いていたヴァネッサで、まだジークに緊張しているのか遠慮がちに、
「ジークバルト様はイル様とシエル様のこと好きじゃないのですか?」
その純粋な瞳はどんな答えを期待しているのか、二人の男をそれぞれ別の意味でドキリとさせるような問いを投げ掛ける。
話の流れ上とはいえ、娘の口から発された恋愛周りの言葉に混乱を抑えきれないラルフの視線を痛いほどに浴びせられながら、ジークは少し思慮するようにして、
「そうですね・・言い方が悪かったかもしれませんね、好きじゃないという事は無いですよ。身内のような存在として友として二人の事は好きです。ただ、恋愛の好きとは全くの別物という事です」
「・・そうなんですね」
先ほど語ったことをかみ砕いて説明した。
何か腑に落ちない事があるのか、ヴァネッサはジークの言葉に一応の了承の言葉を返したものの、頬に手を当てて考え込むようにしている。
娘のその可愛らしい仕草に自分の恐れていた時は遠いと判断したのか、どこか落ち着きを取り戻した様子のラルフは隣に座っているヴァネッサの頭を撫でると、
「ヴァネッサにはこの話はまだ早いな!ガッハッハ!」
安心と信頼の笑い声を上げる。
しかし、その安心は尚早だったようで、頭に乗った父親の大きな右手を、小さな両手でどけるようにしたヴァネッサは少しムッとした様子で、
「パパ静かにして。レオン君への気持ちがどっちの好きなのか考えてるの」
「レオン君!?ヴァネッサ!誰だそれは!学校の子か?!恋愛なんて早すぎる!パパは許さんぞおお!!」
娘の口から出た衝撃の言葉にラルフは目の奥を回しながら、言葉の勢いそのままに椅子から立ち上がった。
机の上の蝋燭の火が揺らぐほどの動揺の余波にジークも椅子から身を上げ、
「ら、ラルフ殿!落ち着いてください!!!」
「ジークバルト様!!これは夢ですか?!私の頬を思い切りつねってください!!」
ラルフを座らせようと試みるが、取り乱した大男は現実を受け入れることが出来ずに逃避を続行する。
戦地では一片すら見せたことが無い感情を簡単に引き出してしまうのが血縁の力で、それを助長するのが父親としての性(さが)なのであろうか。
「ふふふ、楽しそうですね。お食事の準備が出来ましたよ。」
両手に料理の皿を持って現れたナスターシャが机の上で食事の準備を整えながら、三人のやり取りに笑顔で語り掛けると、
「ターシャ!食事どころではないぞ!ヴァネッサが!!・・ヴァネッサが!レオンとかいう男を!!」
「落ち着いてくださいあなた。この子を見てください。」
「ふふふふふ!パパ、冗談だよ。私が好きなのはジークバルト様だけだから」
「そ、そうか。ジークバルト様なら仕方ない!・・・娘を末永く宜しくお願い致します!!」
「宜しくお願いします」
「お二人とも?!何を言っているんですか?!」
「ふふふ、冷める前にお食事ができるかしら」
事態はより一層ややこしく発展し、ハチャメチャなやり取りは4人の間に騒がしくも穏やかな雰囲気を通わせる。
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蝋燭の優しい明かり照らされた皿の上は綺麗に平らげられ、満足げな表情を浮かべる二人の軍人の横でヴァネッサはイスに深く腰を掛けて完全に眠りに落ちている。
空気を小さく振るわせる吐息は夜が深まったことを暗示しており、楽しかった一時の晩餐が終わりを迎えようとしていた。
料理を食べつくし、ニッコリと笑みを浮かべていたジークは両の掌を合わせると、
「ご馳走様でした!本当に美味しかったです!」
幸せを噛みしめるような語気でナスターシャに感謝と賛辞を述べる。
自然と溢れてしまうというようなジークの笑みは見ているものにまで幸福感を与えそうなほどで、隣で満足げに腹をさすっていたラルフは触発されたのか、ジークの言葉に同意を示すように、
「全くですな!お互いに軍の携帯食ばかりでしたから、尚更身に沁みますなあ!」
「そう言っていただけて良かったです。腕によりをかけたかいがありましたわ」
「ジークバルト様の為に、普段とは違って愛情を込めた成果が出たようで嬉しいです」
「タ、ターシャ?何か耳を疑うような言葉が聞こえた気がするんだが、今までの料理には愛がなかったのかい?!」
「ふふふ、冗談です。いつもアナタとヴァネッサのために愛情を込めてますよ」
「それは一安心だが、ターシャ・・心臓に悪いからよしてくれ」
二人からの称賛の言葉への返礼に続いてナスターシャが口にした冗談に胸を撫で下ろしたラルフは、その流れでサッと卓上を見回して、食事の時間が済んだことを確認する。
そうしてから、先程までの優しい父親の表情を一変、引き締めさせると、
「それで、ジークバルト様。例の件はどうなったか、お聞きしても宜しいですか?」
兵士を率いる隊長としての風格を伴わせた言葉で数刻前にジークに頼んでいた事について確認を求めた。
その言葉にやはり来たかというようにラルフのほうに目線をやるジーク。
彼の隣で静かに寝息を立てているヴァネッサの姿も目に入り、先ほどまで元気いっぱいに団欒を楽しんでいた笑顔が脳裏にハッキリと浮かぶ。
ラルフがジークと共にアルデミオン領内西方での魔力の反応の調査に赴くというを伝えることは、再びこの家族の団欒が遠のいてしまうということであり、躊躇せずにいられるはずもない。
しかし、陛下に話を通した以上、結果を伝えないわけにもいかず、
「そうでしたね」
一呼吸おくようにしたジークはラルフから視線を外して彼の妻の方を向くと、
「・・・ナスターシャさん、明日からラルフ殿と西方に赴くことになりました。帰還早々連れ出すことになってしまい申し訳ございません」
膝に手を着き深々と頭を下げた。
この陳謝は家族の時間を奪うことに対してあるいはこの状況を招かないように機能できなかった自身の不甲斐なさに対してか、とかく国を想い民を想い友を想うジークの魂が自然と行わせた行動であることは疑いようがない。
ジークの所作を見て反射的に身を乗り出していたラルフは手を取って顔を上げさせるようにすると、
「頭をお上げください!!私が自ら願い出たのです!ジークバルト様には一つの落ち度もありませぬ!」
ジークが心の根の優しさゆえにこのような行動をとったことを察したのか、目を潤めながら言葉を紡いだ。
肩に置かれたラルフの分厚い両手は武人の手であり父親の手であり、そして何よりも想いを感じ取り涙を流せる優しい人の手。
夫が心なしか声を震わせるようにしながらも力強く言い切った言葉に続いて、
「帰宅早々夫から告げられました。・・この人はそういう人なのです。この国を愛し、民を愛し、この国に忠を尽くすジークバルト様と働けることをなによりも誇りに思っているのです。夫の事を宜しくお願い致します」
この件で落胆していないはずはないナスターシャは負の感情をおくびにも見せず、一人の愛国者としての夫の意思を尊重すべく頭を下げた。
気丈なその姿は一朝一夕で培えるようなものではなく、恐らくは何度も同じような事を経験してきたことで養われた、養われてしまった軍人の妻としての胆力がそれを可能にしている。
決意と信任の言葉を前にして、それ以上掛ける言葉などあるはずもなく、
「・・・分かりました。明日の朝、馬を引いて迎えに来ますから、せめて少しでも長く共に過ごしてください」
請け負う旨の返答をしたジークは、宣言したとおり夫婦の時間を少しでも確保するために席を立つと、
「では、これ以上お邪魔するわけにはいきませんから、私は失礼いたします。今日は本当に楽しい時間を過ごせました、ありがとうございました」
「こちらこそ、本当にありがとうございました。機会があれば、またお越しください。誠心誠意おもてなしをさせていただきますので」
「是非。今から楽しみにしております」
「玄関までお送りいたしますぞ、ジークバルト様」
「私もお見送りいたします」
「いえ、ナスターシャさんはヴァネッサさんをベッドに連れて行ってあげてください。風邪を引いては気の毒ですから」
ヴァネッサの無垢な寝顔を一瞥してそう言うと、壁に立て掛けた剣の鞘を引き掴んだ。
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