それは突然に

しばし人の熱に当てられていなかったからか、少し肌寒い空気の流れる廊下を並んで歩く二つの人影。


肉体的と精神の安定を表すようにゆっくりと確かな足取りで揺れる影の内、一つがもう一方のほうを振り向くと、


「ジークバルト様。今夜は本当にありがとうございました」


「とんでもないです。ヴァネッサさんに喜んでいただけたようで良かったです」


ラルフからの感謝の言葉に対して、ヴァネッサのキラキラとした瞳を思い出したのか、笑みを浮かべて語るジーク。


特に当たり障りのないように思われたその一言に顔をしかめるようにしたのはラルフで、


「・・お気づきになられておりましたか?」


笑顔のジークとは対照的に申し訳なさそうな表情で尋ねる。


「そうですね。ラルフ殿が今更私と食事を取りたいなどとはあまりに不自然でしたし、奥様か娘さんのどちらかの為なのかなと。玄関口でヴァネッサさんの表情を見て確信しました」


様子を伺うような視線を受けて苦笑いを浮かべたジークが、数時間前のラルフの挙動不審な様子から考察したことをつらつらと語り、


「全てもってその通りです・・申し訳ございませんでした!真意を隠すようなことをして!」


たまらなくなったラルフの口から飛び出したのは陳謝。


国の英雄に対して、娘が会いたがっているから晩御飯を共にしよう、などとはとても言えず結果的に騙す形になったことがずっと心に引っかかっていたのであろうか、土下座でもしそうな勢いで頭を下げるラルフを、


「お気になさらないでください!ラルフ殿が家族の為にしたことを責めるほど愚かではありませんし、私も本当に楽しかったですから!」


「そう言っていただけて、救われる思いです。ジークバルト様、本当になんとお礼を申し上げてよいのやら」


「やめてください、ラルフ殿。私如きで役に立てるのでしたら、本望ですから」


全く影の感じられないラルフの言葉に応じるように、ジークは本心からの言葉で諫めるようにする。


ジークの口から謙虚な言の葉が紡ぎ終えられたとき、丁度二人は玄関口に辿り着いた。


ラルフが少しでも家族との時間を持てるようにとの配慮であろうか、すぐさま面前の木製のドアを引き開けたジークは屋外に一歩出ると、


「では、ラルフ殿。いい夜を」


家主の方を振り返って、簡潔かつ必要最低限の挨拶を置いて城への帰路に着こうとする。


その気遣いを汲み取ってから、半身を外に出すようにしながら、


「ええジークバルト様も良い夜をお過ごし・」


手短な別れの言葉を投げかけようとしたラルフであったが、その最中、寒空の街を映した瞳の端に何かを捉えたようで、


「・・っと、こんな時間に一人とは珍しいですな」


疑問の色の滲んだ言葉と共に顔を右側に向けた。


その視線の先、雲間からうっすらと差す月明かりと魔晶石を動力とした街灯だけが照らす街を一人の男が歩いている。



宵の静寂が街を覆い始めた時点に、北門より伸びる大通りから派生した通りを人影は中心街へと向かっているようであった。



ジークと同程度の大柄の体格を揺らしながら歩くその足取りはどこか重々しく、顔を隠すようにしているフードや肩に羽織っているコートは薄汚れ、外套の隙間からは布のような衣服に帯が巻かれているのが見て取れる。


確かにラルフの言う通り、日付が変わる間近に一人で街を出歩くのは不自然であったし、あまり目に馴染みのない服装や醸し出している雰囲気も気にかかるものがあった。


正体不明の男についての推測に要された数秒の沈黙ののちに、


「話を伺ってみますかな。旅の者で困っているのなら保護をする必要が、不審者であるなら拘束しなければなりませんからな」


家の扉を締めながら、取るべき対処について提案したのはラルフで、


「確かに、少し不穏な雰囲気の男ではあります。しかし、ここは警ら隊に任せましょう。見回りをしているはずですから大通り辺りに誰かしらいるでしょう、私が呼びに行ってきますよ」


ジークは一部賛同しながらも、ラルフ自らが処置することには反対の意を示す。


ラルフが警ら隊での職務経験があることは知っていたが、今は立場が違う上に任務での疲労も溜まっているということを考慮すれば当然の反応だ。


しかし、ラルフはその言葉には首を縦に振らずに、


「彼らも色々と大変ですからな。とりあえず話を聞いてみて、必要とあらば警ら隊に任せましょう。私一人で処理できることならば、彼らの負担を減らせますからな!」


志を一にする仲間の助けになれることを喜ぶように声を上げる。


職務内容的にも稼働時間的にもラルフやジークの方がよっぽど重労働なのであるが、そんなこと頭の片隅にも無いという語り口に、


「ご自身の方が激務でしょうに・・他者を慮る気持ちはご立派ですが、今は鎧もないのです。安全面から言っても・・」


半ば呆れたような口ぶりのジークはラルフの身を包む普段着の安全性について言及した。


「心配ご無用です。私たち隊長にはこれが配られておりますから」


ジークの指摘に対して、何やら得意げな笑みを浮かべながらラルフがポケットから取り出した物は太陽の紋章が刻印された白い箱。


それはラルフの大きな掌に収まるほどの大きさの物で、これで何が心配無用なのかと、ジークが首を傾げかけたとき、


「フン!」


刀を家の壁に立てかけたラルフが左手に持った箱の中心部の突起を押した。


刹那、その小さな箱から放たれた魔力の波動がラルフの体に纏わせたのは重厚な鎧。


パッと見はただの鎧にしか見えない鉄の塊がどこか荘厳な雰囲気を放っているのには、その製造方法が関係している。


この鎧は魔晶石と呼ばれる物質と金属を混ぜ合わせた合金で鍛錬されており、従来の半分の重さで倍以上の耐久と魔力耐性を実現させた魔晶石という特異な物体が威圧感の根源。


とても小箱には入りきらない物体を収容していたのも、それを一瞬にして出現させたのも、恐らくは魔晶石を媒介とした魔力技術の応用であろう。


硬い守護を手に入れたラルフは刀を掴んでジークの方を向き、


「これなら呪者が相手とて、心配はありませんぞ!」


「イルはこんなものまで作っていたのですか。・・・これなら安全面は大丈夫そうですが・・」


鎧の中から届いたくぐもった声に対して、ジークは感嘆の声を上げつつ前言を撤回するしかない。


否定する言葉を失ったジークの反応を受けて、


「そういうわけですから。後の事は私にお任せになって、ジークバルト様は城にお戻りになってください」


ラルフは自身の考えを推し進めようとする。


城への方向を指示された手を前に、


「いえ、私は念のため近くから見ておきます。職務上の手続きは分かりませんが、警ら隊が必要になるなら協力もできますから」


「ガッハッハ!ジークバルト様も心配性ですな。お任せいたします」


譲歩しながらも自身の考えを取り入れた中間案を提示したジークに暖かな笑い声を上げたラルフはそう言うと、


「では、行ってまいります」


鎧を揺らしながら歩き始め、目指すのは前方80mほどの人影。



向かい合うような構図でラルフとの距離が詰まっていく男は変わらぬ足取りで街頭の光に照らされたり、闇に潜ったりを転々としながら、ゆっくりとだが確実に中心街に向けて進んでいた。



ラルフが20mほど進んだところで、少し距離を詰めようと踏み出したジークの首筋を濡らしたのは一滴の雨粒で、


「・・雨ですか」


そう呟き見上げた空はいつの間にか一面の雲に覆われており、月は自身の存在を知らせる手段を奪われていた。


ここに通りを照らすのは等間隔で置かれた街灯の明かりのみとなり、体を撫でる冷ややかな夜の吐息と闇をこじ開ける無機質な光のコントラストは血液の流れを早くするような妙な焦燥感を与える。



首筋をノックする雨の感覚が短くなっていくのを感じながら、ラルフと一定の距離を保つようにして足を進めるジークが瞳の中に注意深く映すのは男の姿。



灯りに照らされたその身なりは浮浪者の様であり、生命の力強い鼓動のようなモノは一切感じられず、まるで死人(しびと)のような冷たさを帯びている。



しかし、同時に感じるのはハッキリとした意志で、それがこの男を城の方面へと導いているようであった。



人間としての生と死が混在しているような感覚は今までにジークが感じたことが無い雰囲気で、呪者である可能性は殆ど零であるという事は分かっていながらも警戒を怠らせてはくれない。


(ただの旅人であるに越したことは無いのですが)


ジークが心の中で呟いた十数秒後。


ぶつかるような軌道を取っていた為に順当に縮まった男とラルフの距離は、他の道との合流地点である十字路にて最接近する。



四つの光源によって作られた光の円の中で、ラルフが話しかけたのであろうか顔を隠した男が立ち止まり、ラルフの背とフードの男の正面が視界に入るジークの立ち位置からは男の左半身がラルフの鎧によって隠されているように映った。



ラルフが身振り手振りを交えながら男との対話を持とうとしていることは影の動きから察することが出来たが、ジークの優れた耳が会話を聞き取ることを阻むのはどんどんと強まる雨脚。



自身の身を包む宵の空気と視線の先の真っ直ぐな灯りの明暗の差に煽られていた不安がピークに達したのか、追い風に乗って首筋を濡らす雨の冷たさがそうさせたのか、あるいはもっと根源的な本能か、何が理由か定かではないが気が付くとジークは早足になってラルフと男の方に距離を詰めていた。



二十メートルほどあった隔たりが十八メートル・十七メートルと詰まっていくうちに、ジークの胸にはねっとりとした重苦しい憂苦が込みあがってくる。


何を感じたのか、何が起ころうとしているのか、それらについて心の中でも言葉は出ない、言語化は出来ない、言い表せない漠然とした不安が彼の足を強制的に前に進める。



瞳に映るのは街灯の光に照らされた薄汚れた格好の男とその男の半身に架かったラルフの体、そしてその光景に霞を掛けるように降りしきる雨。



どこか現実味の無い明るさとそれをぼやけさせる雨天の中で、ダランと体に沿うように垂れていた男の右腕がラルフの体で隠れた左半身の方に消えていく様子がジークの瞳にはスローモーションのように映った。



男がその所作をしたのと殆ど同時に弾かれたように走り出したのはジークの体。



それは男が自身のコートの下に刀を隠し持っていると察したからではなく、全てを穿ち得る魔力の発現をハッキリとその身に感じたからである。


体勢を崩すほどに唐突に体を始動させながら、


「ラルフ殿ォォ!!」



雨の中でもなんとか声を届けようと叫んだジークの目の前で無情にも剣は引き抜かれ、男の左半身を隠していた鉄の塊は地面に向かって吸い込まれるように崩れ落ちた。


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