力
____ザアアアア
雨が地面に叩きつけられる音だけが響く中で、男が右手に持った刀の刀身は街灯の灯りに照らされて残酷なほど怪しく輝き、その切っ先からは鮮血と雨水が混じったものがポタポタと滴り落ちている。
地面に落ち雨水と一緒くたになった血は剣の切っ先とは逆の方向に流され、辿り着く先は無機質な鎧の下。
暗い街の中でハイライトされた一連の光景は舞台のワンシーンのようでもあり、紛うことなき現実でもある。
近寄ることすら戸惑われる、静かな恐怖を孕んだ空気に変化を与えたのは水をかき乱す足音と、
「貴様ァァ!!」
雨を吹き抜ける怒気。
十二メートルほど先から走りこんできていたジークは勢いそのままに左腰のソードベルトの鞘から剣を引き抜くと、両手で握った剣に魔力を込めて叩きつけるように振り抜く。
面前の相手を一刀の内に断ち切らんという肌で感じられるほど殺気を帯びた剣は冷たい空気を唸りを上げて切り裂き、全てを断絶するかに見えた。
しかし実際にはジークが刃を振り上げた時点で男の体は雨に溶けるように忽然と姿を消しており、刀はやり場のない怒りを沈められるかのように雨に撫でられる。
魔法を使う際に生じる魔力の波も感じられず、小細工を仕掛けるような仕草も無かった、直立していただけの男が文字通り消え失せてしまったという状況に、
(消えた?!いや、今は!)
ジークも少なからぬ動揺を見せるが、今は最優先に確認しなければならないことがあった。
先ほどまで男がいた位置に立ったジークは剣を右手に構え周囲を警戒しながら
「ラルフ殿!!ラルフ殿!!」
左膝を地面に付き左手でラルフの鎧の肩を揺らしながら、声を張って呼びかける。
地に伏してから自発的な動きを見せていなかった鎧は雨に濡れ、触れた手に伝わる不気味なほどの冷たさは鎧のモノだと思い込もうとするが、否が応でも嫌な予感を与える。
その本能的な感覚の冴えを裏付けるかのように、
「無駄だ。・・鎧もろとも心臓を貫いた。生きちゃいない」
憐れみや侮辱などの感情を込めるわけでもなく、ただ淡々と状況を伝えるように吐き出された言葉。
それに続いて、先ほどジークが走ってきた方向からフードを被った男が街頭の元に姿を晒した。
雨音を縫うように届いた声と、再び姿を現した正体不明の敵にジークの剣を握る右手には反射的に力が入る。
瞳の真ん中に男の姿を捉えながら立ち上がったジークは剣の切っ先を男の方に真っ直ぐに向けると、
「呪者がどうして王都に!」
激情を押し殺すように言葉を吐きながら、空いている左手でコートのポケットをまさぐり黒い袋を取り出すと中身の箱を無造作に取り出した。
それは先刻、王宮にてイルから手渡された箱であり、魔力を操る呪者を判別するための装置。
ジークはその装置のガラスの面を自らの方に向けると、剣の先の男にも注意を払いながら、箱の中の鉱石の塊に視線を投げかける。
面前の男が呪者であるなら装置は何らかの反応を示すはずなのだが、
(・・変化が・・無い?!そんな馬鹿な!)
紫色から一向に色の変化が見えない鉱石と面前の男から感じる確かな魔力の波動。この二つの相反する事実に直面したジークは剣を男に向けたまま、
「貴様!フードを取れ!顔を見せろ!」
威圧するように、相手に有無を言わせないような激しい語気で迫る。
魔晶石の鎧を穿つほどの魔力の集約を起こせるのは呪者の中でも魔力の多い者達で、ましてや呪者でないなどとは信じがたい。
(まさか、お前なのか?)
左手に握りこまれた装置の故障ではなく、呪者でないとしたら、この事態を起こし得る人物は一人しか心当たりは無く、ジークは無意識のうちに心の中で呼びかけるようにしていた。
真っ直ぐな敵意を向けられた男は怯むわけでもなく、自身に向けられた剣の切っ先を一瞥するような素振りをした後にだらりと垂らしていた刀を鞭のようにしならせ自身の正面に構え柄に左手を添えた。
強制に対する反抗、それがジークへの返答。
対話を拒絶するという意思を受け取ったジークは目の前の剣から発される魔力を感じながら、無言のうちに左手を柄に添え、臨戦態勢に入る。
言葉を交わさずとも、構えを取ればそれすなわち戦闘の狼煙。
互いの素性も何も知らぬ二人であったが、少なくともこの瞬間において精神は同じ土俵にある。
剣の切っ先が触れ合うのではないかという間合いで、数秒の沈黙ののちに先に動いたのはフードの男だった。
ジークと同程度の大柄の体を始動させると、俊敏かつしなやかな動きから前方に一歩踏み込み剣を振るう。力強くもあり、柔らかさも感じる体捌きはどこか水の様。
素早く放たれた斬撃にジークも反応して受け止めて押し返し、切り返す。魔力を帯びた物質同士のぶつかり合いは周囲の大気を震わせ、二人の男は打ち合いの中で対話をしているかのようであった。
数合目の打ち合い、一瞬の空隙を引き込んだジークが男の顔に目掛けて躊躇なく振りぬいたのは大気を切り裂く魔力の一閃。
命を刈り取る一刀は対象を捉えたかに見えたが、あわやのところで男が身をかがめたことで肩から浮いたコートを闇の中へと消し飛ばして、隠されていた顔を光に晒す。
黒い外套の下から現れた白い顔はジークと殆ど変わらない年の頃。
紺色の瞳を擁する双眸はジークの方をハッキリと見据え、風になびいた蒼色の髪の間からは傷一つない額が覗く。
(紋章は無い)
ジークが男の顔を目視し、二つの可能性を消したのと殆ど同時に、身を躱していた男は立ち上がる勢いを刀に乗せるようにして反撃の一撃を放った。
突き上げるように迫る研ぎ澄まされた魔力の攻撃は紙一重で直撃とはならず、ジークの左頬に刃が沿うよう形になる。
剣を振り切った体勢から完全に避けきることは不可能と一瞬で判断したジークは、次善である{被害を最小限で留める}という事をいとも簡単にやってのけたのだ。
刃の冷寒さを頬で受け止めたジークはすぐさま男の体を足蹴にし距離を取ると、頬を拭って血の流れを断ちながら、改めて目の前の男の姿かたちに視線を移す。
体に布を巻き付けたような服装で、腰に巻き付けられた布と衣服の間に挟まれているのは刀の鞘。
確認の為に目線を上に遣ってみるが、やはり額にはあるべきはずの紋章は見当たらなかった。
「本当に呪者ではないんだな。・・貴様何者だ」
間合いの外からジークが投げかけた問い掛けに、
「・・アンタこそ・・俺と・・いや、俺達と同じなのか」
男の発した言葉は問いへの答えではなく、何か漠然とした雲をつかむような新たな問いの提示であり、ジークにしてみれば話が噛み合っていないのは明らか。
「あくまではぐらかす気か。・・私は王国親衛隊スペラーレが一人ジークバルト!太陽の国に仇名す貴様とは相容れぬわ!フェルナンド4世の名の下に、ラルフ殿の名誉の為に!貴様の首を陛下の御前に捧げる!」
右手に握った剣の切っ先を再び敵に向けそう宣言したジークに対して、男は無言で刀の柄を握りなおし怒りと哀しみが入り混じったような視線をジークに投げかける。
ぶつかり合うのは正義の心と確かな殺意。
数秒の睨み合いの後に先に仕掛けたのはジークであった。
「ウィル!」
唱えたと同時にジークにとって向かい風にあたる突風が吹く。これは男にとっては背後からの突風であり、通常の風とは異なるレベルの質量を持った魔力の風は男の体勢をつんのめるように崩させた。
形成の有利を作り出したジークは素早い踏み込みから魔力を帯びた一閃を打ち込もうとしたのだが、剣を振りかぶったと同時に男の姿は目の前から跡形もなく消え、振り下ろしかけた剣を止めることとなる。
(またか!)
ジークの脳裏には最初の一太刀を交わされたときの情景が思い浮かんでいた。あの時と同じようにまるで雨に同化するかのように忽然と消えてしまった男はどこに行ったのか、
(魔力が分散していて、奴の正確な位置がつかめない・・)
魔力からの探知を阻んでいるモノの正体は意外なもので、
(・・まさか、この雨か!)
空を見上げるようにしたジークは全身に降りつける雨から微かな魔力の波動を感じ取り、その魔力を帯びた雨水が男の魔力の索敵を困難なものにしているという結論に辿り着いた。
しかし、原因が特定できたとて状況は何も好転せず、分かった事は一つ、この状況を変える手立てを持たないという事だけである。
男の位置を掴めずに周囲を見回すようにせわしなく目を動かしているジークの背後から突如として音も無く立ち昇る影、男は両手で構えた刀を振り上げ躊躇なく振り下ろした。
___ガキィィン!
金属同士が激しく衝突する音と共に、二人の剣士は再び面を突き合わせることになる。
(・・刀に集中した魔力を感知できなければ直撃だった!)
間一髪で男の一振りを受け止めたジークは、刀からの圧を跳ね除けるべく自身の体と剣により一層魔力を込めると、
「ハア!」
掛け声とともに男の体を押し返した。
ジークの体から発されたのは彼が身に受けた圧を飲み込んで押し返すほどの魔力の波動。
視界を覆わんばかりの魔力を前にしても冷静さを失わず、後方に飛んで衝撃をいなした男は刀の構えを崩さずにジークを見据えた。真一文字に結ばれたその口からは神出鬼没の雨の技についての回答は得られそうにない。
ともあれ、どうにか奇襲からの窮地を脱したジークは魔力の雨に顔を打たれながら、
(幸い魔力強化の質では私の方が上だ。・・だが、幸運は二度は続かない。次で決めなければ)
自身の取るべき行動について思考を巡らせる。
先ほどの雨からの奇襲をもう一度見切れる確証はどこにも無く、そもそもがこの雨の中は敵の独壇場に近い、そのため望むのは早期決戦。
降りしきる雨にちらりとピントを合わせるようにしながら、
(雨を自由に操っているのだとしたら・・・試してみる価値はあるな)
男の姿を消す技と魔力の雨の関係から、一つの形勢逆転へと繋がる策を考え付いたジークは自身の考えに命を預けるべく今再び男と相まみえようと剣を構える。
その動きに呼応するように刀を構えたまま一歩いじり寄った男がもう半歩踏み込もうとした刹那、呼吸の隙間を突くようにして先に間合いに踏み入ったのはジーク。
先手を奪い、今までの二振りと同様に剣を振り上げたジークの眼前で、案の定というべきか男の体は雨に溶けるように消える。と、同時にジークは自身の右手側に飛びのきながら剣に魔力を集中させ、
「エルフローラ!!」
滞空したままそう唱えると、先ほどまで自らと男が立ち会っていた地点に向かって剣を振るった。
途端、剣で薙いだ先の大気が瞬間的に動きを失う。氷点下の息吹は連鎖するように進む先の全てを凍り付かせ、やがて一つの実体あるモノを捉えた。
「貴様はこの雨に魔力で干渉し、自分の周囲の光景を捻じ曲げている。だが、実体が消えるわけではない。・・そう仮説を立てた。賭けだったが、上手くいった。」
地を漂う氷結の残り香の中に立ち、情の無い声で語ったジークの視線の先にあったのは四肢が凍り付き身動きが出来なくなった男の姿。衣服は急な寒風に硬くなり、膝ほどまで氷に覆われた両足はピクリとも動かすことも出来ず、さながら氷の彫像の様である。
「・・・・」
男の髪や頬にこびり付いた薄氷と口元から伸びる白い吐息は氷の冷たさと共に置かれている立場の困難さをありあり示しているようであったが、男の瞳は変わることなくジークを映し続けていた。
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