象徴を纏う




 その透明な巨腕は、あらゆる造形で構成されていた。

 机。引き出し。電灯。シャープペンシル。本棚。ベッド。脚。目玉。

 生物無生物を問わず、この病室に存在する全ての輪郭を、つなぎ合わせたのだ。

 日々木歌子の術だ。


 名を【日々の造形ノーマル・フォーム】。

 

 大小角度様々なガラスを、まるでプラモデルのパーツのように組み合わせて象った、歪で複雑な右腕。

 しかし、術士である日々木にとって、この腕は至極単純な形をしていた。


 つまるところが、四角や三角や丸や直線といった、シンプルな図形の集合体なのだから。


 ジオメトリーモチーフという言葉がある。

 幾何学文様とも呼ばれるこれらの図形は、はるか古代ギリシャの時代から、それぞれ特別な意味を付与されてきた。


 例えば、四角。これは安定を意味する。四は世界の根幹を支える数字だからだ。

 四代元素然り、東西南北の四方然り、人間は森羅万象がこの数により成り立っていると考えた。


(机の頭、引き出しの胴)


 腕を構成する事物から、四角の要素を抽出する。

 そのまま、『安定』の効果へと変える。

 安定させるのは、腕の形状。運動能力。

 そして、機能。


 ゆっくりと、五指を動かす。丸めて拳にしたり、開いて掌にしたりする。

 腕の機能を携えた、凶器だ。

 それだけで、百の刃を操るより変幻自在な攻撃が出来る。

 

 例えば。


「しいっ!」


 日々木は気合と共に、右腕で床を凪いだ。

 まるでカステラのように、硬く白い床は砕けて、コンクリート製の礫の群れとなった。

 勢いそのままに、投げつける。

 純白の散弾が、匡を穿とうと迫る。


 だが、匡は動じない。独り言のように、静かに溢す。


「安全圏を作ろう」


 どこに隠し持っているのか、彼女はパジャマの裾から箱を取り出すと、投げつけた。

 間髪入れず、立方体が弾ける。

 紙吹雪と共に、粘性すら帯びるような濃い瘴気が溢れる。

 瘴気は瞬く間に礫を食い荒らすと、塵芥に変えてしまった。

 術の範囲外にあった礫は、そのまま匡のどの部位に当たることもなく、壁や天井、窓を破壊した。

 結界にでも守られたように、彼女と、彼女の後ろに眠る久義は無傷だった。


「へえ。無生物も呪殺できるんですか。流石箱内。えげつないですね」


「今更気づいても、遅いさ」


 匡が言うと同時であった。

 日々木が、右腕を横に振るった。

 巨大な透明が、風を抉る。その乱気流の中で、腕を構成する部位が、少しばかり解けた。


 顔を出し、宙を舞うのは、小刀の造形。


 まるで矢のような軌道で、矢の何倍も早く、室温を貫いていく。

 だが、それを向けられた匡は慌てない。

 今までと同じように、彼女は箱を投げた。

 唇が動く。


「【そこない】」


 再び、密度の高い毒のような邪悪が溢れる。万物を蝕む呪殺の予感。

 その瘴気の前では、透明な造形も例外なく朽ち果てる。

 日々木の放った小刀の輪郭が、凄まじい瘴気に飛び込んでいき——。

 

 そのまま、匡の右肩を貫いた。


「ぐうっ!?」


 匡の口から呻きが漏れる。同時に、傷口から鮮血が噴き上がる。青白いパジャマが、赤に汚されていく。


 その様子を、日々木は冷たい目で見つめた。

 見つめながら、言った。


「世の中には、邪悪を絶つ形状もあるんですよ。この刃もまた、そうです」


 握り込んだ小刀。それは、片刃だ。まるでカッターナイフのように、角ばった切っ先を持つ。

 長方形に、直角三角形を繋げたような輪郭。


 三角。

 そのジオメトリーモチーフの意味は『神聖』。


(三。三位一体。キリスト教的価値観。神の数字。魔除けの数字)


 だから、この造形は瘴気を穿つ。

 箱内の術式とも、噛み合う。


(血で劣る相手にも、勝てる)


 日々木は再び腕を振った。今度は二枚の刃が距離を切り裂いていく。

 これで、もう一度瘴気での防御をしてくれていれば、重大なダメージを与えられていただろう。

 実際、自分の家柄や才能に強い自負を持つ術士は、己の術をそう簡単に見限ることはできない。頭では分かっていても、心が頷いてくれないのだ。

 

 しかし、そこは流石の箱内の跡取りであった。

 匡は躊躇いなく、しゃがんだ。

 自らの術では分が悪いと、認めたのである。

 ただの回避ではなかった。

 しゃがむと同時に、彼女は右足を伸ばし、回転した。

 水面蹴り。

 まるで草を刈り取る鎌のように、彼女は周囲を払った。

 

 何のためか。


 匡の脚は、ベッドの下に潜り込んだ。

 再び現れた時、それは何かを掻き出していた。


 無数の白い箱であった。


 蹴りの勢いに任せて、匡はそれらを床にばら撒いた。


(ベッドの下に隠していた箱を、ローキックで外に蹴り出したのか)


 狙いは分かる。

 地雷原のようなものだ。

 一歩でも足を踏み出せば、たちまち箱は弾けて瘴気を噴き上げるだろう。

 これは、牽制なのだ。


 だが。


(私には、利かない)


 日々木は迷うことなく、駆けた。

 その右腕で、全てを薙ぎ払うつもりだった。

 腕の圧倒的な運動能力は、四角形が確保してくれる。

 瘴気だって、腕に内包された三角が断つ。

 たとえ全身を箱内の呪いに包まれても、致命傷にはならない。そんな自信があった。

 

(身体能力では私のほうが上だ。箱の呪いさえ三角で無効化してしまえば、数秒でケリが着く)


 真っ直ぐに距離を潰す、その一瞬。彼女の頭に、ジャイアントキリングが過る。

 そこに付随する、須臾の感情も。




(お父さん、お母さん。私、箱内に勝つよ)




 ばしゅっ。


 床に転がる無数の箱が、弾けた。

 影が舞う。

 きっと、紙吹雪だ。

 日々木は視線を向けることもなく、蹴り飛ばして進もうとした。


 しかし、気付く。


 紙吹雪というには、色鮮やかな光を放っている。

 青、赤、黄、緑、紫、ピンク。

 万華鏡の中身をぶちまけたような極彩色が、虹の残像を空気に刻みつけ、迫ってきて――。


 その全てが、次の瞬間には血に染まっていた。


「古い教会のステンドグラスさ。信仰が染みてるから、魔除けじゃあ防げないぜ」


 匡の微笑みが視界に映る。

 その唇の歪みが、全身に染み込んでいくようだ。


 全身の、傷口に。


 日々木の肉体は、箱から散った百のガラス片によって、ズタズタに切り裂かれていた。

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