第40話 直感

 朝が来た。


 私の喉は、昨日の舞台により、鈍い圧力のような感覚を覚える。


 「行ってきます」


 父よりも先に朝食をとり、母から弁当を受け取る。


 真面目で現実的な彼らが、昨日の私の姿を見たら、どんな反応をしていただろう

か。みっともない、見ているこっちが恥ずかしくなる、痛々しい。十年以上前から

背広を着てきた父は、きっと『クロート』の姿を鼻で笑ってくれそうだ。


 でも、それでもいい。



 私は、私のやりたいようにやる。


 大学にだって、あなたたちの言う国立の良いところに行く。定職に就いたって、ネ

ットの世界で歌を届ける、私らしく歌い晴らしてみせる。


 「黒音ちゃん。よかったわよ」


 玄関の扉を開けようとする私を、母が呼び止めた。


 「何が?」


 何がよかったのだろうか。私は尋ねた。


 「昨日の、あの服。素敵だったわよ」


 「えっ…」


 何のことなのかすぐにピンとこなかった。


 「黒音ちゃんの歌、ちゃんと聞いたんだから。部屋の壁越しじゃなくて、ちゃん

とあなたの顔を見て」


 「私の歌…。来てくれたの?」


 ようやく把握した私は、それでも分からなかった。私の歌を今までさんざん否定し

てきたくせに、どういう風の吹き回しだ。憤慨のような困惑が頭の中を周る。


 「一度でいいから、行ってみたかったの」


 母は言った。


 「あなたが唯一お父さんに逆らうのは、歌だけだったから。どれだけ本気なんだ

ろうって。それで、黒音ちゃんが、とってもかっこよかったから、お母さん泣いちゃ

った」


 「お母さん…」


 母を呼ぶことしかできなかった。


 嬉しくて。


 「そしたらね、『泣くことはないだろ』って、あの人だってちょっと泣いてたくせ

に」


 「あの人って…」


 分かっていた。


 分かっていたけど、『あの人』なんて赤の他人にも当てはまるような三人称を使わ

ないでほしい。


 「お父さんよ」


 母は、今度こそ『父』を呼んだ。


 「…お父さん」


 私の音楽を、歌声を真っ向から否定した存在。それでも、『黒音』という名前を

与えてくれた父。


 「あなたの曲を聴いてから、ずっとあなたの動画をスマホで観てたのよ。ご飯食

べてる時もずっと、お行儀悪いのよ」


 母は、嬉しそうに父の行儀の悪さを指摘した。


 私だって、嬉しかった。


 両親に認めてもらえるくらい、努力できたことに。


 『黒』。


 私が作詞して、ネットで、昨日の舞台で歌ったオリジナル曲。


 その詞の一部分。




 光り輝く眩しい世界


そこに立つ、小さな『黒』


 眩しすぎる世界の光の中で、己の未来に迷う者を


 『黒』が、あるべき場所へ導く




 そして思い出した。


 父が名付けた黒音の由来は、目立たない黒なんかじゃない。


 他人と足並みをそろえて目立たないことを、父は私に望んでなんかいない。


 本当の意味は…。


 光り輝く未来に、ちゃんと自分が進んでいることを分かるように。


 光り輝く今に、ちゃんと自分が、自由に声を出して生きられるように。


 『黒』が、私を導いてくれるように。


 「じゃあ、気を付けて、高校最後の文化祭、楽しんでちょうだい」


 母の声を受けて、私は扉を開けた。


 「ありがとう、お母さん」


 お父さん。






 「なんだよ…これ…」


 俺は、立ち尽くした。


 強盗でも入ったかのように、めちゃくちゃにされたクラス展示。


 戦争でも起こったかのように荒れ果てた廊下の装飾たち。


 そこにいる生徒、教師までもがどよめいていた。


 「意味わかんねえよ」


 「誰だよ」


 「ふざけんなよ」


 「せっかく時間かけて作ったのに…」


 今の気持ちを代弁してくれるように、生徒たちが口々に同じようなことを嘆く。


 ひどい。


 「間中っ!」


 視界も音も混雑した空間で、はっきりと自分の呼ぶ声がした。


 「黒音ちゃん!」


 黒音ちゃんが、俺を見つけて、この卑劣で最低な惨状を二人で呆然と眺めた。


 しかし。


 呆然から恐怖に変わる出来事が、起こってしまう。


 「あがぁっ!!」


 男の痛む声が聞こえた。


 「お前にも責任があるんだよ!!! 謝れ!!!」


 別の男の声が聞こえた。


 「きぁぁぁぁぁ!!」


 「やめろって!! …ぐふぅっ!!」


 


 そこは、人が結晶のように群がっていて、状況が見えない。


 「俺、見てくる」


 「待って、私も!」


 二人で、混雑を掻き分けて、先頭に出る。


 目にした瞬間、それは夢だと錯覚した。


 現実感が、まるでない。


 あんな怪獣を見ておいて何を今さら、と思われるかもしれないが、これが現実だ

とは信じられなかった。信じたくなかった。


 「三田村…!?」


 目元に真っ黒なマスクのようなものをした背丈の小さい男が、顔から血を流した背の高い筋肉質の男に馬乗りして、ボコボコに殴っていた。


 「死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね、死ねぇぇぇ!!!」


 俺は、あいつだと直感した。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る