第12話 毒
三階建ての校舎から、背中から落ちても死ななかった。
意識もはっきりと残っていた。
どうやら、怪獣の力は余韻のようなものらしい。定刻の十八時になって人間の姿に
戻った後も、しばらくは怪獣特有の頑丈さは残っていたみたいだ。
俺は、地面に背中をくっつけたまま屋上を見つめた。
誰もいない。もしかしたら、降りて俺のもとへ来てくれているのかもしれない。
彼女がいないことを確認して、むくっと立ち上がる。
廃校舎の昇降口らしきところから彼女が出てくる。随分と血相を変えて走ってきて
いるのが、少し遠くからでもよく分かった。
やがて近づき、彼女は俺の両肩を鷲のように強くつかみ取る。
はあはあ、と長い距離を走ってきた息切れで、しばらくはただ息を吐いている。
そして、喋りだした。
「あなた、馬鹿じゃないの?」
「いや、…えっ?」
「下手したら死んでたんだよ!? なんであんな無茶な真似したの!?」
「それは、お前が落ちたからだろ?」
俺の死を心配してくれる彼女。それは誠にありがたいのだが、立場逆だろ。
「だからって、あんたが落ちる必要ないじゃん! ていうか、わたし最初から落
ちてないし。屋上の隅から少しは落ちたけど、屋上の隅に両手で捕まって、またその
まま屋上に上ったの、鉄棒の懸垂みたいに」
「まんまと騙されたぞ…ちくしょう」
「あんたが悪い」
「はあ!?」
「あんたの視野がもう少し広かったら、あんたの足元に私の指先くらいは視認で
きたはずよ? それに、予行演習だって言ったじゃん」
「お前なあ…」
俺はがっくりとうなだれる。
「あんたが馬鹿だからじゃん。勉強はできて生徒たちの輪の中心だけど、本質は馬
鹿で聞く耳を持たない自分本位な動物なのね、うちの生徒会長さんは」
そんな俺の弱った態度にもお構いなく、彼女は追い打ちを加えた。
「ていうか、俺のことを知ってるってことは…」
「そう、あんたと同じ高校。勉強はできるけど、リアルに満足したバカばっかり。
映画とかアニメとかゲームとかネットとか、そんな奥深い娯楽を知らないで、英語や
数学みたいなペーパーの知識だけで意地を張るお粗末な思考を持ったチンパンジー
の集まり」
「その理屈で言ったら、俺は差し詰めチンパンジーのボスってところか」
「そう!」
「そう! じゃねえんだよ」
クスクス、と笑う彼女は楽しそうだった。
「んで、あんた、クロートって配信者だろ?」
核心を突いたようだ。彼女は、少しだけ図星の反応をしたのち、ゆっくり息を吐
いて答えた。
「そうよ。…へえ、あんたも『配信者』なんて言葉知ってるんだ」
「お前なあ」
ネットの知識だけで意地はってるチンパンは誰だよ、と言い返したいところだ
が、逆上して多種類の非難を浴びたくないので止めておいた。
今度は、彼女が尋ねる。
「そんなことより、あなたは大丈夫なの?」
「へえ?」
「ケガよ。あんなに高いところから落ちてもピンピンしてるなんて、常人ならあ
りえないでしょ?」
あえて話をそらしていたが、聞かれるのは当然か。
俺は、こうなったら自白する他ない、と決意した。初対面の男子にも口の悪い彼
女だが、高いところから落ちた人間を心配するモラルはある。事情を話して黙っても
らおう。
「ああ、俺、常人じゃないんだ、実は…」
「ヒーローなんでしょ!? 最近話題の」
「ほえっ…?」
変な声が出た。
ああ、怪獣じゃなくて、そっち?
まあそうか。人間に見えるこの姿で落ちたら普通は怪獣じゃなくてそっちを疑う
だろうな。
俺はゆっくり、落ち着いて、怪獣だということを弁明しようとする。
が。
「いや、そっちじゃなくて、真逆の方で…」
「すごい! 奇跡じゃん! …なんかミーハーみたいだけど、ヒーローに会えるな
んて思いもしなかった」
「いや、そうじゃなくて」
「最初は、私のことをこっそり付きまとってきたくそキモイ腐れストーカー野郎
かと思ってたけど、私のことを守ろうとしてくれたのね。…余計なおせっかいをどう
も」
黒髪の彼女は、聞く耳など持たなかった。ああ、あれか、興奮したら人の話を聞
かないタイプのやつか。
お前こそ聞く耳持たない動物だろ。もちろん言葉にはしなかった。
「へえ。あんたもこんな偽善的な慈善活動やってんのね。こうゆうのやらない自
己中で独裁的なタイプかと思った」
いちいちハートをえぐられる毒を混ぜ込みながら、ヒーローに会えた興奮をあと
数分ほど、怪獣に熱く語った。
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